静かな北アルプスを楽しみたく、山開き前に蝶が岳から入山。 
                          西には、未だ冬の様相を呈する槍穂の稜線が展望でき、 
                          蝶~常念の稜線には春が訪れていた。 | 
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                          同方向にPWにでるパーティーと同じ電車になり、 
                          なんとなく見送りまで受けてしまう。電車を降りたら独り旅。 | 
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                          蝶が岳稜線のヒュッテ前サイト場で一泊し、早朝に出発して一気に槍を目指す。 
                          単独行だしテントも食料もコンロも担いでいたのでテキトーにしか頑張らなかったが、東鎌尾根の危険個所を除いて 
                          軽快に走り、9時間程度で槍ヶ岳に到達。後にはまるトレイルランの、最初の体験になったのかもしれない。 | 
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                          肩の小屋のサイト場でテント泊。翌朝、テントが息苦しいと感じて起きたら雪が積もっていた。 
                          新穂高温泉まで駆け下って単独行完了。 | 
                         
                        
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