飢えた泉

─ act.5 ─




[.

「俺の母親はある男の内縁の妻だった。……内縁の妻ってわかるだろ? 平たく言えば『愛人』ってことだ。
 しかもその相手の男ってのが、俺が生まれるときにはもう60過ぎてたんだぜ? どっかの会社の社長だったらしいけど、よっぽど好色だったんだろうな。
 俺はその父親ってのと一度も会ったことがないんだ。母親とはたまに会ってたらしいけど、俺が生まれてから俺たちの家に来ることは一度もなかったらしいからな。一応俺のことは認知したみたいだけど、だからって父親らしいことをしてくれたことは一度もなかった。

 その父親が、俺が中学に上がった年に死んだんだ。もちろん俺や俺の母親は葬式に出なかったけど、その父親が俺たちにも──正確には俺の母親にだけど──遺産を残していて、本妻の子供と一悶着あったりした。
 俺の母親は父親の死ですっかり気を落として、しかも遺産問題に巻き込まれてさらに心労を患っていたみたいでさ。俺が気づいたときには、まともな考え方なんてこれっぽっちもできなくなってた。

 ……だって、実の息子に『抱いてくれ』って迫ってくるんだぜ? 毎晩毎晩下着姿で部屋の前に立ってさ。酷いときには俺が居間でテレビ見てるときに全裸で風呂から出てきたりして──気が狂ったんじゃないかって本気で心配したよ。
 もちろんそんなこと言われたって受け入れられるわけないだろ。いくら俺が思春期の少年だって、血の繋がった母親相手にしたいと思うほど切羽詰ってたわけじゃないし。
 仕方ないから、夜は自分の部屋に鍵をかけて篭って、なるべく母親と顔を合わせないで済ませるようにしたんだ」


『ガチャガチャッ』


「今でも覚えてるよ。開くはずのないドアのノブを母親が必死に回し続ける音を。しかもノブを回しながら変な声を上げたりしてるんだ。
 ──ああ、変な声ってアレだぜ。オナニーしてる声。母親の喘ぎ声なんて気持ち悪いだけで、俺も不眠症になりそうだったよ。
 だけどそこまで俺が拒絶してたら、今度は他の奴らに手を出し始めて……俺の担任やら先輩やら、果てには同級生とか手当たり次第だぜ?
 家に帰ると母親と友達のやってる声が聞こえてくるなんてのもしょっちゅうで、ホントに参ったよ。

 …………ホント、そんなのを聞き続けるくらいなら──って思っちゃってさ、…………俺も抱いてやったよ、そいつらと同じように。いや、違うか。俺の場合は血が繋がってるんだから『近親相姦』だな。
 でも、後ろめたい気持ちなんてこれっぽっちも持たないまんまで、毎日のようにやりまくってたな……」

『純也、好きよ、純也』

「……浅はかな女だよ。自分の息子を愛する気持ちを恋愛感情と勘違いしてさ。『ずっと純也に抱いて欲しかった、純也が世界で1番好きだから』とかほざきやがって。本気でそんなことを思ってたんなら、それこそ精神異常者だ」

『母さん……!』

「……だけど、抱くたびに俺もおかしな気持ちになってきてさ……。『他の奴らにやらせるくらいなら、最初からこうしてやればよかった』とか考えたりして。
 ──もちろん『こんなことを続けちゃいけない』って気持ちもあったから、必死に抵抗しようとした。だけど…………」

『純也はどこにも行かないわよね……?』

「そのたびに母親が俺を引き止めるようなことを言って……」

『だってもう、どこにも行けない身体だものね……』

「まるでそれが呪いの呪文のようで、俺にはどうすることもできなくなった。
 ……まだガキだったから『逃げる』ってことが相当大変なことのような気がしてたんだよな。本当は楽なことだったのにさ」


『純也? どうして出て行くの? お母さんを捨てるの……!?』

「俺が狂った母親から解放されたのは、大学進学で家を出ることになったとき。それまでの5年半、俺は何百回となく母親を抱いたんだ。
 そのせいだったのかはわからないが、やっと母親から解放されて同年代の女の子たちと付き合ったとき──俺はその子たちに欲情できなくなっていた。女の身体を見ても反応しなくなっちまったんだ。
 ……あのときはショックだったよ。母親が俺を呪い続けてるのかって本気で考えたくらいさ。もちろんそういうわけじゃなくて、俺が精神的に駄目になってるんだってことはわかってたけど、その事実を受け入れることなんてできなくて。
 必死で足掻いて、何度もトライして──だけど結局一度もうまくいかなかった。
 そんなときに、大学で世話になってた教授が声をかけてきて────」

『悩みがあるならなんでも打ち明けてくれよ。私は君の笑っている顔が好きなんだ』

「包容力……っていうのかな。俺にはずっと馴染みのなかった、頼りになる大人の男の余裕みたいなものを与えられて…………自分が癒されていくような気がしたんだ。『父親』っていうのはきっとこんな感じなんだろうって。
 だから、その教授に身体を求められたときも……それがごく普通の──自然のことのように思えて、拒絶せずに受け入れている自分がいた」

『いい子だね、純也。ほら、君はちゃんと反応してるよ。おかしなところなんてないんだよ』

「自分でも驚いたよ。それまで女相手じゃ全然勃たなかったのに、その教授にちょっと握られただけでデカくなって────しかもケツを掘られて気持ちいいんだぜ?
 あっという間に夢中になったよ。しょせん人間なんて性欲に支配されてる生き物ってことなんだろうな。

 だけどその教授との行為を続けていくうちに、俺は自分がどんどん不安に冒されていくのを感じていた」

『悪いな、今日は妻の誕生日なんだ』
『娘が私のために料理を作ってくれているようなんだ。すぐに帰らないとまずい』


「教授は愛妻家としても有名で、俺と関係している間にも家族で過ごす時間はしっかり取っていた。俺がどんなに頼んでも、家族との約束を反故にしてまで俺を優先してくれることは一度もなかった。
 そのうちに俺も意地になって、なんとかして教授を俺のところに引き止めようとして……慣れない誘い文句や身体でのアプローチで自分の存在をアピールしたんだ。今考えると自分の馬鹿さ加減に呆れるよ。
 教授もそんな俺に呆れたように笑ってさ…………」

『純也、これは大人の駆け引きだよ。ほんの一時、家族や世間から隔離された場所で楽しむための関係さ』

「──そのときになって俺はようやく気づいたんだ。教授にとって、俺はただの愛人に過ぎなかったってことを。
 俺の母親を愛人にしていた俺の父親と同じように、ときどき触れ合える程度の関係を続けたがってるんだってことを。
 それに気づいたとき、俺の中の熱が一気に冷めて……俺は教授との関係を終わらせたんだ。

 だけど、教授と別れてからすぐに付き合いだした相手もまた男で──結局身体が反応しなくて女とは付き合えなくてさ──しかもまた妻子持ちの、自分よりずっと年上の奴で。
 最初はそれでもいいと思った。傍にいるだけで落ち着いたし、俺の性欲も満たしてくれたし。
 それなのに、付き合う期間が長くなればなるほど不安になって、関係を続けるのが苦しくなって……一度そう思い始めるとどうしようもなくて、そいつとも別れた」


『俺が欲しいのはこんな関係じゃない! 片手間の付き合いなんて嫌だ、俺は──俺はただ1人が欲しいんだ。俺だけを見ていてくれる奴が…………』


「でも、俺が求めてるものなんてそんなに容易く手に入るもんじゃないからさ。……包容力のある大人の男で一人身なんて奴はそういないからな。
 結局似たようなことをずっと繰り返してきて、今はあの専務と付き合ってるんだ。──もう潮時だと思ってるけどさ。


 最近特に思うよ。俺は母親そっくりだったんだって。
 他に大事なものがある相手を好きになって、決して手に入らない相手のすべてを欲しがって、躍起になって──自滅して。
 あの女のみっともない血が、俺の中にもしっかり流れてるんだ。……そう思うと情けなくなってくるよ。
 だけど、母親とは違う生き方をしたいのに、どうすれば普通の幸せが手に入るのかわからないんだ……俺は。


 このまま……俺は一生誰かの二番目なのかな。
 なあ、お前はどう思う? ────清水」