お前ら本気の恋をしろ!

─ 6 ─




 バイトが終わって店から出ると、俺はまっすぐ家に向かった。
 最近の行動パターンでいくと今日はバーに行く日なんだけど……そんな気にはならなくて。
 もしキヨシがすでに帰ってたとしても、俺は驚かない。あいつが店に顔を出してからすでに2時間近く経ってるし、これだけ時間が経ってれば怒って帰っててもおかしくない。──もともと人を待ったりするのが好きじゃない奴だってことはよく知ってるから。
 だからキヨシはいないだろうって思いつつ、それでも遊びに行かれない程度には、俺はキヨシのことが気になってたらしい。
(これでまだ待ってたら、うっかり胸キュンとかしちゃうかもな)
 そんなことを考えながら家に向かう足が異様に早く動いてる。何か期待してんのかな、俺。
「期待なんかするわけねっつーの」
 終わったんだ。キヨシとのことは、全部キレイに終わったんだ。だから……もう泣きたくないから考えちゃいけない。
 久しぶりに会ったキヨシの顔を見てドキっとしたのは、あいつがやっぱ俺のストライクゾーンだったから。ただそれだけだ。

 そんなことを考えながら気分を落ち着かせようと大きく息をして、俺は目の前に見えてきたアパートをじっと見つめた。
 アパートの出入り口。道路に面した玄関の、俺の部屋のドアの前。────誰もいない。
「…………やっぱり」
 予想通りといえばその通りの結果に、俺はなぜか笑ってた。……そんで、ちょっと泣きたくなった。
 期待するなって何度も何度も言い聞かせたって、完全にどうでもいいと思えるわけがない。だって俺は本気で好きだったんだから。
 ひどい裏切りにあって、それで心底嫌いになろうとしたけど──本気だったぶん簡単に吹っ切るなんてできなくて、心のどこかで期待してた。キヨシがまた俺と話してくれるってことに。
 それがたとえ、キヨシを一方的になじった俺を非難するようなものだったとしても……今だったら受け入れてもいいかなとか思ってたのにな。
「はー……」
 急に重くなった足をゆっくり動かして、とにかく一度家に入ろうと思った。気晴らしに飲みに行くにしても、気持ちを落ち着けないと勢いで無茶しちまいそうな気がして(…………無茶してもかまわない気分だけど)。
 共同玄関をくぐり、すぐ脇にある郵便受けを覗いて数枚のはがきを手に取る。そのまま階段を上り始めたとき、
「ジュン!」
 突然背後から名前を呼ばれ、俺の心臓はドッキーンと跳ね上がった。
「ジュン」
 確認するようにもう一度呼ばれ、声のした方向を慌てて振り返ると、そこにはこっちを見ている男がいた。
「キ、キヨシ」
「おかえり」
「た、だいま」
 どこに立ってたのか全然気づかなかった。けど、キヨシは俺がさっきまでいた郵便受けの前に立っている。コンビニの袋も持ってるけど──全然音としかなかったぞ!? わざと音消してたのか!?
「あ……待たせて、ごめん」
「いや」
 声が上擦っている俺とは対照的にいつもとなんら変わらない様子のキヨシは、階段のちょうど真ん中あたりで止まっていた俺に平然と近づいてくる。心臓が……心臓がドキドキしてくる!
 俺との間を一段差まで縮め、ゆっくりと視線を上げてくるキヨシ。まるで俺のことを確認するみたいなその目とばっちり目が合ったとき、俺は苦し紛れに声を絞り出していた。
「じ、時間あるなら俺の部屋に来る?」
「ああ」
「ん、じゃあ行こっか」
(あーバカバカ俺のバカ!)
 部屋に上げてどうすんだよ! きっとお互いにギクシャクして、また言い争いになるだけじゃないか!!
 心の中で激しく自分を罵ったけど、この場で言い合うことになるよりはいいんじゃないかと思うことにした。そうだよな、公衆の面前で修羅場(しかもゲイの)を繰り広げるよりはいいかもな……。
 緊張のせいで震えてる手で必死に鍵を開け(いつも何気なく開けてるのに、どうしてこういうときってなかなか開けられなかったりするんだろうな)、
「散らかってるけど、どうぞ」
 ぼそぼそと呟くように言いながら先に中に入った。後ろにキヨシがいるせいか、背中が強張ってくるような気がする。早く距離を取らないと全身がガチガチになりそうだ。
「おじゃまします」
 キヨシは律儀に言ってから玄関をくぐり、靴を脱いでいた俺のすぐ後ろに立つとドアを閉めた。そんなに広くないんだから、俺が上がるまで待っててくれていいのに……!
 しかも何を思ったのか、俺の後ろで鼻を鳴らして、
「久しぶりだな……ジュンの匂いがする」
 そんなことを言って!!
「……っ」
 ようやく靴を脱いで部屋に上がりかけていた俺は、危うくその場にすっ転びそうになった。
(なんでそういうこと言うんだよ! また勘違いしちゃうだろ!?)
 しかも俺の大好きな、ちょっと穏やかな声で言いやがって! くそ、男前ってホントにタチが悪いな!!
「どうした、ジュン?」
「な、なんでもない。……上がって」
 キヨシの言動に身悶えていた俺に気づいたってわけじゃないんだろうけど、動きの止まった俺を不審に思ったのかキヨシが声をかけてきて。それになんでもないフリを装って、俺は焦りながらも部屋に上がった。落ち着け、俺!
「なにか、飲む?」
「あー、ビールある?」
「あるよ。ちょっと待って」
 部屋に入ったものの一緒の空間にいるのが辛くて、少しでも距離を測ろうと速攻で冷蔵庫に近づく。酒だけは常に入ってる冷蔵庫には、ビールの他に芋焼酎まで入ってた。……キヨシが家に来たときに飲んでた飲みかけのやつがそのまま入ってたんだ(キヨシは冷蔵庫で冷やした焼酎をそのまま飲むのが好きだったんだ)。
 一瞬それを出すかどうか迷って、やめた。元彼の好きだったものをとっておく女々しい奴って思われたら嫌だし。
「はい」
「サンキュー。あ、これ。つまみになるかな」
「ああ、ありがとう」
 俺がキヨシの分の缶をテーブルに置くと、キヨシは持っていたコンビニ袋をテーブルにひっくり返した。中から出てきたのは酒のつまみとスナック類がいくつか。それと……
(これ──俺が好きなチョコ……)
 少し前からハマって食べているチョコ菓子が出てきて、俺の心臓はまた大きく跳ね上がった。俺の好物、覚えててくれたんだ……。
(だ、ダメだダメだ! こんなんで懐柔されてどうする!)
 そうだ、俺は怒ってんだからな! こんなので惑わされたりしないんだからなっっ!
「は……話って、なに?」
 ぽわーっと花が咲き始めた思考を振り払うために持っていたビールで喉を潤して、気を引き締めて声を低めて聞く(声のトーンを落としたほうが不機嫌そうだろ?)。
「あー、うん」
 俺の言葉に、キヨシもビールの缶に手を伸ばす。喉が乾いてたのかごっくごっくと音を立てながら一気に半分以上飲む姿は、やっぱ男らしくてカッコいい(何度否定しようとしてもムダだってわかった。……キヨシはホントにカッコいいんだから)。
 缶から口を離しふーっと一息ついたあと、キヨシは真っ直ぐな視線で俺を見つめてきた。
「あのな。…………ごめん、マジで」
「え……?」
「この間さ、お前のこと『いろんな奴と遊んでる』みたいな言い方して……傷つけたよな。悪かった」
「…………」
 じっと見つめてくる目は真剣なもので、キヨシが本気で俺に悪いと思ってるんだって感じることができた。うわべだけの謝罪じゃなくて、心からの言葉。
「言い訳だって思われちまうかもしれないけど、あのときは頭に血が上って──よく考えもしないで言っちまってて。お前のこと、そんな奴だなんて思ったことなかったのに」
「キヨシ……」
「付き合い始めたときからずっと、お前が俺のことを第一に考えてくれてるってわかってたのにさ」
「えっ……」
「ジュンみたいな奴と付き合うの初めてだったからさ、実は結構感動してたんだ。『俺のこといろいろ考えてくれてるんだな』って思えるときが何度もあったから────俺の勝手な想像だけど」
「!」
 照れたように頭を掻きながら言うキヨシ。だけどそれはキヨシの想像じゃない。
(だって、俺はいつだってキヨシのことばっか考えてた。長く一緒にいたかったからキヨシの予定に合わせて行動してたし、キヨシに喜んでほしかったからキヨシの好きな食べ物は切らさないようにしてたし……)
 そういうの、キヨシは全然気づいてないと思ってた。まさか気づいててくれたなんて──嬉しすぎる!(しかも『感動』だって! そんなふうに言ってもらえて、俺のほうが感動だよ!)
 キヨシの言葉に泣きそうになって、慌てて顔を背ける。なんで恋愛絡みだとすぐ泣いちゃうんだろう、俺。これが世間で言う『恋愛体質』ってやつなのか? ──そんなどうでもいいことを考えて、必死に平静を装おうとする。
 キヨシは俺の変化に気づいているのかいないのか、そのまま話を続ける。
「あんま聞きたくないかもしれないけど、俺が、その……他の奴とヤッてたのはさ」
「──っ」
 直球の言葉に零れそうになっていた涙が目の淵でぴたっと止まった。一瞬息まで詰まってしまう。
 でも、ちゃんと聞かないと。どんな理不尽な言葉でも、聞かないとすっきり終われないし……。
(泣かないで最後まで聞くんだ。最後くらいクールに決めてやりたいし……っ)
 だけどキヨシの浮気理由は、俺の決意を打ち砕くような拍子抜けするものだったんだ。
「……お前、身体小さいだろ?」
「え?」
「背も低いけど身体も細いし……初めて抱きしめたときびっくりした。細すぎて」
「…………?」
 キヨシの言葉に、俺は声が返せなくなる。俺の身体が小さいのと、キヨシが他の奴と寝るのって……なんの関係があるんだよ?
「どういうこと、それ……」
「や、だからさ…………ジュンが俺より全然小さいから、毎日のように付き合わせてたら疲れちまうんじゃないかって思って──」
「は?」
「だから他のところで溜まったのを出してたって感じで…………ただ出すより誘いに乗ったほうが気持ちよくなれるからと思って他の奴らとしてたっていうか……」
「────はぁ?」
 キヨシはそう言うと俺の顔をチラッチラッとうかがってくる。俺はといえば、キヨシの言葉にマヌケな声を洩らすことしかできなかった。
 俺が並より小さいから? だから他で性欲処理してたってこと? ……なんだそれ?
「あのさ」
 キヨシの言っていることがいまいち飲み込めなくて、俺はキヨシの言葉を確認するように聞いた。
「俺だって健全な男なんだけど? キヨシと同じ年の」
「わ、わかってるけど……」
「別に身体が小さいからって性欲がないわけじゃないし、たぶんフリーのときはキヨシと同じくらいの頻度でヤッてると思うけど」
「それは、この間の話聞いてわかったけど──心配だったんだよっ」
「────」
 驚いた。……というより、『呆れた』に近いかもしれない。
 てことはなんだ? キヨシは俺に付き合わせちゃ悪いとか思って他の奴らとヤッてたってことか?
「……そういうのを杞憂っていうんだぜ。知ってる?」
「知ってるよ!」
「はっきり聞いてくれればよかったのに。するのが嫌だったら『嫌だ』って言うよ」
「聞けるわけないだろ! んな恥ずかしいこと」
「なんだよそれ……」
 頬を赤くしてるキヨシに、俺は込み上げてくるものが抑えられなくなって笑いだしてしまった。それを見たキヨシは顔をしかめたけど、そのうちに同じように笑い出して。
(バカな奴)
 俺の見た目だけで勝手なことを考えて、その結果で性欲処理なんかして──まるで妻にセックスを拒まれて店で性処理してもらってる夫みたいじゃないか。マジでバカみたいな理由だ。
 ……でも、ちゃんと聞けてよかった。他の奴とヤリまくってた理由がわかっただけでも俺には十分だった。
「マジでゴメンな」
「いいよ。俺に飽きて他の奴とヤッてたっていうんじゃないなら……いい」
 胸につかえていたものが一気になくなった気がして、俺は無我夢中でキヨシに抱きついた。
「もう一度、俺と付き合ってくれるか?」
「うん……うん、」
「──ジュン?」
「キヨシ……キヨシ、」
「…………ジュン」
 バカみたいに泣きながらしがみつく俺を強い力が抱き締めてくれる。それだけでまた幸せになれるんだから、俺もカンタンな奴なんだろう。
 けど、しょうがないじゃないか。一度はダメになった大好きな奴と、またこうして抱き合えたんだから。俺ほどとは言わないけど、キヨシだって俺のこと好きでいてくれたんだってわかったんだから──しょうがないじゃないか。
「ん、ん、」
「ジュン……」
 約3週間ぶりのキス。キヨシの体温。気持ちいい。……早くキヨシが欲しい。
 そのまま熱い行為になだれ込もうとした俺に、キヨシも服を脱ぎながらこんなことを言ってきた。
「なぁ、ジュン」
「え……?」
「もしさ。もし俺がお前より先に性欲なくなって……お前のこと、喜ばせられなくなっても」
「は?」
「よそで遊んだり、しないでくれよな」
「………………」
 なんだそれ。
(なんだ、それ?)
 キヨシの言ってることがさっぱりわからなくて、俺の頭の中は「?」マークで埋め尽くされる。キヨシの服を脱がせようと器用に動いていた手まで止まって。
『性欲がなくなる』って──いったいどれくらい先のことを言ってんだよ?
(ていうか……そんな年になるまで俺たちが付き合ってるって本気で思ってるのか?)
 でも、本当にそんな年になるまで付き合っていられたらそれはどんなに幸せなことだろう。それこそ俺の理想の『恋愛』だ。
「じゃ、そんときにはキヨシのコレにそっくりなディルドーで楽しませてくれよ」
「え?」
「キヨシのが勃たなくなったらさ」
「──……わかった、買ってくる」
 俺のジョークに神妙な顔で答えるキヨシ。なんだよこいつ。ホントに、なんでこんなに可愛いんだよ。
 だいたいさ、キヨシのが勃たなくなる頃っていえば俺だって勃たなくなってる頃だろ? 俺だけ性欲残ってると思ってんのか?
 だけど──そんなことを突っ込んでる時間さえもったいなくて。
「とりあえず今は……これで楽しませて?」
 どうにもガマンできなくなって、俺は自分からキヨシを誘った。数十年後の心配より目前の性欲のほうが重要。……若いってそういうもんだろ?
「ああっ!」
 もちろんキヨシも俺の誘いに乗ってくれて──俺たちは飢えた野生の動物のようにお互いの身体を貪った。

 愛がたっぷりの仲直りセックスはもちろん最高だったんだけど……そんなの当然だよな?



 俺たちが一緒に暮らし始めたのは、それからすぐのことだった。
 その話を持ち出してきたのは意外にもキヨシのほうで、もちろん俺は大喜びで即OKした。だって、俺のほうこそずっと言いたかったし(束縛するみたいに思われるのがイヤで言えなかったんだ)。
 どうやらキヨシは俺の小柄な身体が気に入っているらしく、家にいるときはべったりくっついてきて髪やら指やらを撫でてくれる。俺はペットの代わりか? ってちょっとムッとするときもあるけど、俺も恋人とベタベタするのは嫌いじゃないから(むしろ嬉しいし)、いつもキヨシの好きにさせてる。そこから濃密なスキンシップに流れていくのも楽しいし、幸せだから。

 だけどキヨシは相変わらずのいい男で(恋人の俺が言うのもなんだけど)、街中を並んで歩いてるだけでいろんな奴らにジロジロ見られまくってる。特に女の2人連れとかは声をかけてくるし(ダブルデートがしたいとか言ってさ)、とにかくモテまくりだ。
 そういうとき俺は当然不機嫌になるけど、キヨシが全然相手にしてないのを見ると機嫌が直る。俺のこと大事にしてくれてるーなんて思っちゃうとそれだけで他のことはどうでもよくなってさ。
 ……つまり俺は相変わらず単純で、男前のキヨシにメロメロってことだ。


 そんな感じで俺たちは順調に『性欲を感じなくなる年齢』へと近づいていくのだった。……つっても、そんなのもっとずーっと先の未来のことだけどさ。


【完】

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