お前ら本気の恋をしろ!

─ 5 ─




「ありがとうございましたー」
 学校帰りの高校生カップルがイチャイチャしながら帰っていく。
(……ったく)
 堂々とコンドームなんか買ってくなっての。お前ら一応進学校の生徒なんだろ? と心の中で突っ込みを入れてみる。──他に考えることがないと、どうでもいいことをいろいろ考えちまうんだよな。
「……はぁ」
 盛大に溜息をついても突っ込んでくれる奴もいない。近所にコンビニが何軒もあるせいか、昼下がりのこの時間は本当に客が来なくて暇を持て余す。この店の従業員、昼間だってのに俺もいれて二人しかいないんだぜ(ちなみに一緒に入ってるおばさんはゴミ箱の片付けをしに外に出てた)。
「なんか面白いことねーかなー……」
 そんなふうに呟いてみても、これといって何も思い浮かばず。
 俺の頭はまた取りとめもないことを考え始めたのだった。


 久しぶりに行ったバーでキヨシに偶然会ってから、今日でちょうど2週間が経った。
 あれから3日に一度はあの店に顔を出してるものの、キヨシに会うことは一度もなかった。あいつはあの店が俺の行きつけだってことは知らないはずだし、あの日たまたま入っただけなんだろう。俺の唯一の憩いの場を奪われなくてホントよかったぜ。
 そんなわけで俺はフリーのゲイらしくのびのびと男漁りをして、声をかけてきてくれた奴とその晩限りの関係を楽しんでいた。
 前は声をかけられない日なんてのもあったけど、最近は店に入った途端いくつかの視線が俺を追ってくるようになった。
 最初はその異常事態に『俺のフェロモンがついに開花した?』なーんてアホなこと考えたもんだけど、真相はなんてことない。キヨシと出会うきっかけになったAVサイトに俺たちの絡みがアップされ始めたからだった(気になったから一応確認したら、確かに載り始めてた)。
 そういう店に来てる奴らなんてみんなセックスの相手を探してるようなもんだから(中には『話し相手を探しに』って奴もいるだろうけどさ)、俺がどんなふうに喘いだり感じたりするかわかって興味を持ったのか、
『君、キヨシくんだよね?』
 って声をかけてくる奴が増えた。一晩で三人に声をかけられたことなんて、今までに一度もなかったのにだぜ?(俺にだって好みがあるからどんなに誘われたって断ることもある。デブ2連発は正直ゲッソリしたな。3人目が普通で助かったぜ)
 まぁ多少そうなるだろうことは予想してたし、アレを見て俺を誘ってくる奴も出てくるんじゃないかって期待してた気持ちもあったから全然いいんだけど……(事実そうなってるし)。
『相手のタチの子はホントに彼氏じゃないの? えーと、ジュンって奴だっけ?』
 そう聞かれるたびに、思わず顔をしかめてしまう。
 付き合ってたときだったらそんなふうに聞かれても、
『実はあれがきっかけで付き合いだしたんです』
 とかって喜んで答えてただろうけど……今はそんなふうに聞かれるたびに胸がムカムカしてたまらなくなる。せっかく忘れようとしていることを蒸し返されて腹が立たない奴なんていないだろ?
 もちろん聞いてくる奴らはそんな事情を知らないんだから仕方ないってわかってるけどさ、それでも不機嫌になって「んなわけねーだろ」って答えちまう(軽く酒が入って感情的になってるからかも)。
 ちなみに俺たちはサイトに掲載してもらう名前をそれぞれ逆にしてもらった。適当に仮名をつけてもらってもかまわなかったんだけど、あの日俺たちの行為を撮影してた男が、
「毎回仮名考えるのって大変なんだよねー」
 って言ってたから、じゃあ逆にするだけでいいですって言って。
 でも今にして思えば、まるっきり別の名前にしてもらうべきだったなと心底後悔した。キヨシの名前を連呼されるのがこんなにも苦痛に感じるとは、俺も予想してなかったから。
 だけど、撮影が始まる前はこんなことになるなんてこれっぽっちも思ってなかったんだから仕方ないよな。
 いや…………そもそもあんなもんに出てみようなんて考えたのがいけなかったんだ。

 初めて会ったあの日、俺はキヨシのキスで最初から興奮した。それはキヨシが上手かったからってのももちろんあったけど……好みの奴に抱かれるのが嬉しくて、まるで恋人にするみたいに濃密なキスをしてくれたキヨシに期待したから。
 俺もけっこう遊んでるほうになるとは思うけど、あんなに身体の相性がいいと思った相手はキヨシが初めてだった。だから恥ずかしげもなくカメラの前であんな姿をさらしちまったんだろう(サイトに上げられてる動画も1回だけ見たけど、相当恥ずかしい姿だった。あんなに声上げてたなんて……信じらんねぇ!)。
 見た目もバッチリでセックスの相性もバッチリで、ずっと付き合っていけたらどんなに幸せだっただろうって思うけど。
 だけどキヨシは、俺のこともたくさんいる遊び相手の1人にしか思ってなかったんだよな。
 切実に恋人が欲しい奴があんなもんに出るなんて、きっと誰も思わないもんな……。


 そんなどうでもいいことを考えてると、数分ぶりの客が来たことを知らせるチャイムが鳴って。
 俺は不愉快なことを考え始めていた自分に舌打ちしながら、客を迎え入れるために多少明るく作った声を上げた。
「いらっしゃいま──」
 けど、接客用の声も作り笑顔も、入ってきた奴を見た瞬間どっかにいっちまった。──顔を向けた出入り口に、記憶から抹消したいと思っていた奴が立ってたから。
「ジュン」
 そいつは俺の名前を呼ぶと、商品が並んでる陳列棚には目もくれず俺がいたレジにまっすぐ歩いてくる。
 そして気まずそうな表情で、少しためらうような素振りを見せてから俺に話しかけてきた。
「……久しぶり」
「!」
 もう会うこともないと思っていた男。……会いたくないと思っていた男。
 なのに俺はその男の声に思わず応えていた。
「キヨシ……」
 動揺してるのがまるわかりな声。話題に持ち出されるだけでムカついてたのがウソみたいに、俺は突然のキヨシの登場に驚きを隠せなかった。目が合った瞬間変な顔しちまってたよな……カッコわりぃ。
 けどすぐにキヨシも気まずそうな態度だってことに気づき、ようやく少しだけ落ち着いた。
(そうだよ、俺がおどおどする必要なんてないんだ。もっと強気になっていいんだって)
 俺は何も悪いことはしてないんだし、怒る理由はあっても萎縮する理由なんてないんだ。そう思ったら、あのときと同じそっけない声が自然に出てた。
「よくここがわかったな」
「家の近所のコンビニで働いてるって言ってただろ? 何軒か回ったけど……」
 コンビニでバイトしてるってことは話したけど場所までは話してなかったはずだから、気になって聞くとそんな返事が返ってきて。
「ああ、そ」
 わざわざ探して来てくれたのかと一瞬胸が高鳴ったけど、(冷静になれ自分)と速攻で言い聞かせた。こいつとは完璧に終わってるんだ。今さら来られたって迷惑なだけなんだ。
「なにか、用?」
 レジの横に置いてある割り箸やストローの補充をしようと動きながら、そっけなく聞いてみる。他に客がいないからって何もしないで話してるなんて、給料ドロボウみたいなもんだからな(なんて、言い訳っぽいけど……)。
 キヨシは突然動き出した俺に戸惑ったみたいだけど、俺が仕事中だってことを思い出したのか店内に視線を動かしながらも話し出した(内心他に誰も客がいなくてビックリしてるんだろうな)。
「この間、店でちゃんと話できなかったから……少し話したくて」
「ふーん。なんの話?」
「それは、その…………」
 俺の態度があの店で会ったときと同じものになったことに気づいたらしいキヨシは、あのときと同じように口ごもる。その姿から、あの日一方的にいろいろ怒鳴った俺を責めるために来たわけじゃないってことはわかった。
 じゃあなんでわざわざ俺に会いに来たのか──そう不思議に思ったとき、キヨシが俺の疑問に答えるようなことを言った。
「お前のこと勘違いしてたから、そのことも謝りたかったし……」
「……ああ、」
(そういうことか)
 チラチラと俺の様子をうかがいながら話すキヨシに、俺は妙に納得した。なんだ──つまりキヨシはちゃんと言い訳がしたかったんだな。
「俺さ──」
「もういいって」
 キヨシの話に見当がついて、それ以上聞くとまた気分が悪くなりそうだと思った俺はとっさにキヨシの声を遮っていた。
 言い訳なんて聞きたくない。前の奴みたいに開き直られて、全面的に『自分は悪くない』って言われるのも腹が立つけど──自分の持論を持ち出されて『だから仕方ないだろ?』って言われるのはもっとイヤだ。
「前の奴のときもそうだった。だからわかってる。キヨシを責めるつもりはないから」
 ウソだ。こんなことを言ってる時点で責めてるようなもんだ。キヨシだってきっとそう思ってるに違いない(言い訳に来るくらいだし、俺が怒ってるって思ってるんだしな)。
 けどそう言うしかないだろ? まだムカついてるなんて、そんな女みたいなねちっこい性格だと思われたくないし(……事実そうだとしても、さ)。
 そうは思っても、やっぱりこうして顔を見ると俺もキヨシにまだ言いたいことがあったんだって気持ちがふつふつと湧き上がってきて。
 キヨシの言い分を聞かないで自分の話だけを突きつけるなんてワガママだとは思ったけど、あの日言いそびれたことをきっちり言ったんだ。
「けどさ、わかってても受け入れられないことってあるだろ? 俺は……キヨシや他の奴みたいな考え方はできないんだ」
「ジュン?」
「俺は好きな奴ができたら、俺と同じくらい俺のことを好きになってもらいたいんだよ。俺だけでいいって……俺だけいれば十分だって、言ってくれる奴がいいんだよ」
「…………」
「身体だけの浮気とか、そんなの関係ない。俺と付き合ってるのに俺以外の奴ともヤりたいって思う相手なんか……イヤなんだよ」
 今さらこんなことを言ってる自分が情けないし悔しい。なんでわざわざこんなこと言ってるんだ、俺。──なんで口で言わなきゃわからないんだ、こいつは。
 でも、言わなきゃいられなかったんだ。世の中にはそういう奴だっているんだって──理解されなくても知っててほしかったから。
「単に俺はそういうのが許せないってだけだから。気にしなくていいよ、俺らの世界じゃ俺みたいな奴のほうが少ないんだし」
「────」
「けど、こういう奴もいるんだってことは覚えてたほうがいいよ。俺のときみたいに軽く『付き合うか?』って言うのはマジ危険だから」
 言いたいことが全部吐き出せてちょっとすっきりしたのか、気づいたら俺は半笑いになってた。正確にはちょっと涙を浮かべながらだったんだけど……キヨシに気づかれる前に顔を背けたからバレてないはずだ。
「…………」
 俺の話を聞き終えたキヨシはしばらく無言で。それなりに広いはずの店の中は、俺たちのテンションとは正反対の軽快なポップスだけが気まずく流れていた。
 いつまで黙ってるつもりなのかと、一度はそらした視線を再びキヨシに向けてみる。そしたらキヨシも俺を見てて──チラっと見るだけのつもりがバッチリ視線が絡み合ってしまう。…………気まずい。
 それでも俺と目が合ったことでようやく石化が解けたのか、キヨシはすっと息を吸い込んで口を開いた。
「ジュン、俺は──」
 ──だけどそのとき、パートのおばさんがゴミ箱の整理を終えて戻ってきた。絶妙のタイミングだな。
「あら、お友達?」
 俺たちの微妙な空気にまるっきり気づかず、こんにちはーなんてのほほんとした声で言う。俺たちが深刻になりすぎてたからなのか、その声が妙に耳について(おばさんが悪いわけじゃないんだけど)。
「……こんにちは」
 キヨシも律儀に挨拶して、でも他の人間が入ってきたせいでそれ以上ヤバい会話を続けるわけにはいかないって思ったらしく口をつぐんだ。でもすぐに、
「ジュン」
 レジの前を通り過ぎて一度裏に向かったおばさんを気にしつつ、改めて俺の名前を呼んだ。なんだよ、引き締まった顔しやがって……くそ、男前め(文句になってないな……)。
「……なに?」
 内心ドキドキしてるのを必死に隠しながら返事をすると、キヨシは俺の心臓がさらに躍るようなことを言った。
「お前の仕事終わるまで待ってていいか?」
「────え?」
「話最後までしたいから。お前に言いたいことあるんだよ、俺」
「は、話? ……まだ?」
「ああ。じゃ、お前の家の近くで待ってるから」
 キヨシはそれ以上俺に何も言わせず、「仕事中に悪かったな」って言い残してさっさと店から出て行った。
「なんで? …………なんで?」
 その場に残された俺は、理由がわからないキヨシの行動に混乱しておばさんが戻ってくるまで何度も「なんで?」と呟き続けた。
 キヨシのやつ、いったいなんの話があるっていうんだ。……まさか、俺が文句を言わせなかったから? どうしても俺に文句を言いたくて──つーか、もしかして俺を殴りたいとか……? だったらマジ逃げたいんだけど……!
(怖ぇ……俺、どうなっちまうんだろう)
 今まで不満ばっかりぶつけてた俺のことをキヨシがどう思ってるのか……俺、全然考えてなかった。それって実はすっげー危険なことだよな?
「俺って……俺って、バカ?」
 今さら気づくこと自体おかしいのかもしれないけど、その可能性をまるっきり考えていなかった俺は本気で怖くなったんだった……。

 ちなみにそんな俺の複雑な心境をまるっきり知らないおばさんは、
「カッコいいお友達ねー」
 なんてのんきなことを言って──俺は襲ってくる不安を押し殺しつつ、乾いた笑いしか返せなかった。


= 6 =

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