オヤジ40歳・初めての経験
【前編】


 その日、私は初めて男を買った。

 それまで行きたくて行きたくてしょうがなかったその場所──彼らの間では『ハッテン場』と呼ばれているらしい──人気の少ない公園に足を踏み入れ、高鳴る胸を抑えつつ人待ち顔で立っていた青年に声をかけた。
 青年はきょろきょろと辺りを見回してはいたが、誰かと待ち合わせをしていたわけではないらしく(待ち合わせならばしきりと時間を気にして時計を見るはずだろう)、私の誘いに二つ返事でOKと答えて。
 そのまま私たちは、近くのラブホテルへ入ったのだった。

 青年もこういったことには慣れていなかったようで、金額の相場を尋ねると、
「俺にもわからないのでお好きな額でいいですよ」
 と言われてしまった。
 私もどうすればいいのかわからず(もっと勉強してから行くべきだった)、少なすぎるかと思いつつとりあえず3万を渡してみると、彼は驚いたように目を見張っていた。
「君はどこまでしてくれるの?」
 恐る恐る尋ねた私に、
「3万もいただきましたから、あなたの要求に従います」
 と真摯な顔で答えてくれた。……その言葉に、私が大きな期待を抱いてしまったことは想像に難くないだろう。
 だが、私の表情を見て慌てたように
「あの、……ノーマルプレイだけでお願いしたいんですが」
 なにやら不安にさせてしまったようで、そう言いつけ加えてきた。そんなふうに言われなくても、きっと私も特殊プレイをしたいと望んだりはしなかっただろうが。
 ──そうして契約が結ばれたところで、ゆっくり行為は始まった。

 自分の身体を見られるのが恥ずかしく、本当は一緒に入りたかったのだが別々にシャワーを済ませた。
 すでに金を渡してしまっていたため、もしかしたら私がシャワーを浴びている間に彼が逃げてしまうのではないかと不安になったが、私の心配をよそに先にシャワーを浴びた彼はベッドで横になったまま私を待っていてくれた。
 バスタオルを腰に巻いたままの肉体はそこかしこにしっかりとした筋肉がついていて、まさしく私の理想とするものだった。
「何かスポーツをやってるの?」
「大学でレスリングをやってます」
「そうか。……すごい筋肉だね」
「…………どうも」
 私の発言があまりに奇抜なものだったのか、彼はほんの少し引いてしまったようだ。だが、私の欲望はすでに押さえられないところまできていた。
「タオルをとって、全部見せてくれるかい」
 盛り上がる筋肉に早く触れたかったが、その前に全部見たいという気持ちが勝り、ベッドに近づきながら青年に要求した。彼は一瞬ためらったようだが、体育会系の潔さを発揮しすぐにタオルを取り去ってその部分を私の眼前に露見した。
「おお…………」
 思わずそんな声が唇から洩れてしまう。こうしてまじまじと他人のペニスを見るのは初めてで、いいようのない興奮が私の息を乱しはじめる。
 真っ黒い陰毛の茂みに包まれるペニス。閉じられた足に添うように横たわってはいたが、平常時でも大きいのがよくわかる。
(すごい……これが今夜は私だけのものなんて……!)
 脳裏に浮かぶ妄想の数々が私の欲求をさらに高める。ああ、今まで夢に見ていたことが今夜全部実現するなんて!!
 私はその場所から目を離さないままじりじりとベッドに這い上がり、激しいためらいを押し殺して彼の肌に手を伸ばした。情けなく震えてしまう指先が彼の肌に触れた時、彼が小さく息を呑むのが聞こえた。
「気持ち悪い?」
 思わず手を引っ込めて聞くと、彼は
「いえ、大丈夫です。ちょっと驚いちゃって……」
 苦笑するようにそう言って、布団の上で何度かもぞもぞと動くと「どうぞ」と再び私の前に惜し気もなくその身体を晒した。
「じゃあ……触らせてもらうね」
 ノーマルな人間ならば、同性に肌を撫で回されるなど気色悪いだけだろう。だが、彼は私に自分の身体を売り、私は彼の身体を買ったのだ。遠慮しなければならないことなど何もない。
 もう一度伸ばした掌をまずは脇腹に置き、見事に割れた腹筋を探るように指先を動かす。そこからゆっくりと手を移動させ、盛り上がった胸を揉んだ。
 小さな乳首がぴくぴくと動く様が卑猥で、思わず爪の先で引っ掻いてしまったが、彼は別段嫌がる素振りも見せなかった。そのことにさらに調子に乗った私は、一度でいいから触ってみたかった他人の腋の下に手を差し入れた。ごわごわした感触がたまらなく気持ちいい……。
「君のような身体だったら、どんな人も満足するだろうね」
 どこもかしこも鍛えられていて太く、生えるべきところの体毛は濃い。発せられる声すらセクシーだなんて、世の中はどうしてこうも不公平なのだろうか。
「そんなことないですよ。だいたいの女の子は筋肉のつきすぎた身体は好きじゃないみたいですから。気味悪がられることのほうが多いです」
 はにかんだような顔で彼が笑う。私の手つきがくすぐったいのか、時折唇の端がぴくりと動く。その動きすら私には刺激的なものでしかない。
「そういえば……名前を聞いていなかったね。聞いてもいいかい?」
 今すぐ手で触れている場所すべてに唇を押しつけて舌で舐め回したかったが、とてもそんな勇気はなく、もっと彼との距離を近付けようと明るい声を装って聞いてみた。
「コウタです。……あなたは?」
「私は峰雄…………坂井だ」
 彼につられて私まで名前を名乗ってしまったが、この年になってまで『名前を呼んで欲しい』などという希望を持っていると知られるのが恥ずかしく、咄嗟に言い直してしまう。……結局彼にフルネームを名乗ってしまったことになるが。
「峰雄さんですね」
 しかし彼は私の希望など知り得ないのにそんなふうに呼んでくれて、私の心は天よりも高く舞い上がってしまったようだった。
「もっと触っていいかい?」
「ええ、どうぞ」
「──舐めても、いいかい?」
「もちろんですよ。お好きにしてください」
 何かするごとにいちいち聞く私に呆れたのか、彼が小さく笑うのが聞こえた。恥ずかしくて全身から火が出ているようだ。
 だが、恥ずかしさよりももっとずっと強い感情に突き動かされて、私の身体は動き始めた。これ以上1分たりとも我慢できなくて。
 両の掌で彼の太い腕に触れ、血管の感触に胸を踊らせながら顔を近付けて舌を伸ばす。どくん、どくんと脈打つ様子が舌先にまで伝わってきて、思わず歯を立てたい欲求に駆られてしまう。……そんなことをしたら彼に殴られてしまうだろうからやめたが。
 そこからだんだん舌を動かして、胸や乳首、脇腹や臍などを無我夢中で舐めた。
(ああこれだ、私の求めていたものは…………!!)
 舌を跳ね返すほど弾力があるのに滑らかで、まるで舌が吸いつくようだ。生身の人間の肌を舐めることがこんなに気持ちいいなんて!
 彼の肌は汗をかきはじめているのか、舌を這わせるたびに塩辛い味が口の中に広がる。それがたまらなくおいしい。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
 開きっぱなしの口ではうまく呼吸ができず、みっともなく息を乱しながらさらに舐め回す。彼の身体の上をゆっくりと下がってきたが、臍の下から先に進むのがためらわれて顔を上げてしまった。
(これが他人のペニス……)
 銭湯や温泉に行くことはあったが、他人のペニスをまじまじと見ることができるほど私の度胸は座っていない。だからこうして見るのは初めてのことだ。ましてやこんなに間近に仰ぎ見るなど……まるで夢のようだ。
 私が彼の身体を撫でたり舐めたりしていたせいか、彼のペニスは先ほどと比べるとほんの少しだけ膨張しているようだった。しかし勃起には全然至っておらず、凛々しくそそり立った姿が見たいという思いが脳裏に浮かんだ。
(触りたい……舐めてしゃぶって大きくしたい……!)
 欲望はとめどなく膨らんでいく。──が、今までセックスの経験がない私にはそれを実行するきっかけが掴めない。さっきまでのように『フェラチオしていいかい?』と聞くのも、笑われたあとではなんとなく言い出しにくい。
「…………っ」
 舐めることも、手で触れることさえ躊躇われ、私の視線と両手は行き場を失い宙をさまよう。だが、彼はすぐにそのことに気づいたらしく、今度ははっきりと音を出して笑うと(そんなに大きくはなかったが)、私に見せつけるようにして自分のペニスを握った。
「ここも好きにしてくださっていいんですよ。なんなら扱いて立たせますけど」
 筒を持つようにペニスを包み、しゅっしゅっと肌を摩擦する音をさせて手を上下させる。掌が走らない尖端部がぴくぴくと揺れ、やがて幹も大きくなっていく。
「あぁ…………」
 そんなに時間もかからずに太くずっしりとした幹が現れ、カリの部分が横に張り出してくる。急激に角度を変えていくペニスは、よく例えられるように象が鼻を伸ばしたかのようだった。
「勃ちましたよ」
 そう言って彼が手を離したそれは薄明かりに照らされて亀頭がつややかに光り輝いていて。
「すごい……」
 実は私のペニスもベッドに上がったときから完全に勃起していたのだが、それと彼のペニスでは長さも太さも硬さも比べものにならない。……同じ男として恥ずかしい。
「どうぞ、触ってみてください」
 金のためだと自身に言い聞かせ吹っ切れたのか、彼はくいっと軽く腰を突き出して『好きにしてくれ』とばかりにペニスを突き出してきた。勃起したペニスは振動でぶるんと横に振れたが、次の瞬間には再び直立の態勢となる。私のものと違って皮がたるんでいない丸い睾丸(キ○タマというのは非常に恥ずかしいと思う)も手触りがよさそうで──
(ここでやらずしてどこでやれるというのだ! こんな機会はまたあるかどうかもわからないんだぞ!?)
 私は怖気づいていた心を奮い立たせ、両手を伸ばすと彼のペニスに触れた。……長年恋焦がれていた、逞しい男の男根に。
「ああ……っ」
 その瞬間、半開きとなっていた私の唇からは上擦った声が洩れ、目の前が滲んでうまく見えなくなってしまった。……そう、あまりの感動に私は涙していたのだ。
(これが私の求めていたもの……!!)
 今まで40年間否定し続けてきたが、やはり嗜好を変えることなどできない。私はこれが……男の象徴であるペニスが狂おしいほど好きなのだ。きっと、この世の中で何よりも!!
 記念すべき初めてのペニスの感触は、新種の生き物に触ったような奇妙な高揚感と興奮を私にもたらした。そしてすぐに触れているだけでは満足できなくなってきて、夢中でペニスにむしゃぶりついている自分がいた。
「ふぁ、んっ……」
 舌の根元までを使って幹の根元から裏筋、カリの窪みや先端までを舐め回す。先ほど味わった上半身の肌とは少し質の違う薄めの皮膚は高い熱を発していて、私の唾液などすぐに乾いてしまう。
 舌先から伝わってくる刺激は股間を中心に全身へと広がっていったが、もっともっと満たされたいという気持ちが急激に募り、がむしゃらに亀頭を口中に含んだ。
 隙間がなくなるほど強く吸い上げてゆっくりと顔を上下に動かす。張り出したカリが歯に当たってしまいそうで怖かったが、動きを続けていると強い快感に恐怖心さえ吹き飛んでいく。
 片手でペニスの根元、片手で睾丸を掌で転がすように握り、夢見心地で拙過ぎる愛撫を続けた。
「んっ、んっ・んっ・んっ」
(すごい……すごい……!)
 いつも雑誌やビデオでしか見ることができなかったもの。間近に見ることさえ夢だったのに、愛撫までしているなんて……もう、今この瞬間に死んでもいい!!
「んっ……」
 コウタと名乗った青年は、私が加えているペニスへの刺激に声を洩らした。その声に思わず視線だけを上げると、彼は目を閉じて軽く眉間を寄せていた。
 その表情が、すごく男らしいのにすごく扇情的で、私はずっと目をそらすことができなくて──視線を感じたのか彼がゆっくり目を開けたときも、彼のペニスを舌で扱きながら彼を見上げていたのだった。
「……どうですか?」
 私の顔がおかしかったのか、それとも照れ隠しか。彼は沈黙を厭うように私に話しかけてきて、名残惜しく感じつつ返事をするために口からペニスを引き抜いた。口中に溜まっていた唾液が唇の端から零れ、それがわかっているのに拭う気になれない。……もったいなくて。
「おいしいよ、すごく……」
 舐めとってしまおうかどうしようかと考えていたせいか、彼の問いにそんな答えを返している自分がいて。はっと我に返り彼がなんともいえない表情をしているのに気づき、今のは失言だったと触れていた彼の身体から身を離した。
「──ごめん。そんなこと言われても気持ち悪いだけだよね」
 彼はノーマルな人間で、私とこうしているのは金のためなのだと思い出し慌てて謝ると、客に気を遣ってくれたのか「いえ」と短く答えてくれる。
 だが、その短いやりとりで昂まり始めていたその場の空気が変わってしまったのを私は感じた。──きっと彼も感じただろう。何事もなかったかのように身体を倒し、再びフェラチオを続けることもできず、私は途方に暮れる。
「…………」
「…………」
 全裸で勃起したペニスを互いに晒し合い、黙り込む2人のなんと滑稽なことか。だが、気まずくなった雰囲気を元に戻したいと良い方法を考えようと試みても、いい案など浮かんではこなくて。
(やっぱり私はバカだ……)
 彼を欲しいと思う気持ちばかりが膨らんで、1人で空回りしている自分が情けなくなってしまう。きっと彼も、要領も手際も悪い私に呆れていることだろう。
 このままではダメだ…………そう考えた私は、混乱した頭で唯一思いついたこと──情けなくも、自分の性遍歴について事実を打ち明けることにした。それを言うことで、もしかしたら彼がリードしてくれるかも……などと、淡い期待を胸に抱きつつ。
「ごめん、今まで黙っていたけれど……」
「なんですか?」
「……実は私は、その…………今までにセックスをしたことがないんだ」
「…………えっ?」
「こんな年になって恥ずかしい話だが、自分がゲイだということを隠していたから相手も見つからなかったし、もともと小心者だったから出会いを求めることさえできなくて……男性とも、もちろん女性とも経験がないんだ」
「そ……そうなんですか」
 彼にとっては相当驚くべきことだったのだろう、そう言って絶句してしまう。確かに、齢40にもなる独身男が風俗遊びもせずまったくの未経験だなんて、今時の若者には信じられないだろう。
「そういうことだから、……………………場の空気が読めなくて、変なことを言ってしまってごめん」
 こんなことを謝られても彼が困るだけだとわかっている。わかってはいるが、私の言動で彼を不愉快にしてしまったのだとしたら本当に申し訳なくて(例え金で買った相手でも)、深々と頭を下げた。
「…………」
 彼は私の告白に戸惑ったような表情をみせる。その顔を見て、彼を困惑させただけだったとすぐに後悔したとき。
「──じゃあ、俺にして欲しいこととかあったら言ってください」
 薄明かりに照らされてできた彼の影を見つめていた私に、彼はそんなふうに言ってくれたのだ。
「い、いいのかい?」
「ええ。峰雄さんにお金をいただいたときからそのつもりでしたから」
 律儀な性格をしているのか、一度決意したことを曲げるつもりはないとでも言うように力強い声がはっきり言い切ってくれる。もしかしたら私は、とんでもない好青年を見つることができたのかもしれない。
 フェラチオしていたときに彼のペニスが先走りを吐き出していたのか、口の中に溜まっていた苦いような唾液を飲み下し、彼が今の言葉を撤回する前にと早速願いを口にしたのだった。
「だ…………抱き締めてもらっても、いいかい?」
 声が掠れてしまったが、私の要求をしっかりと聞きとめてくれたらしく、彼は「はい」と軽く頷いて私の方へとにじり寄ってきて──私の身体を囲い込むように両手を大きく広げると、すっぽりとその腕の中に閉じ込めた。
「あ……」
 骨ばった私の身体を彼の力強い腕が抱き締めてくれる。全身に密着した肌はやはり心地良く、安堵に似た吐息が彼の肩にかかってしまった。その生暖かい空気を感じたのか、彼の腕にさらに力がこもる。
 私も両側にだらんと垂らしていた腕を上げて彼の背に這わせ、ゆっくりと頭を倒して彼の肩に預けた。
(気持ちいい……)
 ぶ厚い身体を抱き、抱き締められている喜び。勃起したペニスが軽く触れ合っている快感。そして、自分と同姓である男と愛し合えることへの期待。これらすべて、何もかも私が長年望んでいたもので────
『この幸福な気持ちのまま最後まで夢を叶えたい』と、私はずっと我慢していた欲望を解放することにした。
「……私と……女の子とするときのように、……──セックスできるかい……?」
 なるべく意識せず自然に聞こえるよう気を遣ったが、途切れ途切れになってしまった言葉は、私がどれだけ緊張しているか表しているようだった。
 だが彼はそんな私の態度を嘲笑うことなく、
「俺が、あなたを抱けばいいんですか?」
 私の耳元で囁くように言うと、私の背中にあった両手を滑らせ始めて。
(……これで、返事をすれば願いが叶うのだ──)
 ぞくぞくするような寒気に似た感覚が背筋を走る。心臓が、今にも破裂してしまいそうなほど速く打ちつけている。
 ────そして私は小さく頷き、彼は私の願いを叶えるために動き出した。

さあ後編へ!


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