ギリシャ&ちょっぴりドバイ2015

出発日(8月05日)
1日目(8月06日)
1.深夜の旅立ち
今回は羽田発午前0時30分の便で出撃。
なので前日はフルタイムで働き、22時時前後に羽田空港に出頭。
ほどなく相棒と合流してエミレーツ航空にチェックイン。。。までは、良いのだが、、、
いやなんというか、国際線で100回以上飛んだが、もっともチェックイン作業の効率が悪かったように感じる。
それほど多くの人は並んでいなかったのに、どうしてあんなに時間がかかったのだろう?

ともあれセキュリティーチェックもすませ、ボーディングを待つ。目的の機はJALとの共同運航便。
このゲートはつい先日、タイ出張でJALを利用した際と同じゲートだ。
機材は777-300。
エコなシートでは3-4-3配列で、ほぼ満席で、なかなか内装がオシャレな機体だった。

2.ドバイ トランジット
出発は若干遅れたようだったが、ドバイには、ほぼ定刻の午前6時頃にターミナル3付近に到着し、ターミナルビルへはバス移動。
明け方の空港内を、「いったいどこまで連れて行かれるのだろう?」と不安になるほどにバスはヒタ走る。

ここでは4時間のトランジットタイム。
帰路で街に出る作戦だし、4時間というのは外に出るには中途半端なので、往路では空港内で過ごそうと最初から決めていた。
ここではトランジットの事をコネクションと呼ぶらしく、その案内に沿って荷物X線チェックを受けつつ出発エリアに移動。
いまひとつ勝手が判らなかったがX線の後でインフォメーションにアテネ行きのゲートを訊ね、アテネ行きが飛ぶらしいAエリアに向かう。
(後に最初の場所はBエリアだったと判る)ここからは、トラムで移動するらしい。
お姉さんに3列に並べとせっつかれながら、約2分ほどの区間を移動し、エレベーターでAエリアのデパーチャーフロアへ。
 先ほどまでいたBエリアよりは小規模そうだが、それでもここの出発フロアは広い。
復路でも多くの時間を過ごすことになるので軽く探検したが、思いのほか奥行きが有る。
興味深いキリンさんなんぞも鎮座していたが、君とは9日後に再会することにしよう。
取りあえず(ユーロ払いだったせいもあるが)半端無く高額なドリンクを飲みながら出発を待つ。

ドバイ発アテネ行きも777-300。
ここまでのフライトと客層はガラっと変わったが、キャビンアテンダントの一人に日本人がいた。彼女はドバイを拠点に生活しているのだろうか?
機はアラビア半島を斜めに突っ切り、エジプト上空から地中海を抜けてアテネを目指す様だ。ちらりとだけ、クレタ島の東端を見下ろせた。

3.アテネ
アテネ空港は一国の玄関口としてはこじんまりとしており、到着便も多くはないことから、スムースにイミグレへと歩を進められる。
案内表示が悪く一旦はEU圏居住者用のラインに並んでしまうが、周囲の目を暖かい許容の眼差しと解釈し、適当なところで正しい列に入れて頂く。

空港から一階を通っても二階を通っても、車道を横切ることになるが、空港ターミナルから徒歩5分の位置にあるアテネメトロのターミナルで
15時30分発のメトロに乗車。 二人セットで14ユーロ。
中心地へのシンダグマへは、ガイドブック等では5ユーロの直行バスが薦められているが、我々はメトロをチョイスした。
空港からシンダグマ(現地で聞く限りではダもグも濁る)までは40分強。
バスで渋滞に巻き込まれると一時間以上を費やすこともあるらしいので、2~3ユーロの価格差は許容範囲である。
※メトロは単独なら8ユーロで、ペアチケットや往復なら、単価は7ユーロ

シンダグマは、ギリシャの国会議事堂の直下に出られるので、日本で言うなら永田町か国会議事堂前駅くらいの位置づけか?
(東京駅に相当するのは2日後に行くアテネ・ラリッサ駅かな?)

そこから徒歩10分弱のASTORホテルが今宵の宿である。
ギリシャのホテルはネット上のホテル案内サイトでいくらでも予約できるが、こことカランバカの宿は、鉄道チケット手配と併せて、アテネに拠点を置く
旅行代理店殿に手配いただいた。
あらかじめネットでアタリを付けていた他のホテルよりも、位置的にも価格的にも良かったと満足している。
部屋は少しくたびれているが、10階(日本式に言うなら11階)のビュッフェ会場からパルテノン神殿を望みながら、朝食を摂ることができるのは素晴らしい。
 まだまだ陽も高いので、部屋に荷物を投げ込んだらアテネの街に出撃である。
ホテル近くの繁華街を西に向かうとアギオス・エレフテリオス教会に行きつき、多くの人がくつろいでいる広場から南進してアクロポリスを目指した。

ここに至る道中、多くのショップが軒を連ねて、街歩きとしても楽しい。
プラカ地区なるエリア。
が、ブランドに詳しい相棒の言によると、コスメにせよファッションにせよ世界的な一級ブランドは、一国の首都の繁華街としては驚くほど見当たらないとのこと。
先般まで私が居住していた、中国の一地方都市の方が購買力が有るらしい。

本丸のアクロポリスを攻め落とす前に、ちょっとした高台に登ってみた。アテネの街やアクロポリスの丘、リガヴィトスの丘などが見晴らせて気持ちいい。
が、随分と滑りやすい岩でなりたっているので、登るには注意を要する。
黄色いチケット売り場で、アクロポリスの入場券をゲット。一人12ユーロ。
このチケットを持っていれば隣接する古代アゴラをはじめとするいくつかの遺跡・施設にも入場できるが、ここのチケットはレシートの様で味気ない。
アクロポリスの盟主は、言うまでも無くパルテノン神殿である。
ここが歴史的な名車ロールス・ロイスの、
フロントグリルのモチーフになっていることは有名。

が、が、が、大型クレーンを使っての大規模修復中で
絵にならない。。。orz。。。
気を取り直して裏手に回り、側面と裏側をメインに激写。
先述のリガヴィトスの丘や地中海なども一望でき、さすがは神様の居所である。
しかし8月のアテネ。
日を遮るもののない丘の上はただ立っているだけで体力を消耗する。ドリンクの携帯は必須かも。なぜか日傘の人はいない。
アクロポリスを下ると、階段沿いに店を出しているカフェが林立する一画に行きついた。
アテネ到着前に饗された機内食を消化し切っていないので、ソフトドリンクでギリシャを味わう。
そこからさらに下ると、タベルナ(ギリシャ風レストラン)が軒を連ね、日本語まじりで激しく勧誘。
興味深い店もあったが、本日のところはやり過ごし、アテネを離れる前の再訪を予定する。
今しばらく商業区画のショップを覗きながら帰路につき、ホテル近くで初のギリシャ料理晩餐。
2日目(8月07日) 1.アテネの朝
アテネの爽やかな朝を迎えた。
私も相棒も、西回り・東回り問わず、いつも呆れるほど時差ボケがない。旅に出ていなくとも、いつもボケているからだろうと笑うことにしている。
よって当地の時刻通りに腹も減る。


昨日の記録にも記したが、
ここASTORホテルの朝食ビュッフェ会場が有る
10階からの眺めは素晴らしい。

扉を開ければオープンエアなテラスに出ることもできる。
 (ただしテラスにはテーブルは設置されていない。)
パンもチーズが数種。ハムが数種とドリンクが数種。野菜やフルーツも標準的に豊富で悪くはないのだが、なぜだかサラダ用のドレッシングは無い。
代わりに、と言うかギリシャ風に、ヨーグルトが置かれている。ヨーグルトサラダにしなさいという事なのだろう。
パルテノン神殿が鎮座するアクロポリスの彼方には、地中海が光っている。 朝日は反対側から昇るので、写真を撮るにも順光でちょうど良い。

2.スニオ岬に立つポセイドン神殿
昨日の内にパルテノン神殿を攻め落としておいたので、本日はポセイドン神殿を擁する本土南端のスニオ岬を攻略する事にした。
ガイドブックによるとホテルから遠くないところにスニオ岬行きのバス停が有るとのことなので、それらしい位置に行き、バス停標識を発見した。
(実は発見に手間取った。ギリシャ語は、なんとも読みにくい)

確認ついでに売店のオジサンに、「何時にバスが来るの?」と訊ねたら、「フィフティーン・フィフティーン」だと教えてくれる。
まさか午後3時15分の一本ということも無かろうと、「エブリィフィフティーンか?」と聞き返したら、「そうだ」と頷く。
観光地アテネは、街かど売店オジサンでもストレスなく英語で会話が出来るので楽チンである。(中国ではこうは行かなかった)
しかし結果的には、この時間帯は毎時40分の出発だった。。。

シンダグマより10分北のバスターミナルが始発のスニオ岬行きバスは、乗車時にすでに混雑していて、二人で並んで座れる席は一ヶ所しか空いていなかった。
その前に座るレゲエヘアの兄ちゃんが、思いっきりリクライニングしていたが、座ると少し戻してくれる。
バスはその後も客を追加し、立つ人も出る程度に詰め込んでから、しばらく停車せずに海岸線に出た。
恐らくはピレウス港の少し南側から海岸に出たのだろう。 途中何ヶ所かはトラムと並走する。
トラムの最終駅を過ぎてから少し経って料金の徴収が有った。二人で13ユーロ少々。

右車窓にアポロコーストの海岸線を眺めながら快適にバスは南下する。
海岸から少し内陸に入ったなと思ったらトートツにバスが停車し、乗客の半分くらいが降りる。
「トイレ休憩か?」と立ち上がると、先ほどキップを売ってきた車掌(といっても一部しか乗車しない)のオバサンと目があう。
と、「スニオに行くには、ここで乗り換える。」という様な事を言う。(ここで立ちあがっていなかったら、どこに連れて行かれちまったのだろう??)

小さなバスに乗り換え、アテネから合計1時間40分くらいで風が強いスニオ岬。 到着の少し前から、ポセイドン神殿が見えてくる。 地中海の青が美しい。
※ガイドブックではスニオン岬と書かれているが、現地で聞く限りではスニオと発音している。

3.アテネと古代アゴラ
ポセイドン神殿でのポセイドンアドベンチャーからシンダグマに帰還し、ホテルで太陽が傾くのを待って18時半に、古代アゴラを目指し再出発。
昨日と同様にホテル近くの繁華街を西に向かったが、通りを一本北に取り過ぎ、最寄りの入口を通り過ぎてアゴラ西側に回り込んでしまった。
それは自分も悪いのだが、付近に入口を指し示す道標がまったくない。国際的観光地なのだから、もう少しは整備しようよギリシャ政府。

古代アゴラにある遺跡の多くは土台だけの廃墟となってしまっていたが、ヘファイストス神殿は、なかなか立派な威容を今に伝えていた。
古代アゴラからホテルに戻る道すがらで、今宵のギリシャ料理を堪能。
後に相棒定番となるギリシャサラダは今日は頼まず、ナスやピーマンにライスを詰めて炊きこんだ料理(ポピュラー料理)の他は海鮮シリーズ。
小プレートでも二人で食べ切れないのは中国と同じく。多少の当たり外れは有ったりもするがギリシャ料理は日本人の口に合う。
3日目(8月08日) 1.アテネの朝
本日はホテルの朝食を手早く済ませ、メトロで4駅のアテネラリッサ駅に向かう。ここはなぜかギリシャ語とフランス語で駅名が表示されていた。
駅前でチュロの様なギリシャの軽食「クルーリ」を仕入れ、8:27発の884列車でKalambakaに向けて旅立つ。
 この切符がネットで手配できなかったので旅行代理店に購入頂いたのだが、片道4時間半の行程にも関わらず、ファーストで往復一人8,600円と手ごろ。
出発案内板には出発ホームや車両位置が示されていなかったが、ホームは駅舎に入ってすぐの側で、1号車は右方向にある先頭客車だった。
ちなみにギリシャの鉄道に改札は無い。(検札は有る)

2.長距離列車でカランバカへ
ファーストクラスは3列×3列対座式の、6名一室のコンパートメント。
アテネで乗車してほどなく、中国人男二人旅がキップを我々に見せて、「列車は正しいか」とか「席はここで良いのか」などと確認を求めてきた。
向かい合った窓側が彼らの座席だった。
車窓はそれなりに様々な景色が楽しめたが、集約的に農業や工業に力を入れている様子は見られない。
この列車も観光列車と思っていたのだが、思いのほか地元民らしき乗客も多く、途中での停車駅も少なくは無かった。
終着のカランバカ駅が近づいてくると、車窓に聳える山の形が怪しくなってくる。

3.カランバカ
アテネから5時間半を費やして到着したカランバカはメテオラの観光拠点となる街で、駅前から見ても、スーパーマーケット近くでも、尖った岩山が顔を
のぞかせている。
観光地らしくホテルやカフェが多く営業していたが、チェーン店ぽい薬屋も多かったのが印象的。

スーパーマーケットの物価は日本と変わらず?
安いと言う印象は受けず、間接税は13%か23%。

ここのホテルも列車切符と併せて旅行代理店に取って頂いたが、部屋の窓に岩山が迫りなかなかの眺めである。
山の上には、修道院の明かりや十字架が見えていたりもする。
夜はライトアップしていて異様な風景。影絵か岩山投射のギリシャ神話映画でもしてくれたら面白いのに。

カランバカの街中も、宿泊したホテルも、アジア人観光客は日本人よりも遥かに、中国人と韓国人が目立っていた。
ガンバレ日本人トラベラー。
4日目(8月09日) 1.メテオラの奇跡の修道院
今日は夕方までに駅に戻れば良いのだが、午後は過激に暑くなる事が予想されたので、早い内に山を回ることにする。
朝食を済ませ8時過ぎにはチェックアウトをして、ホテルにスーツケースを託す。

昨日の内にチェックしておいたセントラル広場近くでタクシーに声を掛け、時間20ユーロで山を目指した。
タクシー乗車案内のオジサンに、「最初にメガロ・メテオロン、その次にアギア・トリアダに回りたい」と告げたら、「逆の順番の方が良い」と言うので素直に従う。
だいたいは、土地の人の言う通りにしておいた方が合理的な場合が多い。

タクシーは意外な事にまず南東に向かい、回りこむ様にアギア・トリアダに登る。
アギア・トリアダは駐車場から一度下って、下中の写真の様な岩の道を通り、そこから階段を上って修道院に出る。 ここからの眺めは素晴らしく良い。

2.メガロ・メテオロン
小一時間でアギア・トリアダから車に戻ると、「撮影ポイントだ」と言われてアギオス・ステファノスの駐車場付近まで南進する。
アギオス・ステファノス付近からは、ほとんど真下にカランバカの町を見下ろすことができて、岩山がほぼ垂直に聳えていることが良く判る。
その後メガロ・メテオロンに向かう途中も、要所要所の撮影ポイントに立ち寄っては、運転手もわざわざ車から降りて、我々の写真を撮ってくれる。
どうやら、どの修道院に立ち寄りたいかなどは関係なく、
回るルートは決まっていて、
ルート上で写真タイムを取り、立ち寄る修道院の駐車場で
運転手が待機するだけという仕組みらしい。

ガイドブックに掲載されている写真のほとんどは、
この観光コースから撮られている様子だ。
メガロ・メテオロンは数ある奇跡の修道院の中でも最大規模で、駐車場付近には土産物屋まで出店している。
ここは修道院内に博物館なども併設されていて、じっくりと見学しようと思ったら2~3時間を要するであろう規模だ。
昔のキッチンや、修道者?のドクロなども展示されていて、全体が小さな観光街になっている。
だがしかし、メテオラは既に中国人と韓国人の手に落ちていた。

3.カランバカ
きっかり3時間でカランバカの町に戻り、運転手に60+10ユーロを支払ってインフォメーションセンター前のオープンなタベルナで遅めの昼食。
相棒は定番のギリシャサラダ、私は本日はちょっと肉っぽいチョイス。
ギリシャのレストランはどこも普通に、店内にもテーブルを設置しているが、殆どの客は店外の露天のテーブルに陣取っている。

当然、我々もそれに倣う。
自然の風に吹かれての食事は心地よい。
 さらにカフェとショップとレストランのハシゴをしてからホテルに戻り、託していた荷物を受け取って、駅で17時半の列車を待った。
列車は既に停まっていたが乗り込めず、出発の15分くらい前になって乗車が許された。 といっても相変わらず改札は無くて検札が有る。
予想はしていたが、往路と同じ中国人男二人組が同じコンパートメント。 彼らはEチケットを持っていたので、ネット手配が出来たのかもしれない。

列車は20分ほど遅れて、22時半前後にアテネラリッサ駅に帰着。
苦労無くシンタグマに戻るメトロチケットを入手し、下層のプラットホームに移動。
メトロ切符は券売機で買った後、ホームへの途中にある機械でバリテーションをしておかないと、検札で見つかったら60倍の罰金が取られる。

シンダグマには23時頃に到着したが治安状態に不安は無く、徒歩10分のホテルでも問題無く再チェックインが出来た。
今度の部屋は8階で少し眺めが有り、階上を見やれば、スィートらしき部屋の専用テラスが見える。 その上が朝食ビュッフェだ。
5日目(8月10日) 1.アテネの朝
本日はアテネを離れ、エーゲ海の南部に位置するクレタ島に向かう。
航空券はネットで、しかも日本語で難なくゲットできていた。
朝食を済ませた後、相棒を部屋に残して、単独でリガヴィトスの丘に駆け登ってみる。途中までは六甲の高級住宅街っぽい

中腹のホテルを過ぎたあたりから勾配がきつくなり、自動車は登れない道になる。
山道をたどると高度を稼ぐほどに眺めが良くなり、山腹にはサボテンが自生していて面白い。
一人行動なので気配には警戒したが、すれ違う人も犬の散歩など普通の地元民がほとんど。
一人は私のカメラを指差し片言の英語で、「フォト、上、最高」のようなことを言ってくれた。
平和市民、バンザイ。

山頂にはセイント・ゲオルギオス教会が建てられていて、その前には警戒感無く土産物が放置されていた。
たぶん経験的に、盗まれたりはしないのだろう。

丘からはアクロポリスの丘にそびえるパルテノン神殿や、その向こうに広がる地中海が一望できて素晴らしい。
シンダグマ広場や国会議事堂も視認出来た。
約一時間で相棒の待つホテルに帰還。

2.クレタ島
13時半の便でアテネ空港から出発。 ホテルを11時に出発すれば十分に間に合う。クレタ島へは左下写真の小型ジェットで50分。
通路側の座席だったので見下ろす事は出来なかったが、飛行は順調で14時過ぎにはクレタのイラクリオン。
空港から出るとすぐにタクシーステーションが見えて判りやすい構造。

3.イラクリオン
タクシーに「ラト・ブティック」と告げると一発で判った様子。
バスターミナルの近くなので、判らなければ、それはそれで説明可能だったのだが手間が省けた。
タクシー料金はメーターを使わず15ユーロと感覚的に高い。(後に目安料金は11ユーロと判明)
まぁ激しくボラれた訳でも無いし、観光地なのでこんなものだろう。

ネット予約したラト・ブティックは名前通りブティックホテルで、割高感は有ったがデザインに気を使い、
4階の屋外カフェも地階の朝食ビュッフェも、雰囲気はとても良く、お勧めホテルの域に達している。
なんといってもバスターミナルから徒歩3分だし、旧市街区のメインストリートから至近というのが良い。
道路の反対側には同ホテルのANEXが建っていたが、こちらは少し割安なのかな?

4.クノッソス宮殿
クレタ島では一泊の滞在予定で、元々は翌日19時半発の飛行機を予約していたから観光は明日で十分と考えていたのだが、
航空会社から突然「11時半の出発に変更」とメールが来たので、クノッソスには本日中に出向かなければならない事態となっている。

そこで、ホテルには荷物を置いてすぐに出発し、基本は路線バスのクノッソス行きに飛び乗った。
バスは市街地の細い道を巡回した後に、少し広い道に出てクノッソスを目指す。
ストリートビューで予習をしておいた手前の病院を見落とし、トートツにクノッソスに到着。

人の流れに沿ってチケット売り場を見つけ、「ディオアトマ(2人)」の入門券をゲットしてバーコード光学読み取り式のゲートから宮殿内へ進む。
ギリシャもこの技術を導入しているのだから、鉄道も改札式にすれば良いのにと思う。
先日行ったポセイドン神殿のポセイドンが、つまらない怒りからミノス王の
妻に産ませた牛と人との交配種のミノタウロスを閉じ込めるべく、
ミノス王が建てた迷宮が、このクノッソス宮殿らしい。

物理的遮蔽ではなく、迷路で閉じ込めると言うまどろっこしさが
いかにもギリシャなのだが、おかげで観光客も
迷宮に迷い込むと言う手はずになっているようである。
と、言っても壁がほとんど残ってはいないので、さほど迷う事は無い。(立体構造は残されているので多少は戸惑う)
壁が残っていないと言う事は必然的に天井も多くは残されていないので、観光客の主な敵は迷路ではなく直射日光かもしれない。

そんな訳で2時間程度で太陽に降参し、すごすごと帰路に着く。
やはり半ば観光バス、半ば路線バス。 復路は少し遅れて乗車したが、難なく相棒と並んで座れる。
往路は30分以上かかったようだが、復路はなぜか20分程度。乗降客が少なかったからか、下りメインだったからか??

5.イラクリオンの夕餉
一旦ホテルに戻り、トイレ休憩を取った後、すぐに今夜の餌食を求めて旧市街の観光区に乗り込んだ。
街は判りやすい構造でニク・フォカ広場を中心に放射状に広がっている。中心から近い所にモロシニの噴水。

噴水の周りに手頃なタベルナが点在している。クレタ島にはなぜか中国人や韓国人は押し寄せておらず、主には白人観光客。
やはり中韓人は、もっと判りやすい観光地がお好みか?

 25Augoustonを北に下れば、ヴェネツィア時代の要塞(もっと気の利いた名前を付けてあげなよ)に付きあたる。
正面に海の見える坂道というのはナカナカに良いものだが、白人観光客の半分くらいは巨人化している。自分の親指を噛んでしまったのだろうか?
※アニメネタですみません。。。

イスとテーブルを黒で統一したオシャレな屋外タベルナに引き寄せられ、今宵の晩餐会の席を確保する。
ここでは御通し(右の左端写真の二品)が出てきたが、値段は確認せず。
相棒は相変わらずギリシャサラダを攻め、今日も私は思いっきりの肉食派。
とは言えテキトーにシェアするので、栄養バランスは悪くは無い。
が、やはり今夜も食べきれず、少しプレートに残すことになってしまった。

食後にちょろりとヴェネツィア時代の要塞散歩。
地中海に突きだした防波堤を辿って行く事が出来るが、防波堤は要塞を超えて遥かに伸びており、なおかつ多くの人は要塞に目もくれずに防波堤の
先端方向を目指していた。
私は先端までは行かなかったが、なんにせよ、北側に地中海を臨むのは、一般的日本人には経験するチャンスが少ない状況でもある。

その後、ホテルの屋上レストランでワインなんぞを嗜み、気分良く睡眠についたのだが、明け方に一人暴走族の爆音で目が覚める。
こんなバカ、日本以外にもいるんだ。
ぬるま湯国家日本でないのだからして、ギリシャ軍の射撃訓練の的に抜てきしてあげれば良いのに。
6日目(8月11日) 1.イラクリオンの朝
生きている内にもう一度来るか来ないか判らないので、未練ったらしくイラクリオンを朝散歩。
ニク・フォカ広場まで往復し、
海の見える坂道を下っていると、
前方に白人バックパッカーが一組。

クレタ島は(少し物価が高いのが玉に傷だが)
バックパッカーにも似合いそうな町である。
ホテルに帰還し、10時過ぎにスーツケースを抱えて空港に向かう。
バスターミナル近くにタクシー溜まりが有ることを確認していたので、そこを目指そうとしたのだが、宿泊したホテルから50mほど歩いたところで、
別のホテルに客を送ってきたばかりのタクシーを発見。
先客の支払いが終わるのを見届け、タクシー運ちゃんに目で合図を送ると「乗れ」と言う。
昨日の事もあるので取りあえず「ハウマッチ?」と聞いてみると、「ハーフミリオン」とジョーク。

私は旨く聞き取れず、適切な切り返しが出来なかったのが心残りでもある。結論としては10ユーロで空港まで送ってくれた。
これでも十分に高いくらいだが、標準料金よりは安くなる。
どのみち空港に戻るところだった際の、降ってわいたような乗客だったからだろうか?
何にしてもギリシャでは、メータータクシーはお目にかかれない。

2.プロペラ機でサントリーニ島へ
タクシーは昨日の往路よりは裏道っぽい通りを通って、やはり10分強でイラクリオンの空港。
今日も青空がまぶしい。この季節の地中海沿岸は、本当に雨が降らないし雲も少ない。

空港では順調にチェックインが出来たが、我らがミノアンエアは搭乗口がなかなか掲示されず、なおかつ乗客が少ない。
『乗客の少なさが時刻変更の理由か?』と思いながら4列シートのプロペラ機に乗り込む。
今度は窓から地中海を見下ろせる席となったのに、窓が汚くて外がほとんど見えない。 リマからクスコに飛んだ時と同じだ。
こういった景色の良い路線では、窓ぐらいは拭いておこうよ。

と言っても、宙に浮いているのは30分足らずくらいで白昼のサントリーニ島に到着。
空港は、こじんまりとしていて可愛いし、手荷物が出るのも早い。

3.サントリーニ島
空港から外に出ると、すぐにタクシー運ちゃんが近づいてくる。
「どこに行くんだ?」と聞くので「アスティーラ・ティラ」と答えると、「じゃあ乗れ」と手招きされたが、車に行ってみると先客がいた。
白人女性の二人旅。
~相乗りとはインドかい?~と、密かに突っ込んでおいたが、おそらくはタクシー不足対策として、こうしているのだろう。

ネット予約をしておいたAstir Thiraには先客の女性よりも先について申し訳なかったが、15分もかからなかった程度なのに20ユーロ。
おいおい、ボロモウケじゃないかタクシー運ちゃん。

ホテルは、今回の旅の中で最高額だったが、外観が可愛いので気を取り直してチェックイン。
このホテルをチョイスした理由は、当初は20時くらいにサントリーニ島に到着予定だった事から、少しでも空港から近い方が良いと思ったのと、
フィラの中心の観光区から僅かに離れているために、朝晩は静かに過ごせると考えたからなのだが、結果として大正解だった。

部屋で一休みした後、徒歩でフィラの観光区に向かう。
サントリーニ島は、島全体が火山の外輪山の一部から形成されているのだが、内輪山に当たるネア・カメニ島も眼前に望む事が出来て絶景である。
エーゲ海を見下ろしながら、本日遅めの昼食。なぜかイタリアンになってしまった。
地中海つながりだから、まぁ良いか。。。

観光地は、人が多くて疲れるが、素直な目で見ておけば楽しめる多くの物を持っている。
ここも、右を見ても左を見ても歩いても立ち止まっても、心地よい気分にさせてくれるので不思議なものだ。

ネア・カメニ島の手前に浮いている船は地中海を数泊程度でクルージングしている船だと思われる。
サントリーニ等の観光地近海に昼だけ停泊して客を降ろし、夜の間に他の島に移るのだろう。
翌日には、三艘有った大型船が一艘になっていた。

イアもそうだが、フィラも夕日と夕景、そして夜景が美しい。
まぁ、それらが美しくないところも珍しいかもしれないが、夏季のサントリーニは空気の状態が良いので、それらが心おきなく楽しめるのかもしれない。
7日目(8月12日) 1.フィラの朝
フィラは東西に細いので、海に沈む夕日を眺めた場所から、海から昇る朝日を迎える事ができる場合も少なくない。
宿泊したAstir Thiraもその一つで、昨夜は街で見た夕日を、部屋のバルコニーから見送ることもできるし、
部屋の扉を開ければ、部屋の中で朝日を迎えることも可能だ。

いつものように朝散歩。昨日も記したように、ここは火山の外輪山の一角なので、海に向かって急激に落ち込んでいる。
火山の地層の成り立ちが良く判るので、地質学的にも面白い。
前方にはフィラタウンが望め、左遠方に白く見えているのは、これから目指す、イアの街並みである。

2.イアへ
宿からスーツケースを3分ほどゴロゴロと転がすと、島の西端のイアにも路線が延びているバスターミナル。
時刻表を見ると、日中は20分毎に一本の割合でイア行きが出ているようだ。
「キップは車内で買って下さい」と、英語で掲示している。

次に来たイア行きの横っ腹に荷物を預け、直射日光を避けて右側の座席に陣取る。
東岸から北岸の風景を眺めながら30分ほどでイア。
こちらのターミナルはカフェもあって、やはり人が多い。

イアではEther Studios というホテルをネットで予約していたのだが、実は場所が良く判っていなかった。
住所検索すると、イアでも西の外れの方にあり、なんとなく地の果て感に魅かれてゲットしたのだが、タクシーを雇う距離でも無いように思われる。
そこでトウモロコシ焼きのお兄さんに聞いたり、タクシー運ちゃんに訊ねたところ、「今来た道を下って、amoudi海岸の方に行け」という様な事を言う。
取りあえずそのようにしてみた。
タクシー運ちゃんが「乗れ」と言わないので、歩いて行く様な距離感なのだろう。

途中でもう一度、道を確認しながら車道の坂道を下ったり上ったりして、10分強で目的のホテルに行きつく。
距離自体は大したことは無いのだが、炎天下の元、スーツケースを引きずるのは少々厳しいものが有る。帰りは車を呼んでもらう事にしよう。

ホテルそのものは期待していた通り地の果て感がムンムンと漂っており、部屋も簡素で、しかし眺めは良く、チョイスに失敗は無かった。
上の写真の真ん中のピンクがレセプション棟で、右の白い建物が宿泊棟。 オーナーっぽい太ったオジサン以外は労働意欲なくゴロゴロしている。
各々の部屋はくっついているのだが、なんとなく独立感が有り、一棟建てに宿泊しているような感覚だ。
もちろんバルコニーは夕日を望める西向きについている。

3.イア
ホテルで一休みしたらイアタウンの探検に出発。 道は上り坂から始まるのでちょっと厳しい。
街は期待を裏切ることなく可愛い。
昨日のフィラタウンを一回り小さくしたような街づくりで、自動車が走れる領域も制限され、徒歩で回るのに楽しい観光街だ。
 山の尾根線に沿って街が広がる様子がどこかに似ていると考えたが、どうやらインドの保養地のシムラーに共通点が多い。
景観は相当に異なるが、中国雲南省の麗江にも印象が似ているかもしれない。
ともあれエーゲ海は青く、街並みは白く、標準的日本人に「サントリーニ島のイメージは?」と問いかけた時に思い浮かべるであろう光景が広がっている。
青い屋根の教会は、写真集や絵葉書にもなっていて、
どこかで必ず見ているであろう風景でもある。

街も観光客を意識して、センス良くおしゃれにキマッテいる。
観光地は何処でもそうだろうが、店主のセンスと努力が、
そのまま集客につながる様な街である。
きっと彼らの世界は、サラリーマンよりも厳しくシビア。
朝食を食べたきりだったので、昼食と言うか夕食と言うか、15時を過ぎてからレストランに進軍。
キング・ネプチューンと名乗っているので、神様が食する宮廷料理が饗されるのであろう。
海鮮リゾットは、オーダーしてから随分と待たされたので、忘れてしまわれたかと危ぶんだが、相棒は「リゾットは時間がかかる」と冷静。
最初に相棒のタラモサラダが運ばれてきてから優に15分以上が経過したが、我が懐かしき海鮮リゾットも忘れ去られることなく提供された。
味は、観光地としては十分に及第点。 待った甲斐が有った。
この店も街中も中国人と韓国人が多い。 日本人は何処に行った?? (個人的にはヨーロッパでは日本語は聞こえない方が良いのだが。。。)

4.イアの夕日
部屋のバルコニーからイアの夕陽を独り占め。

南東方向を見やれば、風車の崖に人だかり。
ふふふ。。。
こちらは君たちよりもチョッピリあの夕日に近いんだゼィ(^v^)
夜は(満天とまでは言えないが)ナカナカの星空。
西の空に北斗七星が輝き始め、ギリシャ神話が元になっている星座が多いという話で盛り上がる。
エーゲ海に浮かぶサントリーニ島の西のはずれで星空を見上げながら、ギリシャ神話に思いを馳せるというワンシーンが自分の人生に組み込まれているとは
想像だにしていなかったが、持つべきものは相棒であり、なすべき事は旅であろう。
8日目(8月13日) 1.イアの朝
ここEther Studios は今回の旅行のホテルの中で唯一、宿泊料金に朝食を含めずに予約していた。
別料金ひとり8ユーロでオーダーする事も出来たのだが、なんだか片田舎のアパートメントを賃貸したような、自立(というか自助生活)を促す様な雰囲気に
満ち溢れていたので、昨日のスーパーマーケット視察の際に、あれこれ買い込んでおいた。
パン300g、サラダ200g、ハムペースト、チーズ、タラモペースト、ブドウ、リンゴ、大量の飲料、etc。

フォークとナイフは英語が通じなかったので、ギリシャ語会話帳を動員して昨夜の内に借りておいた。
ホテルビュッフェも良いが、こんな朝食も悪くは無い。あたかもここで生活しているような錯覚すら覚える。
スーパーで買ったにもかかわらず、二人で12ユーロくらいかかっているから、ギリシャの標準的な収入だと、ちょっと贅沢な朝飯なのかもしれない。
朝食後はお約束の朝散歩。
ホテルから南に向かい、
港側から回り込むルートでイアタウンを目指した。

街までの中間くらいの高さまで登った頃、
ちょうど風車に朝日が射す。
尾根線のメインストリートも人通りがまばらで、
なんとも贅沢な散策路。



写真は残さなかったが、何組ものカップルがウエディング衣装を着込み、早朝の街のあちこちで写真を撮っている。
日本人や欧米人もいない訳ではないのだが、圧倒的に多いのは中国人で、韓国人も少なからずいた。
中国国内の観光地には必ず貸衣装屋が有って、結婚式で披露する為の2人観光地写真を撮るのが現代中国文化なのだ。

ともあれ旅は終盤戦に差し掛かる。
今日はフィラを経てアテネまで戻らなければならないのだ。
ホテルのオーナーっぽい太っちょオジサンにナイフとフォークを返し、チェックアウトを申し出た。
フィラのホテルと同様、宿泊料金はクレジットカードで決済済みなので、紙切れにサインをしたら完了。
オジサンが「オーケィ!」とニッコリ笑ったところで、「バス停が遠いからタクシー呼んでよ♪」と頼んだら、密かに期待していた通り、「俺の車で送ってやるよ」と
言ってくれる。 謝謝である。いやいや、「エフハリスト パラ ポリ」である。

バス停は昨日の到着時と同じくツーリストで混雑しており、道を訪ねたトウモロコシ焼きのお兄さんも変わらずトウモロコシを焼いていた。
カフェでコーヒーなどを飲みながらバスを一台見送って、次ので左側の席を確保しフィラに向けて出発♪

2.再びのフィラ
フィラではノンビリとレスカを飲みながら海を眺めたり、
新先史期博物館でサントリーニ島の歴史を
お勉強しながら出発の時を待つ。

サントリーニには、また来たいなぁ。。。
飛行機は18:45.出発なので、まだ明るいがサントリーニで夕食も済ます。
ナスやピーマンに、それぞれの味付けをしたライスを詰め込んだやつは、やはりトマトの方がチト旨い。

3.アテネに帰還
アテネ帰着は19時半だったが、まだ明るかった。 夏のヨーロッパは楽だなぁ。。。
三度目なので、すっかり慣れた気になっている空港からジモティーの様に軽やかな足取りでメトロ駅に移動し、シンダグマ行きのキップを買ってホテルに帰る。
このホテルにチェックインをするのも三度目だが、今回は特に短時間で事が住む。
が、今回の部屋は517(5階の17号室)で窓を空けたら隣のビルの壁。クレタに飛ぶ前夜の804が一番良かったなぁ。。。

基本的に夕食もすませていたので、何か軽い食事を物色しようと街に出たら、ホテルのすぐ近くで、ドライフルーツやシリアルなどをグラム売りをする店が営業
しているのを発見。 日本菓子の様なアラレや豆菓子類もグラム売り。
店員の一人は、比較的流暢な日本語で対応してくれる。 ギリシャ人が日本語を勉強しようとするキッカケってなんだろう?
ともあれドリンクもゲットしてホテルに戻る。

相棒と、「きっとその内、日本のガイドブックに載るね」などと話していたのだが、翌日にもう一軒、同じ様な店を発見。
今日まで気付かなかったが、アテネではポピュラーな店なのだろうか?
明日は空港で、「日本まで」と指定して荷物を預け、スーツケース無しでアテネ/ドバイ+ドバイ/成田&ドバイの23時間を迎え撃つので、
機内持ち込みにする物を慎重にチョイスしながらスーツケースを整理する。 早くもアテネの最後の夜が来てしまった。
9日目(8月14日) 1.アテネの朝
最後になってしまったが、アドリアノス門とゼウス神殿に御挨拶。
ゼウス神殿のチケット売り場では、「アクロポリスにも行く?」と聞かれたのだが、「ここだけだよ」と答えたら2ユーロで入れてくれた。
ゼウス神殿の敷地はとても広く、崩壊したままらしい遺跡の断片が並べられている。
原型が良く判らないほどにバラバラの破片もある。
あれもいつか、修復するのだろうか??

そう遠くないところにアクロポリスの丘が聳えていて、その上に立つパルテノン神殿が良く見える。住環境としては、ナカナカ良い街なのかもしれない。

2.国立考古学博物館
今日はアテネ空港を深夜に飛び立つので、夕方まではアテネな時間の延長戦が有る。
ともあれホテルはチェックアウトをして、スーツケースのみフロントで預けようとしたら、同じことを頼んでいる先客がいた。

最も暑い時間帯は国立考古学博物館の冷房の恩恵に被ろうと目論んで、シンダグマからメトロで2駅のオモニア駅に移動する。
そこから徒歩で博物館に向かったのだが、ほぼ真南に来ていた太陽が暴力的だ。
が、緯度は高いので天頂に来る事はなく、影で方角が判かるだけまだマシかも。
低緯度地域で方角がわからなくなって周りを見渡したら、電柱にすら影が無かった経験はちょっと悲しい。。。

入り口で荷物を預け、ギリシャのお宝を拝見。
地中海を隔てたエジプトでの出土品のコーナーや、サントリーニ島(ティラ)の先史時代の遺産などもあって興味深い。
上海博物館の古いものと同時代の遺物もあるのだが、同じ様な時代に同程度の文明レベルに達している気がする。
神の存在を感じるのは、想像が飛び過ぎか?
石堀は、中学校の美術の教科書で見たようなヤツとか、人が食われているところのエグイヤツがいる。。。

3.最後の昼飯
再び暴力的陽光と闘いながらアテネに戻り、初日に食事を見送った、アクロポリスの丘の麓のタベルナで、今回のギリシャ最後のギリシャ飯。
タコはデビルフィッシュと言われ欧米文化圏では忌み嫌われているが、地中海沿岸地方では普通に食する。
現代日本の大型のタコのほとんどは、西アフリカ原産の物が売られているが、今回の皿に乗っている奴は、地中海で育った地元っ子なのかな?
タラモなどの練り物、炭火串焼きのスブラキ、フタポーディなど、どいつもギリシャ料理。

4.アテネ
アテネを去る前にもう一度、
プラカ地区西側の商店街をパトロール。
未だ時間が早いので人通りが少ないが、
ここの雑然とした雰囲気は何だか好きだ。

今日は何故だか教会も、ギリシアンな装飾を施している。
ホテルに預けていた荷物をピックアップし、22:20の飛行機でギリシャを脱出。
10日目(8月15日)
帰国日(8月16日)
1.ドバイ空港
我らがアテネ発ドバイ行き777-300は、往路はアラビア半島を横断してエジプト上空から地中海に抜けたのだが、復路はトルコ上空を東に横断してから
南に旋回し、ペルシャ湾を見下ろす様なルートからドバイを目指した。
なんにせよISIS支配地の上空は避けている訳だが、往路と復路が大きく違うのにビックリ。

ドバイには未明に到着し、ほとんどの乗客はトランジットエリアへと消えて行ったが、我々にはドバイ潜入なるミッションが有るので、メトロが動き出すまでは
入国せずに管理エリアで仮眠を取ることにする。
一階に降りるとイミグレ直前のヴィザ発給待機所が解放されていて、中にはソファーが設置されており、2組の旅行者が眠っていた。
近くに両替所と売店もあるので、安全に夜をやり過ごしたい方にお薦め。

朝を待ってドバイ潜入を敢行し、だだっ広い空港を突っ切って、メトロの駅へと進む。駅ではすかさずシルバーnolカードをゲット。
14ディルハム(≒460円)で今日一日はメトロなどに乗り放題。 デポジット含め25ディルハムを収めたが、5年間有効なので、いずれ使う機会もあるだろう。

2.ドバイ
ドバイメトロは、まだ2路線しか開通していないが、空港から市街地に出るにはトテモ便利。
取りあえず世界で最も高いバージュ・ハリファ828mを目指し、その名もバージュ・ハリファ駅に移動。
ドバイは思いのほか発展途上で、街の至る所で土木工事が進行していた。

これ以上近づいたらファインダーに収まらない位置までバージュ・ハリファに接近し、無事に証拠写真を撮ってから、朝飯を求めてドバイモールに潜入。
殆どの店は閉まっていたが、モール内のヨサゲなカフェが開店していたので無事に朝食にありつける。
私はスパニッシュオムレツ。
中東まで来てスペイン風かいっ!?
相棒のデカサラダも旨そうかも。

再びメトロ(と言ってもほとんど地上を走る)に乗ってドア上の路線図を眺めていたら相棒が、ドバイ・トラムが開通している事を発見。
どうやらタクシーを使わずにパーム・ジュメイラ・モノレール駅に行けそうである。

迷わず決行。
トラムもnolカードで乗れた。
トラム駅からモノレール駅に続く通路を進み、駐車場の車道を横切って到着。 乗り換えで非空調域に出ると半端無く暑い。
体感気温40℃くらいだろうか?
直射日光を浴びると、一気に45℃感覚になる。
午前10時にしてこれなのだから、午後の気温上昇は考えるだけでもキョーフである。

3.パーム・ジュメイラ・モノレール
海を埋め立てて人工的に作った別荘地、パーム・ジュメイラという地区がある。
名前通り椰子の木を模した人工島で、丸い部分の直径は約5km。
根元から真ん中を突っ切り、ペルシャ湾まで伸びるのが、このモノレールである。

4.パームジュメイラ
モノレールの終点はアトランティス・ザ・パームホテルのあるアトランティス・アドベンチャー駅。
少し歩くとペルシャ湾に向き合うクレセント・ロードに行き当たる。
赤いバスは、バルセロナで乗ったような、乗り降り自由型の観光バスもいたが、外周部分に点在するホテルを巡回しているのだろう。

何にしても暑っつい、、、いや、熱っつい!
取りあえずここまで来て満足したので、そのまま空港に撤退して空調の恩恵にあずかりながら、日本に帰る便を待つことにする。
デザートサファリは冬に来た時に楽しもう。 14時に空港に戻り、13時間後の出発を待つ。

5.ドバイから帰国
日本に帰るEK318は午前2時50分なので、ドバイ空港ターミナル3のA区とB区を行ったり来たりしつつ全域を探訪しながら時間を待つ。
午前1時頃になると日本人を中心として乗客が集まり始めるが、やはり団体ツアー客が多い様子。
午前2時15分くらいにボーディングパスのチェックが始まったので、『ずいぶん早いなぁ』と、思ったが、とりあえずは階下の待合室に移っただけだった。
出発15分前くらい、にエミレーツ航空は徹底しているらしい後ろから順ボーディングが始まった。 機内を5エリアくらいに分けているので、まずまず合理的。

日本時間午前8時にドバイを離陸して、午後5時半に成田に到着する便は、離陸と同時に到着地時刻に切り替える私としては日中便のつもりだったが、
機内の電気は消され、前の座席は最大限のリクライニング状態になり、相棒の隣の通路側の白人も熟睡モードに入るので、軽くストレスを覚える。
それぞれの人の勝手なのだが、そんな風な行動を取るから時差ボケするのではないか??
相棒はトイレに行くのに苦労し、私は成田までの10時間は腎臓機能のスイッチを切ることにした。

成田には定刻より少し早く到着。 21時前に自宅に戻れ、明日からの社会復帰に備えて爆睡。

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