真夏のおでんもオツなもの


【第1話】


 ぴーかんの晴れ続きのある日、バイト先の親方が俺を飲みに誘ってくれた。
 それは、貧乏金なしの生活を続けてる俺にとってはひじょーにありがたい話で、俺は何も考えず嬉々としてついていったんだった。
 だけどうまい話には必ず裏があるってもんで、
「……なんすか、ここ?」
 親方の後を舞い踊るようについていったら、辿り着いたのは呆然と立ち尽くしてしまうような場所だったんだ。
「読んで字の通りじゃねーか。おめえ字も読めねえのか」
「読めますけど……俺には『おでん』って書いてあるようにしか──」
「おう、ちゃんと読めてっぞ!」
「読めてっぞ! って、親方っ?」
 のれんをくぐり、ドアを開けてずんずんと中に入っていく親方を慌てて追う。……と、中からもわっとした空気が襲いかかってきて、思わず後ずさりしてしまう。
(ぐわぁ、熱気!!)
 何を考えてるんだ、親方は! さっきまでさんざん「暑い暑い」言ってたのにおでん屋に来るなんて……暑さでやられちゃったのか? 暑いときはビアガーデンだろ!?(親方には似合わないけどな)
「どうした太一、ぐずぐずしてねえで早く入ってこい!!」
(なんで俺が、真夏におでんなんか食わないといけないんだ……)
「うぃーっす」
 しかし親方の濁声には逆らえず、しぶしぶ中へと入った。こんなボンクラを雇ってくれたんだ、俺が親方に逆らえるはずがない。
「いらっしゃい!!」
 居酒屋独特の掛け声を盛大に浴びせられて、げんなりしつつもドアを閉めて振り返る。すると、ぐつぐつ煮込まれたおでんを前に一杯引っかけてるのか赤ら顔のおやじが愛想よく笑っていた。
「おう、ここに座れ、太一!」
 客は俺たち以外誰もいない。そのがらんとした店内のカウンター席にどっしりと座った親方は、すでに片手にグラスを持って俺を呼んだ。
(腹が膨れるんだ、おでんだっていいじゃねぇか!)
 冬場は品薄のおでんダネだって食い放題だ! と唯一の慰めをして、俺は親方の隣の席に座る。ああぁ、湯気が顔に当たるしぃ……。
「太一、こいつは俺の古くからの友人で銀太郎ってんだ。こんなナリだがおでんは旨いぜ」
 大半が白髪になった頭に手拭いを巻いた無精ヒゲのおやじを指差して、がははっと豪快に笑う親方。相当仲がいいのか、おやじも親方に負けないくらい豪快に笑いながら言った。
「太一ってのか、おめえ。よーく三郎のとこなんざ入ろうと思ったな。こいつと仕事してっと命がいくつあっても足りねぇぞ」
「そ、そうっすか……」
 入ってまだ2ヶ月だけど、確かにその兆しは感じ始めていただけに笑い飛ばすことができなかった。……バイト、変えたほうがいいんだろうか?
「まあ呑めや!」
 へらへらと引きつった顔のまま笑ってると、親方やおやじが手に持ってるのと同じグラスが俺の前にも出てきた。勧められるまま手にとって──
「なっ……あ、熱燗っすか、これ!?」
 予想してなかった熱さが手の平に触れて、驚いて手を頭上まで上げてしまった。
「ったりめーよ! おでんには熱燗! 常識だろうが!!」
 銀太郎おやじはそう言うと、ぐつぐついってるおでん鍋の中からいくつか具を拾い出すと、親方の前に皿を置いた。
 芯まで味が染み込んだ大根、茶色いたまごに大きながんもどき。とろとろの牛スジがうまそう……。
 生唾を飲んでる俺の目の前で、親方はがんもどきにかぶりついた。う〜、ジューシィ……。
「──ん、」
 ゆっくり咀嚼したあと、親方は大きく頷いた。
「旨い!! やっぱおめえが作ったがんもどきは最高だな!!」
「そうだろそうだろ! 太一、おめえも食うか!?」
「うっす!!」
 すっかりおでんに魅せられた俺は、頼んますと頭を下げた。いや、腹が空き過ぎてたんだよ。
 おやじは鍋の下のほうに眠っていたがんもどきをほじくり出すと皿に取り、少量の汁を注いで「ほらよ」と俺の前に差し出した。
 その皿を両手で受け取り、熱さなんてなんのその、俺はがんもどきに食らいついた。
「うっ……め〜〜!」
 これは、俺が今までに食べてきたがんもどきとは比べ物にならないくらい旨い!
「旨い! 旨いっすよ、親方!」
 俺と同じようにがんもどきを食べていた親方に言うと、親方はそうだろうと頷きながらぐいっと熱燗をあおった。つられて俺も、親方と同じようにグラスを持って熱い酒を喉に流し込む。
(あちぃ! けど、うめ〜!)
 暑いときに熱いものを食い、熱いものを飲む。もしかしたら、こいつはクセになる。かもしれない。
「銀太郎、こいつにどんどん食わせてやってくれ」
 ものすごい勢いでがんもどきを制覇しかけてる俺に、親方がそんなありがたいことを頼んでくれる。
「おうよ。ちょっと待ってろ」
 おやじは俺のグラスに酒を足してから、店の奥に向かって声を張り上げた。
「ナツー! 客だぞ、出てこい!」
(ナツ?)
 もしかしておやじの娘か? と淡い期待を抱いた俺に、親方は速攻夢破れることを言う。
「息子のナツか? まだ家にいたんだな」
「そうさ。こいつがどうしようもなくてな」
 ダメなんだよ、と首を振るおやじに、がっかりしかけた俺の心は次の興味にむくりと首をもたげた。
「何がダメなんすか?」
「何って、そりゃ──」
 俺の質問におやじが答えようとしたそのとき、店とその奥の住居空間を区切っているのれんが持ち上がった。
 気配に気づいてそっちを見ると、そこには1人の青年が立っていて。
 真夏なのに白い長袖シャツをきっちりと着込み、暑さとは無関係っていえるくらいの白い肌をしたそいつは、
「いらっしゃいませ…………」
 霧のような、空気に溶けてしまいそうな声でそう呟くと、足音もさせずにおやじの横に立った。
「おめえは太一の相手してろ」
「…………はい」
 ちょうど目の前に座っていた俺と目が合うと、そいつは眼球だけを動かして俺から視線を外した。
「……何にしますか?」
 おでんがぐつぐついってる音より小さい声でそう聞かれ、俺も思わず声をひそめてしまう。
「じゃあ、ちくわぶ」
「……はい」
 少し長めの前髪で隠れてしまっているそいつの顔をじろじろと眺めながら、おでんの中で一番好物であるちくわぶを頼む。……しかし、それにしても全然おやじと似てねーな。種が違うんじゃねーか?(ぶっ飛ばされそうだから言わないけど)
「ナツはいくつになったんだ?」
「今年で25よ。こんなナリしてっけどな」
(俺と一緒じゃねーか)
「仕事は?」
「それがよ、聞いてくれよ、三郎!」
 おやじはすでに酔っ払ってるのか、涙ぐみながら親方に縋りついた。当の本人はおやじの涙に目もくれず、湯気が立ち上るおでんの鍋を真剣に見つめている。──どうでもいいけど、俺のちくわぶはまだなのか?
「こいつはほんっとうにどうしようもなくてな。昔っからの人見知りがいまだに直らねぇし、そのせいでせっかく決まった就職の話もパーだ。こうして店を手伝ってもらえるのはありがてえが、力仕事はできない、客とも話せないじゃ商売上がったりだ! 安心して跡継がせられねぇよ!!」
「そう言うなって。ナツはおめえの女房に似たんだろ。いい忘れ形見じゃねぇか」
「そうだが、少しは期待しちまうだろ!? このままこの店継いでもらえるかもってよ。だけどこいつに任せたら、半年もしねえうちに潰れちまうよ!!」
 あまりにひどい言い草に、思わず憐れみを込めて息子を見てしまう。だけどやっぱり息子は真剣な顔でおでんの具を突いているだけで。
「……おい」
 この熱いのに汗一つかいてないそいつに、俺はとうとう痺れを切らして声をかけた。
「ちくわぶはどうなったんだよ。そこにあるだろ?」
 他の具と一緒に鍋の中にいたちくわぶを指差して言うと、そいつはちらっとだけ俺を見て──すぐに視線を鍋に戻して独り言のように呟いた。
「……まだ」
「──あ?」
「まだ、もう少し煮ないと美味しくない」
「は?」
「…………」
 それ以上は何も言わず、再び具を突き出したそいつをぽかんと見ていると、おやじが横から口を挟んできた。
「悪いな太一。ナツのやつ、具にちゃんと味が馴染んでからでないと客に出さねんだ。他のもんでも食って待っててくれや」
 さっきまでの泣き顔はどこへやら、今はすっかり上機嫌で親方と酒をあおっているおやじの言葉に、呆然とそいつの顔を見返す。それって、味にこだわる頑固おやじみたいじゃねーか?
(どう見ても似合わないけど……)
 長めの箸を器用に操って、無表情のままおでん鍋を見つめている姿は、あまりにミスマッチすぎて笑うこともできない。むしろ、怖い。
「……じゃあ、食べ頃なやつ。見繕ってくれ」
 ちくわぶ以外はどれも同じくらい好きだから、任せようと思ってそう言うと、
「ちくわぶ以外はどれも食べ頃です」
 小さな声で、だけど言い返すように言ってきて!
(なんだと、このクソー!!)
 とは思ったけど、ここで怒鳴るなんてあまりに大人気ないだろうとぐっと我慢した。
「じゃあ、しらたきと牛スジと大根」
「……はい」
 俺の注文に今度はすんなりと頷くと、さっそく皿に盛り始めた。ようやくがんもどき以外のものが食える……。
(しっかし、ホントまっちろだなコイツ)
 白い手が動き様子をじっと見てると、それだけで暑さが和らぐような気がしてきたぜ。透き通った肌はどんな熱も冷ましてしまいそうだ。……実は体感温度も俺たちと違うとか?
「──どうぞ」
 差し出された皿には俺が指定したしらたきと大根と牛スジが几帳面に盛られてて、一緒に出てきた小さな器には辛子が用意されていた。
 俺はさっそく箸をとり、まずは味が染み込んでいそうな大根を口に入れた。上からの視線がじっと俺を見てることには気づいてたけど、気づかぬフリで。
(これは……)
「旨いっ!」
 と、思わず叫んでしまう旨さだった。お世辞でもなんでもなく、ホントに旨い!
 芯までしっかり味のついた大根は、たっぷり汁を吸い込んで口の中で蕩けるように消えていって(料理評論家みてーなこと言っちまった)。
 それとなんといっても、だしの味の効いたおでん汁だ。具に合った味付けが最高に旨い!
「おやっさん、この汁旨いっすね!」
 あまりの旨さに感激して、俺はおやじに向かってそう言った。
 だけど返ってきた返事は、俺が予想していなかったものだった。
「そうか? そのだし作ってんのはナツなんだがな。俺はタネ作っただけさ」
「──えっ!?」
(この熟練の味を、こいつが作ったって!?)
 驚いて息子を見ると、素知らぬ顔で具を突いていた。あ、今ひっくり返したたまご……旨そうな色してるな。
「なんだなんだ、いい跡取りになりそうじゃねーか」
 親方も知らなかったことらしく、驚いた表情で皿の上にのっていた大根をしげしげと見つめた。
「まあな。あとは性格さえなんとかなりゃな」
 まんざらでもないらしく、おやじは息子の髪をぐしゃぐしゃにしながら照れたように笑う。息子はおやじのなすがまま、別に抵抗することもなくぼさぼさのモップ頭にされていた。
「さあさあ太一、どんどん食ってくれよ! 久しぶりに食いっぷりのいい客が来てくれたからナツも張り切ってるぞ!」
「う、ういっす」
(とてもそうは見えないけどな……)
 相変わらずの無表情は、現在の大事なことはおでん種が煮立ちすぎないことらしく、コンロの火を調節していた。
 改めてじっくり見ると、かなり整った顔してるよなー。芸能人もなれそうだけど……こんな性格じゃムリか。底意地悪いし(そこは芸能人向きか?)。
 けど、最初のイメージからどんどんかけ離れていくそいつが、俺はちょっとだけ好きになれそうだった。少なくとも、ただのスカした奴じゃないってことはわかったし。
 だって俺がおでん食ってる間、ずーっと見てるんだぜ、俺のこと。それってつまり、自分の作ったおでんの反応がすっげー気になってるってことだろ?
「じゃあ次は……」
 俺が鍋を覗き込んで考えようとしたとき、
「ちくわぶ。もういいけど」
 鍋の中を優雅に動いていた箸が、ちくわぶをつんっと突いた。
「じゃあもらうよ」
 待望のちくわぶがようやくできあがったと言われ、俺は嬉々として皿を差し出した。
 あつあつのちくわぶをのせてもらい皿を机に置いて、まずはちくわぶの姿を確認する。
 表面がほんのり茶色く、とろっと溶け始めている。──この状態がこいつにとってちくわぶの一番旨い状態なんだろう。
 少しだけ辛子をつけて頬張ったちくわぶは、味が染み込んでいて旨かった。
「ナツ、旨いよ」
 初めて名前を呼んでそう言うと、無表情のままのナツの顔が少しだけ赤くなった気がした。


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