下の表は、1990年と2000年と2009年の日本の歳出と歳入と歳出にしめる社会保障費の割合を示しています
兆円を万円。1年間を1ヶ月として、家計に例えると、2009年は給料が46万円だが、支出は89万円で43万円が不足しています。これは借金をして赤字を埋めるしかありません。
しかも、支出のうち28%は家族の医療費やおじいちゃんたちの生活費に充てられています。
そんな状態を示す数字です。いきなり、暗い話しですみません。少しずつ、明るくしましょう。
年度 | 歳出(兆円) | 税収(兆円) | 社会保障費(%) |
1990 | 70 | 60 | 17.5 |
2000 | 90 | 50 | 19.7 |
2009 | 89 | 46 | 28 |
2018 | 98 | 60 | 34.7 |
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このまま何もしないでいれば、どうなるのでしょうか。
税金の仕組みを変えたりしても本当の解決はできません。それが可能なら、もうすでに実行されていることでしょう。解決できないから、問題が放置されてきたのです。
国の支出を減らし、税収を増やすことでは解決できないほど財政赤字は膨らんでいます。 肥大化した政府を小さくすることはこれまでの発想では不可能なのです。
財政赤字は税収を超えて行政サービスが増えためです。たとえば、住民がやっていた地域の草刈りを、市町村が造園業者に委託するようなことが社会のあちこちでおき、住民の協力関係も失われ、借金だけが残りました。
つまり、政府(財政)は大きくなり、社会(人と人のつながり)は小さくなりすぎたのです。それでは政府を小さくし、社会を大きくするにはどうしたらいいのでしょう。
必要なサービスは減らさず、この肥大化した政府を小さくするには民間企業やボランティアが公的な部門に参入しやすくするしかありません。
そのためにどこまで、公的なサービスを削減したらいいのでしょうか。それを決める目安になるのはナショナル・ミニマム(最低限度の生活水準)と国民負担率(税金と社会保険料)です。
公的なサービスを削減する際に、もっとも核心となるべきことはナショナル・ミニマム(公の力で保障する最低限度の生活水準)とそれを支える国民負担率(一人あたりの国民が負担する税金と社会保険料の合計)です。
これらは互いに牽制しあう関係にあります。ナショナル・ミニマムの水準が高ければ、国民負担率は高くなります。この「飴と鞭」のさじ加減こそ、国民が決めるべき中心課題です。
どのような経済条件で考えるかにより、ナショナル・ミニマムと国民負担率をめぐる選択はその結論が変わります。その条件をパッケージで示すのが政治家の仕事です。その理論やデーターを提示するのが官僚をはじめとする専門家の仕事です。
防災・エネルギー・資源・食糧、産業構造、公共部門のあり方、防衛・外交。議論は川上から川下へと順番に議論していかなければなりません。これらの条件をパッケージで示して、国民にその選択をゆだねるべきです。
国民が政策を選択するとき、これまでは地域や業界の利害が優先されがちでした。有権者も国政レヴェルの政策より、地元にどれだけお金を落としてくれるか、仕事を持ってきてくれるかがおもな関心事でした。その結果が、現在のような政治不信を生んだことは周知のことです。
ですから、地元や業界の利害から自由な議論や選択ができるように、地方分権を行い、地方経済に関することは地方の選挙で行うようにすることが必要です。
また、国民の選択によっては、大量の公務員が削減されたり、業界が整理され、新しい職業へと移る人が多くでることも考えられます。その時、それぞれの立場に固執していては合理的な結論に至ることが難しくなります。
痛みは公平に支えあうためにも、ワーキング・シェアーの制度とセーフティ・ネットが整備されていなければなりません。