お前ら本気の恋をしろ!

─ 2 ─




「キヨシいるかなぁ」
 付き合い始めてから1ヶ月。俺たちはお互いの家の合鍵を持つまでの仲になっていた。
 最初はどんなことになるかと思ってたけど、俺たちの付き合いはいたって順調だ。お互いフリーターだからバイトで時間が合わないことも多いけど、それでも週に3日以上は会ってるし、会ったときは必ずセックスする。付き合い始めたきっかけがアレなんて信じられないくらいだ。
 ……ただ、ときどき電話やメールをしても返事が返ってこないことがあって…………そんな些細なことで妙に不安になったりするんだけど。
 周りの奴に言わせると俺ってだいぶ『独占欲』の強い人間らしいから、過剰に心配しすぎてるだけなんだけどさ。


 古いアパートにたどり着き、チャイムなんてついてない古いドアをノックした。
「キヨシー、いるー?」
 一応声をかけてみるものの、中には誰もいないんだろうと合鍵を取り出した。すぐに返事が返ってこないってことは、キヨシはいないってことだといつも解釈してるから。
 最近はキヨシに連絡しないで遊びに来ることも多くなってた。キヨシのバイトは夜までのことが多いから、俺がバイト終わって連絡しても出ないことが多いし。
 キヨシも別に怒らないし、恋人同士なら問題ないだろ?
「んーと、カギカギ」
 コンビニで買い込んだ酒やつまみ、弁当の入ったデカい袋がジャマしてなかなかカギが取り出せなくて、もたつきながらポケットからカギを出して。
 だけど俺の予想に反して、カギを差そうとした瞬間中からドアが開いたんだ。
「おう、ジュン」
「あれ? キヨシいたの」
「あ、ああっ」
 今日バイトじゃなかったの? そう聞こうとして、キヨシの様子がおかしいことに気づく。
 乱れた服。走ったあとみたいに少し息が切れて、額には汗までかいてる。……激しくイヤな予感。
「……入っていい?」
「あっ、とー……今ちょっと散らかっててさ」
「そんなのいつものことじゃん」
「そうなんだけどさ、あっ、おい!」
 キヨシの声を聞き流し、俺はキヨシの身体の脇をすり抜けて家の中に入った。
 ──足元に見たことがない靴がある。キヨシのにしちゃ小さい。
(まさか)
 そんなはずない。そう思いたい。
 だけどそんな俺をあざ笑うように、部屋の中には受け入れがたい現実が待ち構えていた。
「どうしたの? って、わ……っ」
 てっきりキヨシが戻ってきたと思ったらしいそいつは、俺と目が合うとぎょっとした顔になった。
「────」
 ベッドの中にいるそいつは当然のように何も着てなくて。むんとこもったような部屋の空気も、たった今まで行われていたコトを証明しているようなものだった。
 目の当たりにしたら激しく驚くような現場。けど、俺が1番驚いたのは──俺自身のマヌケな言葉。
「……なんでぇ?」
 怒りでも失望でもない、例えていうなら──そうだ、『ご飯』を炊いたつもりだったのに、完成してみたら『おかゆ』になってたときみたいな(例えがおかしいか?)──思わぬ事態に直面して出るようなマヌケな声。
 あまりに突然すぎることに脳ミソがついていかなかったのかもしれないけど、緊張感のかけらもない自分の声がもわ〜んと部屋に響くのを俺は呆然と聞いていた。
「どちらさん?」
 ベッドにいた男は俺たちよりかなり年上に見えた。だけどキヨシと同じくらいカッコいい男で、俺なんかよりずっとキヨシの隣にいるのが自然に見える奴で(……どうせ俺は十人並みの顔だ。背だって男にしたら低い部類だしな)。
 しかも、突然の第三者の登場にもすぐに立ち直って、そんな声をかけてこれるほど図太い神経を持った奴だった。……つまりこいつもキヨシと同じ部類の人間ってことなんだろう。
「あのさ、これは──」
 俺のあとを追ってきたらしいキヨシが、何かを言おうと俺に近づいてくる。その瞬間、俺の思考はようやくまともに動き出した。
「おじゃましました」
 俺の肩に触るつもりだったのか、手を伸ばしてきていたキヨシをかわして足早に玄関に向かう。
「──っ、」
 そこに並んで置かれていたキヨシの靴と見知らぬ男の靴を外に蹴り出したい衝動を必死に抑えて、自分の靴を爪先に引っ掛ける程度に履いて外に飛び出す。
「おいジュン! 待てって!」
 キヨシの声が家の中から聞こえてきたけど、もちろん戻るつもりなんてなかった。ドア閉めなかったけど──知ったことか。
 喘ぐように息をしながら来た道を小走りに戻る。手に持っていたコンビニの袋がガチャガチャと大きな音を立てて、その音が気に障ったのか通り過ぎた人たちが俺を振り返ってるみたいだった。だけど俺にはそんなものを気にする余裕なんてない。
(なんだこれ。……なんだこれ?)
 あのときのリプレイ? それとも単なるデジャヴ? ──いや、そんなのどうだっていい。
「キヨシもそうだったなんて……!!」
 呟いた自分の声がひどく耳障りで、俺はさらに大きな音を立てて袋を振りながら歩いた。


『男なんだから、恋人がいたって遊ぶのはフツーだろ?』
 あいつはそんなことを言った。
『お前だって俺以外の奴とヤってんだろ? わかってるって』
「お前の行動はお見通し」みたいな顔で、そんなことを言いやがった。
 しまいには、
『お前も混ざるか? こいつどっちもできる奴だから、俺たち2人で楽しませてやるぜ?』
 そんなことまで言って。

 あのときに思ったはずだった。『恋人選びは慎重にしよう』って。
 なのにまた同じ目に合おうとしてる。俺は、男を見る目がなさ過ぎるのか……?


 自分の家に帰ってきた俺は手に持っていたコンビニ袋をテーブルに開け、ごろごろと転がってきたビールの缶を片っ端から開けて飲みまくった。あいつが好きだからと思って買った芋焼酎も──ビンに口をつけて一気に飲んだ。
 酒は強いほうじゃないけど、今日はどんだけ飲んでも酔えそうになかった。むしろ飲めば飲むほど頭の芯が冴えてるような気までして、嫌なことを山ほど考え出しそうな思考が怖くてさらに飲んだ。
 そうして一人の酒盛りを続けているとき、突然携帯が鳴り出した。
 着信音は『キヨシから電話だよー』と教えてくれている。
「…………」
 出たくない。出たら聞きたくない言葉を聞かされる。
 でも、出ないまま自然消滅的に終わるのもすっげーシャクだ。そんなことをしたら俺はずっとキヨシのことを引きずっちまうだろうし。
 ……そうだ。この曲を聴くのもこれが最後なんだから。
「──もしもし」
『あ、ジュン? 俺』
「……なに?」
『あのさ、さっきは悪かったな』
「何が?」
『何がって、その……』
 短い返事しか返さない俺が相当怒ってるとわかったのか、珍しくキヨシが口ごもる。そういえば俺たちケンカって1度もしてなかったな。……まだ1ヶ月しか付き合ってなかったしな。
『…………』
「キヨシ? なに黙っちゃってんの? 何か言いたいことがあったんだろ?」
『や、そう、なんだけど──』
「はっきり言いなよ」
 投げやりな声。自分でも久しぶりに聞いた声。
 ふいに流した視界にキヨシの家のカギが飛び込んできた。……無性に腹が立ってくる。
『その、さ。さっきのあいつは……飲みに行った店で会ってちょうど隣に座ってて……話してるうちに意気投合して、金がなかったから俺ん家で飲みなおすかって話になって……』
「ふーん」
『よ、よくあることだろ? 酔っ払ってそのままヤっちまうなんてさ。お前にも経験あるだろ?』
「そうだね」
 けど俺の場合、そういうことがあるのはフリーのときだけだ。
 なのにキヨシの奴は、俺の返事を自分の都合のいいように解釈したらしくて。
『そ、そうだろ? そうだよな、よくあることだよなっ』
 俺が同意したことでようやくほっとしたのか、キヨシの声が急に明るくなる。俺の気も知らないで……!
 俺は込み上げてくる怒りを押し殺して、平然を装って聞いてみた。自分の怒りを増長させるようなことを。
「ちなみに俺と付き合いだして、あいつが何人目?」
『え?』
「俺以外に寝た奴。あいつで何人目?」
『何人目って……』
「はっきり言いなよ。別に気にしないから」
 1人だろうと2人だろうと、相手が何人でも同じことなんだから。
 ……だけど気になるからとりあえず聞いてみた。それだけのことだ。
 けどキヨシの返事は、俺の予想をはるかに上回るものだった。
『に、20人目……くらい……?』
「!!!!」
『た、たぶんだぜ? あっ、サウナとかでちょっと遊んだ奴もいれた数だからなっ?』
 言うに事欠いて20人!? 俺とだって週3日はヤってたってのに!? どんなペースでヤれば1ヶ月でそんだけの人数とヤれるんだよ!!
「あっそ……」
(なんだ。やっぱキヨシも『そう』なんだ)
 そう思った途端、頭に上っていた血が一気に引いた気がした。
『ジュン、』
「別れよ」
『──え?』
「もう会わない。バイバイ」
『えっ!? おい、ジュ──』
 これ以上言い訳じみた言葉なんて聞きたくなくて、俺はキヨシの声をぶった切るために電話を切った。ついでにそのまま電源を落としてしまう。
 俺が電話を切る直前に焦ったような声を上げたけど、キヨシだってきっと「なんだよこいつ」くらいにしか思わなくて──すぐに俺のことなんか忘れちまうんだろう。そんでまた他の奴と楽しむんだろう。
「ちくしょ……!」
 持っていたビールの缶を握りつぶしながら、目の淵から零れそうになっていた水を拭う。泣くことなんかない。泣いたらダメだ、自分がみじめになるだけだ。
 ──だけど。
「なんでこうなるんだよ……なんで俺だけじゃダメなんだよ……!」
 苦しい、悔しい、悲しい気持ちを吐き出さずにはいられなくて……酒の力で暴走した感情を持て余した俺は、結局その夜号泣したんだった。


= 3 =

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