突然浴びせられた声に、俺の心臓はどっきんどっきんと早くなっていく。──正面にある顔を見たくない。
だけど俺の顔を自分のほうに向けさせた本人は、さらに俺に顔を近づけてきて……
「なにしてんだよ、こんなとこで」
「キ、キヨシ……」
二度と口にすることはないと思っていた名前を口にした瞬間、胸にチクリと痛みが走った気がした。もう関係ない相手だって思ってるはずなのに……っ。
「聞いてるだろ、なにしてんだよ」
キヨシは俺の目をまっすぐに見つめたまま、いつもより少し低めの声で続けて聞いてくる。ていうか……なんでこんなに怒ってるんだ? 怒りたいのはこっちだっての。
(そうだよ、怒ってるのは俺のほうだ!)
急に人の前に現れて、まるで恋人の浮気現場を発見したみたいに怒った調子で話しかけてきて。そんなこと、今さらキヨシにされる理由はない。
そう思ったとき、
「電話してもつながらないし……心配してたんだからな」
キヨシが追い討ちをかけるようにそんなことを言ってきて。その言葉を聞いたとき、1週間では消化しきれなかった怒りが込み上げてきて──俺はぷいっと顔をそむけて、隣に座っていた男のほうに身体を向け直して言った。
「拒否ってるから。それくらい気づいてただろ?」
「えっ?」
「ここに何しに来てるかって? キヨシと同じことだろ」
「お、俺と同じことって──」
「今夜の相手を探しに来たんだろ? 俺もそうだから」
「そうって、お前……」
なんだよそれ。キヨシが呟いて、その声が呆然としてるようなものでますますムカついた。なんだよ、俺が男を探しに来ちゃいけないってのかよ! 自分だって同じことしに来てるくせに!!
俺を口説き始めてた男は、突然始まった俺たちの言い合いがおもしろいのかニヤニヤしながら聞いている。そのどこか物言いたげな視線がイヤで、俺は用件だけを告げて早く会話を切り上げようと早口で言った。
「俺の家のカギまだ持ってる?」
「あ、ああ……」
「じゃあ返して。俺のほうはもう捨てたから」
「はっ!?」
「必要ないだろ、もう。早く返せよ」
「今は……持ってねぇよ」
「あっそ。じゃあ捨ててくれていいから」
キヨシのほうを見ないまま手だけ上げるとそんな返事が返ってきて、すぐにその手をグラスに伸ばす。本当はちゃんと返してもらいたかったんだけど……俺も勝手に捨てちゃったんだから仕方ない。
頑としてキヨシを見ない俺に、それでもキヨシはさらに声をかけてくる。……聞きたくもないようなことを、戸惑ったような声で言ってくる。
「なんだよそれ。お前、まさか本気で別れるつもり……」
「本気じゃなきゃ言わないよ」
「なっ……なんで急にそんなこと言い出したんだよ。あ、あのことは気にしてなかったんだろ?」
「…………」
「お前だって言ってたじゃないか、『よくあること』だって」
「…………」
「酔っ払って、そのままの勢いでヤることくらいあるって──お前も言ってただろっ?」
キヨシの頭は、俺がキヨシの言ったことを全部肯定したと記憶してるらしい。でも、それは全然違う。キヨシは肝心な部分を落としてる。
だけどキヨシはそのことに気づかないまま、今度は俺を責めるように言いはじめて。
「自分だってしてるくせに、俺のことばっかり責めるのかよ。それっておかしくねぇ?」
「……?」
「この間はたまたま俺の現場を見ただけで、もしかしたら俺がお前のそういう現場を見てたかもしれないんだろ?」
「……ぁ?」
「だとしても、俺は別に怒らねーよ。仕方ねーなって思うくらいで終わらせるよ。けどお前は、自分のことは棚に上げて俺ばっかり責めるのかよ。そんな奴だったのかよ、お前っ」
「!!!!」
(なに……言っちゃってんの?)
勝手にいろいろ想像して、俺までキヨシと同じことしてたって決めつけて……『俺も浮気してた』なんて、こっちは一言も言ってないのに──。
(そうだよ、俺は一言もそんなこと言ってない。キヨシが自分でそう言って、勝手に納得して勝手に勘違いして……)
なのに、なんで俺が責められなきゃいけないんだ。なんでこんなにムカつく言葉でいろいろ文句言われなきゃならないんだ。浮気してたのはキヨシのほうだってのに──!!
あまりに理不尽な言葉の数々に、それまで必死に我慢していたものが抑えられなくなる。
俺はずっとキヨシ一筋で……キヨシと知り合ったあの日から、キヨシ以外の奴なんてどうでもよくって……俺の全部がキヨシのものなんだからって、そう思うだけで嬉しくて……幸せで……。
(なのに俺のこと、そんなふうに思ってたなんて。……悔しい。…………悔しい!!)
全身からみなぎる怒りに頭が沸騰して。──でも、うっかり気を抜くと泣きそうで。
ダメだ。泣いたらダメだ。泣いたって、こいつらには『ウザい』って思われるだけで終わるんだ。それで俺とのことはみんな『イヤな思い出』にしちまうんだ。
でもきっとキヨシは、俺とのことを『いい思い出』になんてするつもりはないんだろう。俺のことを勘違いして、一方的にこんなふうに責めるってことは……きっとそうだ。
(だったら……どうせ『イヤな奴』で終わるなら、べそべそするんじゃなくて溜まってたもの全部吐き出してやる)
そのほうが自分もすっきりする。このまま何も言わずに、誤解されたまま終わるなんてそんなのはイヤだ。……俺は、あいつらとは違うんだから。
最後ぐらい言いたいことを全部ぶちまけてやったってかまわないだろ。そう思ったとき、俺はようやくキヨシに反論したんだ。
「そんな奴ってどんな奴? キヨシ、俺のことどう思ってたの?」
ふっとキヨシを振り返り、にらみつけるような視線を向けながら問いかける。
「え……」
キヨシは俺が振り返ったことに驚いたのか、それとも俺が突然口を開いたことにびっくりしたのか、目を見開いたまま何も言えなくなる。俺はそれをいいことに、考えるより先に飛び出してくる言葉を勢いに任せて吐き出した。
「どうせ俺のこともそこらへんで遊びまくってる奴だって思ってたんだろ? キヨシと付き合ってるときも、キヨシとおんなじようにいろんな奴とヤリまくってるんだって思ってたんだろ?」
「そ、それは……」
「そうだよな。そう思ってたから怒ってるんだもんな。『自分も遊んでるくせに、俺のことだけ責めんなよ』って言いたいんだろ?」
「────っ」
キヨシの言ったことをそのまま繰り返す俺に、うっと言葉を詰まらせるキヨシ。俺の様子がおかしいことに気づいたのか……いや、そうじゃなくて、「そうだよ」って言いたいんだろうけど俺の視線が痛くて言えないんだろう。
(まだ勘違いしてるんだ。……ホント、ムカつく)
だったらはっきり言ってやるよ。俺は、お前らとは違うんだってことを。
「酔っ払って誰かと寝たことくらい俺にもあるよ。……けど、それは彼氏がいないときだけ」
「え……?」
「俺はキヨシと付き合ってる間、キヨシ以外の男とは1回もヤってない」
「──えっ!?」
俺の言葉がそんなに意外だったのか、キヨシは間の抜けた声を上げる。そのときの顔も本気で驚いてるもので、俺のことを本気で遊び人だと思ってたって教えてくれた。
そんなキヨシに、俺の口はますます激しく動く。
「確かに俺だって遊びまくってたよ。チンコ突っ込まれるだけで気持ちよくなれるくらいには遊んでるよ。AV撮影に興味持つくらいヤるのが好きだよ。
けど俺は彼氏ができたら他の奴とはヤらないんだよ。彼氏だけで十分満足できるからな!」
「──────」
「ヤりたいときに誰とでもヤるお前らと一緒にすんなよ!」
言ってるうちにどんどん頭に血が上って、人前でデカい声で言うのは恥ずかしいようなことまでブチまけてしまう。ああクソ、なんで俺こんなことまで言ってんだろう。
「ジュン……」
俺の言葉に、とっさに何かを言おうと声をかけてくる。だけどもう遅い。こいつの言葉なんて──とりつくろったような言い訳なんて聞きたくない。 「どけよ」
言いたいことを一気にブチまけたらすっきりすると思ったのに、やっぱりなんか泣けてきて。これ以上キヨシのことを見てたらもっとおかしなことを言い出しそうで、俺はイスの脇に立っていたキヨシの身体を押しのけるように払い、デカい音を立ててイスから立ち上がった。
そしてキヨシをシカトして、俺たちの成り行きを見守っていた男に向かって声をかけた。
「もう行こうよ」
「あ? ああ」
男は俺たちのやりとりを聞きながらずっとにやけてたけど、俺が声をかけるとすぐに我に返って立ち上がった。
「ジュン、」
横を通り過ぎようとした瞬間キヨシがもう一度俺に声をかけてきたけど、もちろん振り返るつもりなんてなかった。もうこれ以上言いたいこともないし、何かを言われるのもイヤだった。
「いいの? 元彼なんでしょ?」 出入り口のドアに向かってまっすぐ歩き始めた俺に、俺の横に並んで歩き出した男がキヨシを振り返って俺に聞いてくる。
「あんなやつ、俺には関係ない」
「本当に最低な男だったってわけ?」
「そう。……俺にとってはね」
それきり黙りこむと、男もそれ以上聞いては来なかった。
これで本当に終わりだ。──全部終わったんだ。
胸の中で何度も何度も繰り返して。たった今まで起こっていた悪夢のような時間をすっかりさっぱり忘れるために、俺はその男に身を預けるように肩を寄せた。
そしてその晩、俺は1週間ぶりにセックスしたんだった。……一晩だけの相手と、性欲処理のためだけのセックスを。
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