Last UpDate (11/8/12)
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<<ここまでのお話
ずぶ濡れの制服、冷えた体。
それでも心の中は暖かく、降りしきる雨の中を、まるで過去の罪を洗い流すように走り回った。
隣にいるのは、土砂降りの雨となろうともその雨の中を踊るように走り回り、目一杯楽しみ、笑う少女、九水ルミア。
初めて知った、冷たい雨の中でも手を取り隣を歩いてくれる人の温もり。
初めて知った、ただ一緒に居るだけで安らかな気持ちでいられる人。
初めて知った、大切にしたいと思える人、時間。 初めて出来た、友達と呼べる人。
幸せでいて欲しいと思える、大切な人。
いつの間にからか、この雨の空の下を歩いても昔を思い出さなくなっていた。
忘れた、というわけではない。当然、消せるような罪ではない。
ただ彼女と、友達と一緒にいる時は「今」を考えられるようになっていた。
過去の罪とはいずれ向かい合わなければならない時が来る。
けれど今。
友達である彼女と共にいられる、「今」だけは大切にしたいと思ったのだ。
例え、いずれ任務を果たし、その隣にいられなくなったとしても……。
マルーこと、マルモア・ヘルディング・フェルゼンは堅く心に誓い、唯一無二の友達、九水ルミアの握る手を、固く握り返した。
しかし、その想いも誓いも、崩壊する時は、彼女が思っていた以上に早く訪れた。
雨が激しくなっても構わずはしゃぎ、ずぶ濡れとなった2人は、冷え切った体を温め、濡れてしまった制服を乾かすため、比較的家の近いルミアの家に寄ることになった。
ルミアの家は、迦具土学園から徒歩15分ほどの二階建てのアパート『櫟澤荘』。
一階の隅の部屋に住む、大家である櫟澤千鶴はとても優しく、良く一緒にごはんを食べる。
その隣は千鶴の姪っ子で、今人気絶頂のアイドル、櫟澤凪の部屋。
凪は最近あまり会えないが、昔はよく一緒に戦隊ヒーローやアニメを見たり、思い出の作品を教えてくれた。
その更に隣は、昔私が恋をして、「王子様」と思っていた人が住んでいたけれど、今は空き部屋で、ちょっぴり寂しい。
二階にはとっても強い龍刹お姉ちゃんが住んでいて、お隣には、太陽の光を怖がってなかなか出てこないおじさんがいる。
そのお隣が、私とお母さん、お姉ちゃんが住んでいる部屋。
帰り道、相変わらず雨に濡れながらも歩く、マルーとルミア。
そこには思い出が沢山詰まっていて、そして今も日々楽しいと語るルミア。
学校に通うようになって、友達が出来て、後輩が出来て、それでも家に自分が人を招くのは初めてで嬉しいと笑って見せた。
自然と笑顔になるルミアを見ていると、自分もいつの間にか笑っている。
そう気がついた時、マルーはルミアとの時間を大切に思うことが出来た。一緒に居たいと思う様になった。
その想いを抱きしめるように、胸に手を置く。
懐にしまった魔符が少し重たく感じたが、それも話しているうちに気にならなくなっていた。
そうしているうちに、2人は木造二階建ての建物の前にたどり着いた。
ルミアの話を反芻し、少し立ち止まって外観から住んでいる人を思い浮かべるマルー。
そんな彼女の手を引いて、「こっち」と誘う ルミア。
初めて友達を家に上げる緊張で気持ちが昂ぶっていた。
「ただいまー」
「お邪魔します」
戸を開け入ると、左手にトイレやお風呂、奧にはキッチンと居間と、アパートでは少し広めの部屋だった。
それでも親子3人では少し狭いぐらいの広さである。
「お帰りなさい、ルミア。お友達を連れてきたの?」
奧から若い女性の声が聞こえた。姉か母親だろうか。
スリッパの音と共に、奥の部屋からバスタオルを持った紺の修道服の女性が現れた。
腰のあたりまで伸びた髪、優しく微笑みかけるその顔を見た時、マルーの思考は停止した。
「おかーさん。この子はマルーって言う……私の後輩で、友達!」
「そうなの」と、ニコリと笑って返す修道服の女性。
「ま、マリエスタ・ヴィ……エルジュ」
絞り出すような声で、無意識に発してしまうマルー。
「? どこかでお会いしましたか?」
首をかしげる、ルミアの母、マリエスタ・ヴィエルジュ。
「お母さん、この前小江戸日報にも出てたし、知ってたのかな?」
言葉を失っているマルーに集まる視線。
「あ、え、ええ。そうです。ルミア先輩とは姓も違いますし、有名な方に突然会えるとも思っていませんでしたので」
咄嗟に何とか言葉を紡ぎ出し、返す。
「そうだったのですか。とりあえず、タオルをどうぞ」
マルーの様子を疑う風もなく、タオルを差し出すマリエスタ。
「い、いえ。用を思い出したので帰りますっ!」
「ルミア先輩また明日」付け加えるように言い残し、玄関に上がることもなく部屋を後に、走り出すマルー。
ルミアが止める間もなく階段を駆け下りる。
その場所から少しでも遠くへ逃げ出すように。
少しでも暖かい場所から遠ざからないように。
ルミアと共に笑えた、雨の中へ構わず飛び出して行く。
先程まであれほど気にもならなかった雨の冷たさが、全身を襲った。
マルーの心の乱れの様に激しくなる雨の中を振り返らないように走る。
「マルー、また明日ねぇー!」
ルミアの大きな声が、その耳に届いた。
無意識に足を止め、すがるような気持ちで振り返ると、アパートの二階の踊り場から体を目一杯乗り出し、声の出る限り振り絞って叫び、手をぶんぶんと力の限り振る彼女の姿が見えた。
すぐにその言葉に応えたかった。
けれど、その考えを彼女は振り払うように俯き、走り去った。
暖かな日が続くと思った。
入学して三ヶ月、今までになかった様な安らかな日々に安堵していた。
初めて友達と思える人に出会えた。そして同じ時を過ごせた。
その全ては今、一瞬で崩れ去った。
違う状況であれば、目標を殺した後も何食わぬ顔で戻れたかも知れない。
それがダメでも、その思い出を胸に仕舞い、彼女の元を去れたかも知れない。
それは淡い夢だった。
しかし夢は崩れ、逃れようのない現実が積み重なり、彼女の前に立ちふさがった。
胸元に仕舞われていた魔符の束を取り出す。
そこに挟まれていた一枚の写真を見つめ、唇を噛んだ。
写真は先程出逢ったルミアの母が写されたものだった。
その写真には赤い文字でこう書き込まれていた。
【抹殺対象、マリエスタ・ヴィエルジュ】
と。
* * *
「あははは、マルー。こっちこっちー!」
いつぞやの雨を凌ぐほど降り注ぐ日差しの下、明るい少女の声が響く。
「マルー笑わせ大作戦」の成功を見たルミアは、心の底から笑っていた。
あの雨の日から俯き加減だったマルーを笑わせ、仲直りまで出来たのだから彼女にとってこれ以上はない。
「待って下さいルミア先輩。砂が熱くてうまく走れなっ……熱っ」
焼けた砂浜を飛び跳ねながら、それでも嬉しそうにルミアに着いていくマルー。
水着すら持ってきていなかったが、数時間前に乗ったバナナボートでびしょびしょになってしまい、新しいのをマリエスタ達に買って貰った。
先程までの無愛想ぶりが嘘のようにルミアに笑顔を向ける。
「また笑ってくれて良かった」と言われた時、大切な友達の幸福を願っていた癖に、自分の立場に失望して、その気持ちすら投げ出した自分の愚かさを痛感した。
彼女の母を殺せば、彼女は悲しむ。
けれど、それを悲観し、自分が抱え込んでしまうことで取ってしまった自分の態度でも彼女の心が曇ることを知り、不謹慎にも少し嬉しかった。
そしてこれほどまでに今の生活が、彼女との関係が、自分の影響を及ぼすとは思いもしなかった。
殺しを生業とする自分の家。
生まれて初めて楽しいと思えた、学校生活。
依頼によって目標とされた人間の暗殺。
生まれて初めて出来た、大切な友達の、家族。
多くの事柄が、彼女の心を締め付けた。
目標を、ルミアの母を殺し家に戻るか、殺さず、自分の家族の手に掛かり、死ぬか。
生まれた時から暗殺者として教育されてきた彼女にとって、これほどまでに今が「大切」になること自体がイレギュラーだった。
あの日以来、自分に芽生えた心と、自分の過ごしてきた時間。おぼろげな心と、確たる時間との狭間で迷い続けていた。
しかし、そのことに気がついた時、彼女の迷いは晴れた。
自分が自分として大切に思われているのは、大切に思っているのは……!
「ルミア先輩」 前を行くルミアを呼び止める。
「うん?」と、足を止め振り返った彼女に駆け寄り、隣に立つ。
「は、はぐれちゃうかも知れませんから、手を、繋いでも良いですか?」
精一杯自然に。 先程の覚悟とは違う、覚悟を決めて。
「うん、良いよ。一緒に行こう♪」
それを満面の笑みで応え、手を差し出すルミア。
ルミアの好きな、あの日のような雨は降りそうにもない空だけど、降り注ぐ夏の日差しは、あの日以上に、マルーの心を弾ませた。
願わくば、穏やかなこの日々が長く、長く続きますように……。
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