「ただいまー」
学校からまっすぐ帰ってくるようになって、早1ヵ月。寄り道大好きだった今までの俺には考えられない記録だ。
「あら? もう帰ってきたの? ここんとこ早いわねー」
「うん」
母親と会話をするのもそこそこにさっさと二階の自分の部屋へ閉じこもり、制服を脱ぎながらパソコンの電源を入れた。
「メール、来てるかな……」
初期画面が立ち上がり、メールソフトを立ち上げてインターネットへ接続する。電源を入れたときに自動的にメールを受信する設定は手間がはぶけて楽だろうけど、この作業が俺のどきどきを増幅させてる気がするから、今はやろうとは思わない。
「あ!」
軽いトーン音がして、いくつかのメールが受信欄に表示される。その中に俺が待ちかまえていた相手からのメールを見つけ、俺の心臓はどきんっと高鳴った。
俺は父親からのメールよりも先に、そのメールをクリックしていた。
俺の名前は市川みづき。言っとくが女じゃない。正真正銘男だ(名前だけだと絶対女だと思われる)。
都立高校に通う17歳で、現在の趣味はインターネット。
半年前、父親がイタリアに単身赴任することになって、父親のたっての希望で我が家にも1台のパソコンが入ったのだ(手っ取り早く連絡が取れるようにって)。
イタリアへ行く前に父親が熱心に教えてくれたおかげで、ネットに関することは一通りマスターした。メールも今では楽々やれる。母親はさっぱり理解できなかったから、当初居間に置いていたパソコンは俺の部屋へと移動した。
つなぎ放題で申し込んでるからどんなにネットをしてても一律にしか金はかからないし、デジタルな遊び道具が1つ増えたとだけ思っていた。──つい最近までは。
気軽に世界とつながるこの電気の箱が、今では俺の生活にかかせないものになっているのは、ある人物と知り合ってしまったせいだ。
たまたまネットサーフィンをしていて見つけた出会い系サイトで、おもしろ半分に書き込みをして。誰からもメールなんてこないだろ、とたかを括っていたところに、「彼」からメールが来たんだ。
ちなみに俺の書き込みは、
『20代で都内在住の人。身長は180以上で太ってない人、メールください』
なんつーもので。他の人の書き込みとは真剣さも切実さも天と地って感じだったから、遊びなんだって誰からもわかるものだったと思うんだけどね。
……ああ、そうそう言い忘れてた。気づいてると思うけど、その出会い系サイトって、男限定サイトなんだ。男が好みの男を探すためのサイト。
つまり俺はホモってわけ。こんなに明るく言えるのは、子供の頃からその自覚があって、とっくの昔に親にも知られてるからだな。寛大な考え方の両親でよかった(「名前がいけなかったのね…」ってときどき母親は言うけど、別にそんなことはないと思う)。
とはいっても、俺は今のところ誰とも付き合ったことがない。自分で言うのもなんだけど俺の理想って高いし。それにノーマルな人落とすのって、けっこう大変だからさ。焦って変な奴つかみたくないし、自然とできたらいいなって思ってる。
そして現在1番気になってるのが、このメールの相手だったりするんだ。
メールを開くと、今日も読みごたえのある文章が書き込まれていた。
俺のハンドルネームはそのまま『ミヅキ』(考えるのが面倒だったから)。そして、俺にメールをくれた彼のハンドルネームは『アキラ』という。
27歳で、身長183cm。外見のことは詳しく書いてなかったけど、知的な感じの人なんじゃないかって俺は想像してる。……どこまで本当のことを書いてきてくれてるかわからないけど、メールを読む限りでは、さわやかな人じゃないかと思うんだ。……「そうだったらいいな」っていう願望も入ってるのかもしれないけどさ。
『ミヅキへ
お帰り。今日は学校でどんなことがあったかな? 他の男に口説かれたりしてないだろうね(笑)
僕はこれから仕事で人と会う予定だよ。今お昼ご飯を食べてひと休みしているところだ。
テレビで最近の学校事情をやっていたけど、僕らの頃からは考えられないようなことがあったりするんだね。ミヅキがいじめにあったり体罰を受けたりしてないか心配だよ。
もしミヅキがそんな目にあっているんだとしたら、僕は君の力になりたいと思うよ。……ケンカは苦手なんだけどね(~_~;)
今日ミヅキの夢を見たんだ。
君がこの間メールで書いてくれた外見そっくりの男の子が、僕の前に現れて可愛く挨拶してくれたよ。
何かを楽しそうに話してたんだけど……ごめん、内容までは覚えてないんだ。
今夜もミヅキの夢を見れるかな? そうだと嬉しいんだけど。
いつか……君と会えたらいいな。僕らはそう遠い場所に住んでいるわけじゃないし……。
それじゃまた。返事待ってるよ。
アキラより』
メールを読み終えると、俺は大きく息を吐き出した。
メールの受信時間は今日の午後1時近く。アキラは家で仕事をしてるらしく、俺が学校に行ってる間にメールの返事をくれる。だからこそ俺はこうして急いで帰ってきてるんだけど。
アキラはすごく話上手で、いつも俺が嬉しくなるようなことを書いてくれている。俺はアキラの質問に答えたり、学校であったおもしろい話とかを書くくらいで──アキラがそれを読んでおもしろいと思ってくれてるかはわからない。
いつもはメールを読んだらすぐに返事を書き出すけど、今日はメールの一文に釘付けになったままだ。
「会えたらいいな……か」
俺もアキラに会いたい。メールだけじゃなく、実際に会って話をしてみたい。それはメールのやりとりを始めてからすぐに考えはじめたことだった。
だけど──会って幻滅してしまったらどうしようとも、思う。実物のアキラを見て、顔が好みじゃないとか性格が思ってたのとは違うとか……そういうことを感じたらどうしようって、怖いんだ。
俺は自分を偽ったりするのが苦手だし面倒だったからメールには本当のことをなんでも書いてるけど……アキラはそうじゃないかもしれない。自分のことも──もしかしたらメールに書いてること全部作った話なのかもしれない。実際に他人になりきってネットを楽しんでる人はたくさんいるから、考えられないことじゃない。
そうだとしたら、俺は絶対がっかりしてしまう気がする。こうしてメールを心待ちにすることもなくなってしまうんじゃないかって。
せっかくこうして仲良くやっているのに……関係がぎくしゃくして、メル友としても続かなくなったら、それはそれですごく寂しい。だけど、アキラに会いたいっていう気持ちも、不安な気持ちと同じくらいあるんだ。
「どうしよう…………」
会おうと思えば会える距離にいる。だからこそためらってしまうのかもしれない。
キーボードの上に手を乗せたまま、キーを打つことなく時間ばかりが過ぎていった。
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