家に帰ると何もする気にならなくて、ベッドに突っ伏してそのまま眠ってしまった。
翌日は日曜日で、もしかしたらアキラと過ごせるかもしれないと思ったからなんの予定も入れてなくて、無気力に家の中で過ごして。
パソコンの電源を入れる気にもならず、かといってテレビを見たりマンガを読んだり音楽を聞いたりする気にもならなくて……本当に何もしないまま、ただ無駄に休みを使ってしまったんだ。
「はぁ…………」
口から洩れるのは溜息ばかり。俺の陰気くさい顔を見かねた母親からは『そんな湿っぽい顔するなら部屋に閉じこもってて!』と超冷たい言葉を浴びせられてしまう始末で。しかたなく部屋でごろごろしながら、気が緩むと出てしまいそうな涙をぐっとこらえていた。
昨日の出来事はすべて夢だと信じたかった。だけどベッドの枕元に置かれている一冊の雑誌が、すべて本当のことだったんだと言っている。
昨日、あれから本屋で見つけてしまったんだ(……というより、探してしまったんだけど)。『タカムラ』という名前の作家の作品を。
文庫本は同じ名字の作家がたくさんいて誰が誰だか全然わからなかったから、『タカムラ』って名前が載ってる雑誌を片っ端から読み漁って。
『そんなもの…あるはずがない!!』って自分自身に言い聞かせていたときに、電車の中でオジサンが読んでるのをたまに見かける程度だった『週間×△』という雑誌に『タカムラ』という奴が書いた小説を見つけてしまったんだ。──あいつらが言っていたような内容の話を。
男しか愛せない男が、噂で知ったインターネットの出会い系サイトで1人の少年(青年?)と出会い、メールのやりとりを通して恋に落ちていくという……最近じゃ珍しくもない話だった。──男同士ってところが、あまりなくてウケてるのかもしれないけど(女は特にそういうネタ好きらしいからな)。
その小説の筆者の名前は「高村彰一」。俺の知らない男の名前だった。
だけど連載6回目のそれをちょろっと読んだだけでわかってしまった。これを書いてるのは、俺とメールしてたあの「アキラ」だってことを。
小説の中で主人公たちがしてる話の内容が、俺たちがメールで話してたことばかり書いてあったから。俺の打ち込んだ文章がそのまま載ってたり、アキラが書いてきた内容もほとんどそのままだったから、俺が見間違えることはない。……最初の頃のメールは、返事が来たのが嬉しくて何度も読み返していたから……簡単に思い出せてしまうんだ。
『ウソだろ……』
どうしても信じたくなくて、その雑誌を買ってきてうちでゆっくり読み直して。何度繰り返して読んでも、それはどう見たってアキラと俺の話だった。
頭の中をよぎる言葉は、地の底まで落ち込みそうなものばかりで。
『2人だけの秘密じゃなかったのか?』
『どうして、俺とアキラのことが世間の目に晒されてるんだ?』
『会いたいって、言ってくれたのに──』
『…………裏切られた……』
悔しいという気持ちよりも、大事なものをなくしてしまったような虚無感のほうが強くて……
(せっかく好きになれた相手だったのに……)
手痛い失恋をしてしまったような気分だ。……実際には告白もしてないんだけどさ。
「……ふん。こっから先どんな話にしてくのか見物だぜ」
自分のセリフが負け犬の遠吠えのように思えて、俺は週刊誌をゴミ箱へ投げ捨てたのだった。
アキラの正体を知ってから、3週間後の夜。
出張中の父親から突然電話がかかってきた。
「あら、あなた。珍しいわねー電話してくるなんて。……え? メール? さあ…たぶん見てると思うけど……。ちょっと待って。みづき、ちょっと来てー」
テレビを見ながらの夕飯にありついていた俺を、母親が呼んだ。
「んー?」
「お父さんからよ。ちょっと代わってくれって。メールがどうとか言ってるけど」
「……あ」
俺は箸で掴んでいたヒレカツを、ぼたっとテーブルの上に落としてしまった。
「ちょっと、汚いわねー。ほら、早く代わって」
早くしてと急かす母親に、俺はしぶしぶ立ち上がり受話器を受け取った。
「……もしもし」
『もしもし? 元気にしてるか、みづき』
「ああ、元気だよ」
『俺のメールは届いてないのか? ずっと返事がないから、心配して電話しちゃっただろ』
「あー、届いてるよ。……たぶん」
あいまいに笑って、なんとかその場を取り繕おうとする俺。
アキラに会いに行ったあの日から、俺はメールをチェックするどころかパソコンを立ち上げてなかったんだ。
『なんだ、見てないのか?』
「──う、うん、そう。最近ちょっと忙しかったからさ」
『今夜ちゃんとチェックして、俺にメール送ってこいよ! 待ってるからな!』
「わかったよ。ちゃんと見るから」
『今日中だからな!』
向こうでかなりヒマを持て余してるのか、息子からのメールが唯一の楽しみみたいに念を押すと、電話は一方的に切れてしまった。
「なぁに、あんた、お父さんからのメール見てないの?」
「……今日まとめて見るよ」
「お母さんも元気でやってるってちゃんと書いておいてね」
「今電話で話せばよかっただろ、それくらい」
「嫌よ。電話代だって馬鹿にならないんだから」
メールならちょちょいちょいでしょ、と自分ではできもしないのに言う。こんなことなら無理にでもメールのやり方くらい覚えさせておくんだった……。
俺はすっかり嫌なことを思い出し(嫌なことって……言わなくてもわかるだろ?)、おかげで好物のヒレカツも喉を通らなくなってしまった。
夕飯を食い終えてから、ソファに寝転がってテレビを見ていたところを母親に促され、気が進まないまま部屋に戻ってきた。
「ったく、メールくらいやれるようになればいいのに……」
ぶちぶちと文句を言いながら、3週間ぶりにパソコンの電源を入れる。久しぶりに聞く起動音に、少しだけ胸が高鳴ったような感じがした。
「──あ、そうだ。あそこのサイト、新情報入ってるかなー?」
メールソフトを立ち上げる気分にならず、お気に入りに入れてあったゲーム会社のページを見にいく。そのまま1時間くらいネットサーフィンをして──。
「…………仕方ないか」
父親にあれほど念を押されて見ないわけにはいかないだろうと、観念してメールを見ることにした。
俺がメールを見たくない理由は、ただ1つ。
アキラからのメールを確認するのが嫌だったから。
あんなことがあったのに今までと変わらずメールしてきてたらムカつくし、反対にあの日のことを謝られるのも何か繕う感じがして嫌だし。
もしかしたら向こうは『正体を知られた』ってビビってメールしてきてないかもしれないけど……だけどそれはそれで寂しいなんて思うあたり、俺も勝手だよな。
ツールの中の送受信ボタンを押すと、すぐに受信を開始する。
「──ああ、きてるな」
さっそく受信箱を表示しようと、マウスに手をかけて──気づいた。
「……え?」
いつまでたっても新着メールの数だけがどんどん増えていく。10…15……20。それでもまだ数は伸びていく。
「な、なんだよこれ……」
もしかして、何かのウイルスに感染してたとか? じゃなきゃなんだよこのメールの数!
怖くてそのまま画面を見ていることができず、俺はベッドに座って受信完了の音が鳴るのを待った。
「寂しすぎて、オヤジが1日2通ずつ出してたとか? ……はは、まさかな……」
やがて、すべてのメールを受信し終えたことを告げる音がして。俺は恐る恐るパソコンに近づいて、画面を見て──ビビった。
受信したメールの数は64通。たった3週間見なかっただけで溜まったとは考えられない量だ(自分でホームページ持ってる奴とか、何人もメル友持ってる奴ならわかんないけど)。
(なんなんだよ……これ)
ばっくんばっくんと音を立てている心臓をなだめつつ、ゆっくりマウスを動かして受信箱をクリックした。
すると──
「────えっ?」
父親からのメールももちろんある。だけど、 ずらっと表示された新着メールの、ほとんどのメール送信者が、見慣れた人物の名前だった。
その人物の名を、俺は声にして読んでいた。
「アキラ……」
どうして、こいつがこんなにメールを送ってきてるんだ?
1通か2通だったら来てるかもしれないって思ってた。だけど俺が返事を書かなければ諦めて送ってこなくなってるだろうとも思ってたのに。
体が小刻みに震えてくる。マウスから手を離し、どういうことなのかとじっと画面に見入った。
タイトルは『今日はごめん』『ミヅキ…怒ってる?』『返事がほしい』『メールください』などなど……一度として同じものはない。そのあたりは「さすが作家先生!」ってところか。
そして1番新しいメールには『会いたい』というタイトルがついていて……送られてきた時間は今日の昼過ぎになっていた。
「なんで…今さら」
俺はよろよろと椅子に座り、最新のメールにカーソルを合わせてためらいながらもクリックした。
『ミヅキへ
君の怒りがどれほどのものなのか、僕はよくわかってるつもりだ。
だけど、どうしても、1つだけお願いしたくて……またメールしてしまった。
ミヅキ、僕と会ってくれないか?
今度はかならず行く。決して約束を破ったりしない。
1度約束を守らなかった僕の言葉なんて信じられないかもしれないけれど……だけど、どうしても、君に会って話がしたいんだ。
僕を許してくれなんて言わない。君の怒りを全部僕にぶつけてくれてかまわない。だから……僕と会ってほしい。
僕はミヅキに会いたい。
返事、いつまでも待ってるから。
アキラより』
「ウソだ……」
そんなのは、ウソに決まってる。きっと話の続きが書けなくて、困ってるだけなんだ。
そう思うのに、なぜか胸の高鳴りは止まらなくて。
「会いたい……なんて……」
画面の文字を見つめたまま、どうしたらいいのかわからなくて……ずいぶん長い時間をそのままじっと過ごしてしまった。
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