『男は浮気をする生き物だ』
いったいどこの誰がそんなことを決めたんだ。そんなとんでもないデマが広がったから、世の男たちはますますつけあがって遊ぶようになったんじゃないのか。
女だって浮気する奴はするんだし、『男だからそれが普通なんだ』なんて思って好き勝手やってる奴らを端から殴り飛ばしていきたい。どいつもこいつもいいかげんな言葉を真に受けやがって……!
俺は浮気だけは許せないタイプの人間だ。根っからのホモで、若い頃からけっこう激しく遊びまくってはいるけど、それでも恋人ができればそいつだけで十分満足できる。
もちろん1人の奴とこの先もずっと付き合っていかれるなんて思ってないけど──俺なんてなんのとりえもないから、相手に飽きられて捨てられることばっかだし──別れる理由が『浮気』ってのだけはどうにも許せないんだ。
……そりゃ、好きな奴ができても両想いになれる可能性なんてホント少ないから、片思いしてる段階ではいろんな奴としたりするけど──仕方ないじゃん、俺だって若いんだし。セックス好きなんだからさ。
だけど、今までにも何人かの奴と付き合ってきたけど、恋人がいた期間は他の奴にどんなに誘われたってヤったことはないんだ。本当に、たったの1回もだぜ?
キヨシがそういう奴だったって、見抜けなかった俺が悪いのか? 学習能力のない俺が悪いのか?
だけど恋人ができたら期待するもんだろ? 『こいつは俺だけのものになったんだ』って。相手だって俺と同じように俺のことを想ってくれてるって、そう思うものだろ?
……そりゃ確かにキヨシとは出会いも普通じゃなかったけど────その場の空気で軽々しく『付き合おう』って言われたなんて、そんなふうに思いたくなかったんだ。
キヨシにも、俺と同じように俺のこと……好きでいてほしかったからさ。
「お先に失礼しますー」
「はーい、お疲れー」
いつものようにバイトが終わり、まだ働いているメンバーに声をかけながら店を出ると、俺は家への道ではなく最寄の駅へと向かっていた。
半年ほど続けているコンビニのバイトは夜より昼間のほうが人手が足りなかったらしく(夜は学生が入ることが多いから)、俺のシフトはだいたい昼間から夕方までのことが多い。
だけど夕方に帰っても一人寂しく時間を持て余すだけだし、そういうとき俺はまっすぐ家に帰らずある場所へ行くようになった。それはどこかって──一言で言えば『俺みたいな奴が集まってるところ』だな。
そう。ここから数駅いったところにゲイの集まる一帯があるんだ。それを知ったのは今の家に引っ越してきてからだったけど、人恋しくなったときは自然と足がそっちに向かうようになった。
一時の快感を得るために、毎月バイト代の半分くらい(ていうのは言い過ぎだけど)をその街で使って。たまに彼氏みたいなのもできたけど、うまくいかなくてすぐに別れたりして。
(……もしかして、そういうことを繰り返していくうちに俺もああなっちゃうのかな……。いやいや、あれは元からの性格だ。俺は絶対あんな奴らと同じにはならない!)
この数日、何度も頭の中に浮かんでは打ち消している自問自答を続けながら、俺は電車に飛び乗った。
キヨシと別れて一週間。俺の身体は激しく人肌を求めていた。
「いらっしゃいませ」
「エール」
「はい。少々お待ちください」
好みじゃない相手にはそこまで愛想のよくないバーテンが事務的に応対してくる(客を選ぶなと内心いつもムカついてたりする)。頼んだものを待ちながら、俺はざっと店の中を見回した。
ここは俺が1番よく来るゲイバーで、ワンドリンクにつき1000円取られる。だけどドリンクさえ頼めばチャージ代は必要ないから、あまり金がない学生や俺みたいなフリーターも多いんだ。
それに平日の夕方は会社帰りの社会人もたくさん来ててけっこう混んでるから、相手を見つけやすくてよかったりする。
ここに来るのは1ヶ月ちょっとぶりになる。……でも、まさかまた戻ってくることになるなんて。
「お待たせしました、どうぞ」
「ありがと」
テーブルに1000円札を置き、カウンターの上に並んでいる三色のコースターのうち黄色のコースターを手に取る。そしてドリンクを手に持ってバーカウンターから離れ、誰も座っていないテーブルを見つけて座った。
ドリンクを受け取ったあとはフロアをうろうろしたり好きな席に座ったりできるんだけど、このコースターで自己アピールしていないと声をかけられることはほとんどない(アピールしてても誘われないときは誘われないけど)。
ちなみに黄色のコースターは『自分ネコだからタチ待ってます』ってことで、青いのは『タチだからネコ募集中』、緑が『リバOKだから誰でもこい』ってことになる。俺はバリネコだからいつも黄色だけど、リバの奴はそのときの気分で色を変えているらしい。
こういうシステムの店ってそんなにないけど(サウナとかだとよく聞くけど)、俺みたいに自分から誰かに話しかけることができない奴にはすごくありがたいものだったりする。……ヤれる相手を探してるときは、特に。
俺は自分の身体にすごくコンプレックスがあるから(背も低いし痩せすぎてるし、顔も十人並みなんて普通にモテないだろ)、とにかく声をかけてきてくれる相手を待つことしかできない。それでたとえ相手が『好みの奴もいないし、あいつでいっか』くらいに思って声をかけてきたにしても、よっぽど好みから外れていない限り誘いを断らない(ものすごいデブと、ものすごいブサイクだけは生理的に受けつけないんだよな)。
だから今日も、ドリンクを飲み干すまでに声がかからなかったら帰ろうと思ってたんだけど──イスに座ってエールを一口飲んだとき、
「ここ、いい?」
と早速声をかけられた。幸先がいいと言っていい……のか?
「どうぞ」
その声に答えながら顔を上げると、スーツを着た男が俺の顔を覗き込むように身体を屈ながら隣のイスに座ってきた。
見た目若く見えるけど、たぶん30代だろう。大人の余裕みたいなのが仕種ににじみ出てる気がするし。
「1人?」
「はい」
「じゃあ、とりあえず乾杯でもする? 俺も1人で寂しかったからお近づきのしるしに」
琥珀色の酒が入ったショットグラスを持った手が俺の手元に近づいてきて、俺も反射的にグラスを握る。
「乾杯」
「カンパイ……」
にこやかにグラスを合わせられて、相手が持っていたグラスをあおる。めったにないカンパイにあっけに取られた俺も、相手に合わせるようにグラスに口をつけた。
そのとき視線だけを動かして、テーブルに置かれていた男の手元をチラリと見る。……コースターの色は青だ。
「ここにはよく来るの?」
「前はよく来てたけど……1ヶ月ぶりくらい」
「そう。来なかった1ヶ月は──って、聞いちゃっていいのかな」
「いいですよ。彼氏がいたから来なかったんです」
「へえ。てことは、彼氏が遊んじゃ駄目だって言ったから来なかったの?」
「そうじゃないけど。別に来る必要もなかったから」
「そっか。そりゃ相当イイ彼だったんだね」
他愛ない世間話をするように探りを入れてくる。声をかけられるとたいていこんなふうにいろいろ聞かれるけど、自分から話題を振らなくて済むから、よっぽど答えたくないこと以外は返事をするようにしてる。
それにこうして話してるだけで、相手がどんな奴かもわかるからちょうどいい。──こいつもあいつらと同じ、『恋人がいても他の奴と遊べる人種』だ。
「で、1ヶ月ぶりにここに来たのはどうして?」
「彼氏にフラれたんで(正確にはフッたんだけど)」
「そうなの? 君みたいな子を振るなんて、よっぽどどうかしてる男だね」
「そんなことないですよ。俺なんてつまんない奴ですから」
相手の言葉に瞬時に答え、自分の言葉に深く落ち込む。そうだ……俺がつまらない男だったから、キヨシも他で遊んでたのかもしれない。
俺の身体だけじゃ満足できなくて…………だから他の奴と…………。
「それで今日は? 気晴らしに飲みに来ただけ?」
俺のテンションが下がったのに気づいたのか、男は唐突に話題を切り替えた。
「……それとも、それ以上を求めて来たの?」
グラスを握り締めていた手を上から握ってきて、軽くトーンの落ちた声が囁くように聞いてくる。……目的がわかりやすい男はラクでいい。
「……もちろん、身体を満たしたくて」
「そう。じゃあ、今夜の相手は俺なんかどう?」
イスの上で身体をずらし、男が俺の顔に顔を近づけてくる。そのまま軽く音を立ててキスをされ(ディープなのはもちろんダメだけど、挨拶程度のキスならみんな普通にしてるんだ)、至近距離で見つめられる。
……よく見ればガタイもそれなりに良さそうだし、しつこく求めても応えてくれるだろう。今夜は──すごく激しくしてほしかった。
「────」
いいですよ。そう答えようとした瞬間突然肩を掴まれ、男との顔の距離が一気に開くほど強く身体を反転させられた。
「ジュンっ!」
そして名前まで呼ばれて──その声がつい最近聞いたもののような気がして、俺の心臓は不自然に跳ね上がった。
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