ーわたしの入院<そけいヘルニア編>ー (2001.11.8〜11.14)

HOME


―目次―

入院をする(11/8) 手術をする(11/9) 手術の翌日の過ごし方(11/10)

日曜日の病室(11/11) 外出する(11/12) 見舞い客が来る(11/13) 退院する(11/14)

ー番外編ー

症状 手術内容 ナースセンター 辛子明太子 退院後



阿佐ヶ谷の河北総合病院に入院をした。そけいヘルニアの手術をしたのだ。そけいヘルニアは「脱腸」とも呼ばれ、子供の頃にはなんとなくからかわれそうだったので黙っていたが、もうそんな歳でもない。長いことかかえていたが、歳とともに足の付けね部分の出っ張りが引っ込みにくくなり、この秋、家の近くのこの病院で手術して治そうと思い立った。

外来で外科にかかり、やはり根本的に治療するには手術という事になり、11月になったら、入院をという算段になった。昔17歳の頃、痔の手術をした事がある。あれは外科医の叔父の病院で切ってもらい、入院と言っても親戚の家に泊りに行った感覚だった。あれから30年以上が過ぎた。今度は大人になって初めての入院である。どんなものなのかを記録にとどめておこうと思った。


2001年11月8日(曇り)入院をする。

11:00 入院をする。まず本とパソコンと着替えが持参品。4階の4人部屋で入ってすぐの右側ベッドが私の居場所。看護婦さんが書類を持ってきて、私の既往歴などを聞き、血圧測定、入院時のお願い事項等を話す。ここの看護婦さんはあれをしてはいけない、これをしてはいけないと「注意事項」を言わないのが良い。荷物の開梱する。本8冊、洗面用具、着替え。ノートPCがおける棚もある。病室内は温度調整がしてあって、快適。先日ユニクロで買った長袖Tシャツ、トレナー、ジャージがここでの普段着。

11:40 担当医 O医師がくる。やはり既往歴等を聞かれる。患部の診断をして手術の方法を私に伝える。明日11月9日の朝9時半から始めるという事がわかった。1時間くらいであるが、意識はあった方がいいでしょうか、それとも眠っている間に済ませたほうがいいでしょうかということだったので、意識のある中で手術をしてほしいと答えた。できれば見ていたいぐらいなのだが、それはかなわぬようだ。 感じはは悪くない。2人の医師が立ち会うということだ。アレルギーのパッチテストをして問題ないという事であったが、アルコール消毒の後が四角く赤くなってしまい、アルコールに弱いという事をこんなことで再認識した。

12:20 昼食。ここの食事はA定食、B定食と選べるのだ。今日のメニューは魚のフライ、タルタルソース、和風サラダ、オレンジジュース寒天、茄子の味噌汁である。工夫はしてある。でも家人にふりかけを持ってくるよう頼む。

13:00 手術室の看護婦さんが明日の手術の手順を説明にくる。写真を見せて、麻酔注射の仕方や、手術中の心電図や血圧測定方法を説明してくれた。手術台は幅がずいぶんせまい。「落ちないように私が支えます。」というので安心する。

15:00 バリカンを持って看護婦さんがくる。ベッドの下に新聞をしき、下半身スッポンポンにされ、「ちょっとチクリとしますよ」といって一気に剃る。看護婦さんは私の一物をつまんで右へ左へ、さらに手の届かない袋の裏側まできれいに剃りあげてくれた。あらためて見ると自分のものでないような違和感を感じた。

16:30 眠いのだが、本を読む。しかしウトウトとしてしまった所へ家人がくる。家のなかでウトウト、ゴロゴロすると嫌がられるが、病院ではやさしい。

18:00 食事。病院の食事はやはりうす味だ。家から持ってきてもらった池上のごま屋さんのふりかけはおかずがいらないくらいだ。

18:30 次男がくる。嬉しそうに入ってきた。学校の帰りに寄ってくれた。ベッドの上にのって、父親がこんなところに入院しているのかと思ったのだろう。明日は本のお土産を持って来ると言って、帰った。

20:00 下剤を飲む。明日の朝に効くという。パソコンでJAZZの人名を姓名別に分ける作業をする。頭痛がするので21時半にやめる。

21:30 布団に入る。ジョン ダニングの「深夜特別放送」を読むが進まないので寝る。

23:30 朝だと思ったら、まだ23時半。


11月9日(金)雨 手術をする

6:00 起床。看護婦さんがきて、トイレで浣腸。いちじく浣腸の3倍くらいの大きさと長さのものを痔気味の肛門にいれる。5分くらい我慢してくださいねといわれたが3分が限度。 この日は朝から夜まで何も口にできないということだ。。

8:00 点滴が始まる。O医師も来て診察。体調を聞かれる。快調と答える。

9:30 手術着に着替える。手術着の下は何も身につけない。眼鏡もはずさないといけない。病室の前にあるストレッチャーにのり、エレベータで2階の手術室へ行く。手術室へはステンレスの大きな自動扉を2回通過しないと入れず、宇宙センターのオペレーションルームに入るような感じである。手術室では昨日の看護婦さんの他にタレントのような看護婦さんが2人出迎えてくれる。他は知らないが、ここの看護婦さんのレベルは相当高い。まるでエステサロンのようでもある。その彼女たちの前で裸身をさらすのはやや恥ずかしいが、患者と思いあきらめる。手術台に乗る。一瞬素っ裸にされ、手術部位を残し、カバーがかけられる。

9:45 せまい手術台で横向きになり、膝をかかえるようにして背中を丸め、麻酔を開始。局部麻酔の注射を背中に射ち、そのあと脊髄注射で下半身がだんだんしびれてくる。切る方の右側の方が効きかたが強い。こういうコントロールができるのかと感心する。5分待って冷たい綿で麻酔の効き目を確認する。足がしびれて、へその辺はまだ冷たさが確認できるが、右足はしびれが強く、まったくわからない。

10:00 胸の辺に布が掛けられ見えないようにして手術が始まる。 (手術内容) 手術中は看護婦さんが常に私の見えるところにいて、体調(気持ち悪くないですか、寒くないですか等)を絶えず聞き、心電図と血圧計をチェック。私もじぶんで血圧計を見たり、柱時計を見たり、無影灯に映る先生の動きを見たりしながら、今どういう事をやっているのかと想像して、時間をすごした。途中で血圧が98に落ちたときは、看護婦さんが報告して、血圧を上げる点滴を追加した。自分でも自覚症状はないのだが、なんとなく上げる努力をしたように思う。その後また120台に落ち着いた。手術そのものは下半身がしびれているので、どこまで進行しているのかまったくわからないが、執刀をしたM医師が担当のO医師に講義をするような形で、和やかにすすんでいた。ホッチキスで縫合する音で終わりが近づいているのがわかった。

10:45 看護婦さんの「終わりましたよ」で、とにかく一安心。M医師からも無事終わった旨知らされた。横たわったままだが、お礼を言った。
手術台から一旦大きな搬送用のストレッチャーに移るときは、そこから板が出てきて横移動。さらに出迎え用のベッドへも横移動。外科病棟の看護婦が迎えに来て引き渡される。横移動には関心する。

11:00 2重扉を出て、エレベータにのり、病室に戻る。ここでも横移動で自分のベッドに落ち着く。家人がいた。すでにO医師から、「何も問題無く、終わりました。」と報告を受けていた。これからは安静なので、ただ横になっているだけだ。点滴は明日の朝まで続くという。

15:00 麻酔がきれてくる。最初は左足首が動かせるようになり、だんだん左足全体が動かせるようになった。こうなると寝返りもできる。右足はまだしびれていて、こちらの意志が何も効かない。下半身麻痺とはこういうことなのかと実感する。麻酔を早く切るには刺激がいいのかと思い、右足をつねったり、動かそうとしたりして、ベッドのなかで時間をつぶす。

16:00 手術中は消えていた頭痛がまた出てきたのでO医師に言い、看護婦さんに座薬を入れてもらう。手術後の痛みは十分耐えられるが頭痛はよくない。30分ほどで効いてくる。

19:00 次男が見舞いにくる。日課になったようだ。起き上がれないので、枕元で学校の事や、あすの横浜行きの事などを話してくれる。「草野球の友」を持ってきて、起き上がれるようになったら読んでと言って置いていく。

20:00 看護婦さんが尿瓶を置いていく。軽く受け取ったが、これが今晩一晩苦労する事になるとは思わなかった。

21:00 午前9時に小便に行ったきりで、12時間が経過。もうそろそろかなと思い、尿瓶に向かって用を足そうと思ったが、全然出る気配はない。寝ながらオシッコというのはそう簡単にできるものではない。尿意はあるのだがもう少し待とう。

22:00 何回か試みたが、やはり寝ながら小便などできない。立って、トイレでやればできるのだがと看護婦さんに申し入れたが、それはだめですよとの事。尿意も増してきたので、仕方無しにゴム官をいれてだしてもらう事にする。

22:30 看護婦さんが来て、ごめんなさいねといいながら、管を入れるが、途中でつまって、膀胱まで達しない。何度やってもだめで、他の看護婦さんも呼ぶがやはり同じ。バルーン用の太いのも試すが、これもだめ。女医さんもくるが、これもだめ。看護婦さんが困ってしまっている。刺激が与えられて、出そうな気もしたので、しばらく様子をみるからと言って、一旦帰ってもらう。もし他の病気で尿官にゴムをいれる事が出来なくなったら困るなと一瞬考えた。

23:30 その間も尿意は増してくるので、立ち上がってはいけないと言われつつも、膝立ちだったらいいだろうということで、試みたら、少し出た。先ほどのゴム官で尿道に傷がついたらしく、そちらの方が痛かった。膀胱内はまだ全部出ていないので、尿意は相変わらずある。別の先生が来たが、出たということで心配ないとの事。それをきいて少し安心した。自分でも「今晩は仕方ない少しづつ出そう」という方針に変更した。

24:00 1時間〜2時間くらいの間隔で約100CCづつ出す。全然すっきりしないが、これで膀胱が腫れる事はないだろう。熱も37.8度まで出たが、これはどうも手術後の熱の様である。

5:30 この状態が朝まで続く。長い夜であった。

 


11月10日(土)雨 手術の翌日

7:30 起床して、看護婦さんに着替えを手伝ってもらう。今日から歩行も食事もできる。点滴はまだやっているが、これもまもなく外れる。ベッドから下りると、強い尿意。着替えをしてから、トイレに行き、溜まっていたものを一気に出す。尿道は痛いがものすごくさっぱりした。これでもう本当に何の心配もない。顔を洗い、歯を磨く。

8:00 朝食。パンとマーガリン、チョコレートクリーム

8:30 O医師が来て、点滴の管と手術時のバンソウコウを外してくれる。これでもう自由である。

9:00 白洲正子の「日本の伝統美を訪ねて」を読む。

10:00 田舎の父に電話する。わたしの声を聞き、安心したようで喜んでくれた。父も同じ手術を高齢になってからしたのだ。

12:00 昼食。ソバとおにぎり

13:30 長女がくる。花見煎餅を持って「快適そうじゃん」といって入ってくる。売店でお茶を買い、持ってきた煎餅をポリポリ食べ、これから友達の家に行くと言って帰る。阿佐ヶ谷までの道順がわからないというので正面玄関までいって教えてやる。

15:00 次男が横浜の帰りに立ち寄る。「みなとみらい」へ行ってきたという。煎餅をたべ、自分のポットからお茶をのみ、今日は疲れたと言って、帰った。

15:30 次男と入れ替わりに家人が来る。雨はまだ降っている。昨夜のオシッコ騒動の話をしたら、入院中に泌尿器科にいったらと勧められ、前立腺肥大の治験 依頼の広告やインターネットの資料を持ってきた。

17:00 O医師に昨夜管が入らなかった旨報告をする。麻酔がきいているとよくあるという。あまり心配する事はないようだ。

21:30 消灯


11月11日(日)晴 日曜日の病室

6:30 起床 夜中の1時に起きただけで、たっぷり9時間睡眠。

8:00 食事までの時間が長い。食後天気がいいので、屋上に出る。少し寒いが、雨上がりで気持ちがいい。

9:00 加藤周一と鶴見俊輔の対談集「20世紀から」を読む。
今日は頭痛がしないので鎮痛剤も飲んでいないから、傷口とその周辺があらためて痛い。右足も少し筋肉痛。しかし、たいした事はない。

9:30 家人が外出の途中に立ち寄り、座布団や着替えを置いていく。
洗髪のできる洗面台があるというので、久々に頭を洗う。さっぱりする。
割り込みなく読書がよく進む。ただ読めば読むほど自分の知識・知性とか教養のなさが浮き彫りにされる。彼らどうしてあんなによく知ってかつ判断できるのだろうとうらやましく思う。

12:00 昼食。腹はあまりすかない。しかし、食事が病院内では一定のリズムを刻む。
夜中に病棟内に響き渡るような声で痛がっていた人も、翌日はキチンと食事をしているのを見ると、安心してしまう。
私のような「お気楽入院患者」は食べる事によって朝と昼、昼と夜のステージを切り替えるだけだが、多くの入院患者にとっては食事の質と量によって治癒のはかどり具合がわかるというものだ。食事が待ち遠しいというのはいいことだ。

13:00 時間がたっぷりあるのを実感する。JAZZの人名登録がはかどる。

18:00 夕食。

19:00 次男が来る。今日は日曜だが午後から野球部の練習があったという。疲れているのに必ず立ち寄ってから家に帰る。ホッチキスで止めてある傷口を見せる。彼もスキーに行って、頭を切り、ホッチキスのもっと太いので、バシッバシッと縫われた痛い経験を持っているのだ。

21:30 看護婦さんがもう消しますねと言って消灯。本を読みながら就寝


11月12日(月)曇り 外出する

6:30 看護婦さんが「大丈夫ですか」といって病室の4人の患者一人ずつに声をかけて起こす。彼女は昨日の朝からズーと働きとうしであり、こちらの方がそう声をかけたくなる。

8:30 いつもこの時間にO医師が回診に来るので、それにあわせ家人も早く来る。O医師は患者の私より、家の中で実権を持っているのは家人であると早くも判断したのだろうか、退院の計画などについて、家人と話したがっていた。明日以降ならいつでも退院できるという事になり、14日(水曜日)に退院したいと伝える。家人も了解する。抜糸は16日(金曜日)に外来で行う事にした。そうか、医師が退院できると判断しても、受入側が拒むというケースもあるのだと、3人で話していて、急にわかった。「外出許可」も申請した。

9:30 屋上へ行き、携帯メールで会社のHさん、Yさん、Oさんに状況報告のメールを出す。

10:30 毎日この時間に検温と血圧測定。今日の担当看護婦さんの名前を知ろうと思って、胸のカードを見ようとしたがわからなかった。血圧が130/98と高くなってしまった。

11:00 胃潰瘍で入院している同室のYさんのところに看護学校の学生が実習に来た。7〜8人全員が来てそのうちの一人がYさん担当になった。生活や仕事のことなど質問して、話相手になっている。目がクリっとして、明るく、かわいい子である。昼食のときもずっとそばにいて、献身的?だ。

14:00 手術室の人がアンケート用紙をとりに来た。この看護婦さんも芯が強く知的な顔立ちをしている。サポート体制がよく、安心して身をましかす事ができたし、手術中の気配りにも感心したと言ったら、また是非どうぞといっていた。許してやろう。あまり行きたいところではないが、手術する羽目になったらまたよろしくといってあげた。

15:00 外出。入院後初めての外出。街を歩く人がずいぶん早く感じられる。私はそろりそろりと遅い歩み。雨上がりで気持ちがいい。「書楽」で雑誌を買う。「ぎおん」で生クリーム入りコーヒーを飲みながら新聞や週刊誌を読む。帰りに駅で夕刊を買って、16時に病院へ帰る。いつも通る道だが、新鮮な景色である。

18:00 夕食

19:30 次男が来る。いつもより遅いが、必ず来る。

21:00 ホームページ用のJazz人名の生年、没年、出生地を全部EXCELに登録完。247名。わからなかった人名90人分は削除した。


11月13日(火) 晴 見舞い客が来る。

6:00 目がさめてしまった。7時間半寝たからよしとしよう。朝が長い。食事までの間にした事。洗顔、歯磨き、髭剃り、近くのセブンイレブンへ新聞を買いに、TVのニュース(またニューヨークで飛行機が墜落、今度は事故か?)、ヘルニアの手術イラスト作成

8:00 朝食。

8:10 O医師がきたので、さきほど書いたヘルニアのイラストを見せて、説明をしてもらった。

10:00 隣のベッドの同病、Mさんが退院。糖尿病のTさんが窓側に移る。しばらくYさんと3人で雑談。糖尿病は大変。Tさんはもうすぐ80歳。インシュリンの注射を自分で打つたびに担当看護婦さんから、テストをされる。普段の生活習慣のなかで血糖値をキチンと把握したり、自分で注射を間違いなくうつため、しつこく教育が行われるのだそうだ。

12:00 昼食。この間はあたたかいそば、今日はうどんである。これでは食欲がでない。美味しいザルソバが食べたい。

13:00 いつもならこの時間は眠いか頭痛、肩こりの始まる頃だが、この4日間はなんともない。JAZZのExcel化はほぼ終わり、HTMLに変換している。人名はほぼ終わった。

15:30 家人が新宿の帰りに立ち寄る。帰ると入替わりに会社のHさんと、Yさんがお見舞いに来てくれる。ごく一部の関係者にしか入院のことは話していないのだ。30分ほど雑談。会社はもう長く行ってないような気がして、「何かかわったことありませんでしたか?」と聞く。まだ休んで3日しかたってないので何も変化なんてないですよとの事。それもそうだ。帰るときに外出届けを出して、一緒に阿佐ヶ谷駅まで行く。昨日より早く歩ける。「書楽」、「ぎおん」という1時間コース。

18:00 病院での最終日の夕食は一口ヒレカツ。夕方外出した時に、駅ビルで美味しそうなカツとか天ぷらがあったが、買わなくてよかった。食後、O医師が様子を見に来る。毎日2回来る。痛みもずいぶん和らいだ。くしゃみをしてもそう痛くはない。

19:00 次男が来る。精勤賞である。間違って、3階に行ってしまい、あせって入ってきた。長男は忙しさにかまけて来なかったが、本当は入院病棟が苦手のようである。ケガばかりして、病院にはひと一倍世話なっているが、どうやら病室に人が寝ているというのがとてもいたたまれなくなってしまうのかもしれない。寝ている本人は病気を治すという積極的な意味があって入院しているにもかかわらず、である。病室だって普通の社会の一員と同じである事を長男は知識では理解しているが、感情面でゆらいでしまうのだと思う。

20:30 トイレに行く。腸が正常の位置に落着いたのか、やや固いがスムーズである。

21:00 今日はこの病院での最終日。今回の入院体験は良かった。特にこの病棟の私がいたフロアーは内科と小児病室もあり、重症患者も多いが、なるべく日常と変わりなく向き合っていこうという姿勢がある。だから私も、病の人も健常な人も同等に接することができたのだと思う。


11月14日(水) 晴 退院する

6:30 起床。昨夜は推理小説を読みはじめてしまったので、少々寝不足。

8:00 O医師がきて、縫合部位を殺菌消毒。新しいバンソウコウに張り替えてくれる。抜糸とその後の診察計画がわかる。それによると16日抜糸、21日診察で完了になる見込み。O医師にお礼を述べ、感謝の意を表わす。

8:10 朝食。いつもパン食だが今日はトースターがすぐ近くにあったので、焼いて食べる。やはりパンは焼いた方がうまい。

9:30 荷物もまとめ、会計も済ませた。ナースセンターへ行き、顔なじみになったばかりの人々にお礼の挨拶をして、正面玄関前で家人の迎えの車を待つ。このときの気分は、長い間滞在したホテルから空港のロビーに移り、さああとは飛行機にのって帰国するだけという時の気分に似ている。

10:00 車が来た。帰宅する。


番外編


<症状>

私のヘルニアは右足の付け根(そけい部)が膨らみ、うまく押すと腹腔内に収まるが、押し方の角度を間違えると押しもどされ、痛いというよりもうっとうしい感じがする。ほっておいても治らないので、次のような手術をした。(一部想像あり)

<手術内容>

下半身麻酔をして、右そけい部を斜めに約7センチ切る。飛び出ている腸は袋につつまれているので、正しい位置に戻し、余分の袋を根元で縛ってから切りとる。そのあとに穴のあいた部分をメッシュで埋め、さらに補強する。私の場合は穴部分が大きかったようであるがそれでも実質的な手術時間は30分くらいだった。


<ナースセンター>

私が入院した病棟の看護婦さんは皆元気で明るいし、また仲がいい。当然ながら良く仕事をしている。このナースセンターにいる20人くらいの看護婦さんのうち半数以上の人が入れ代わり立ち代わり私の面倒を見てくれたのだ。たかだか7日間しかいなかったのにである。人に気をかけてもらう生活もまんざらでもない。また夜中に一人で置いておけない患者さんはナースセンターにベッドごと持ち込み、集団で面倒を見ている。いいシステムである。毎朝8時ころから全員が立って引継ぎミーティング(と思う)をやり、その後われわれの食事が済むのを見計らって元気よくカーテンを開けにくる。これからまた1日が始まるのだという気分にさせてくれる。病院での生活はこうでないといけないし、その原動力がナースセンターにあるのだと思う。


<辛子明太子>

剃毛したあとの自分の物をみると変な違和感があると言ったが、実は辛子明太子にそっくりである。形ではない。ぬめり感がである。男の場合、小便をする時は指でつまんでズボンの外に引っ張り出すが、その時に毛がないとぺタッと袋についたままなのだ。これをはがす時の感触が、くっつきあっている明太子をはがす時の感触にそっくりなのである。ただこれが言いたかっただけである。


<退院後>

退院後はどうもおとなしくしていた方が、身のためである。あたりまえだが、わたしは自制心が足りなかった。退院したその足で郊外のレストランに入り、かき揚天丼などを沢山食べ、昼寝してから夕飯のカキフライをこれまた沢山食べ、夜になって胃の形がわかるくらいの腹痛。翌日は内科に行く羽目になり、胃薬をもらってようやく一段落。
抜糸は手術からちょうど1週間後。私は外来でやってもらった。まったく痛くはない。抜きおわったホッチキスの玉を看護婦さんが「ほら!これですよ」と嬉しそうに見せてくれた。引きつる感じはとれたが、しばらくはおとなしくしていようと思う。