柏崎              2003年5月     


小学生の頃、毎年夏になると親戚の家族に連れられて新潟の鯨波へ海水浴に行くのが恒例だった。
国道沿いの民宿山崎さんの家の2階を借りて、三度の食事を一緒に食べ、みんなで海へ出て泳いだり、岩場へ魚を獲りに行ったりの毎日である。
もともと山ばかりの群馬県生まれだから、海が近くにある生活には慣れていない。信越線の線路を越え、干してある網と漁船の脇を通り抜け、海に近づくと波の大きさにいつも心奪われたのを覚えている。遠くに佐渡も見える。かっての流人の島、金山、たらいの舟。

荒海や 佐渡によこたふ 天河

そして雨の日はバスにのって柏崎へ。当時の柏崎の町の印象は子供の目からは都会であった。昼の3時頃からやっている東寿司は店のつくりまでよくおぼえている。メインストリートから少し左に入ると、もうそこは人通りも車もなく、静かな町の一角であった。カウンターにみんなで座り、好きなものをたのんでいいよといわれ、このときも何を食べたかは覚えていないが、ものすごく美味しかったという思い出が残っている。お好みの寿司を握ってもらったのも多分ここがはじめてであろう。

映画館もあった。新東宝の「海女の戦慄」を上映中であった。前田通子、三ツ矢歌子主演の映画で、岩場の上で海女が挑戦的な態度で見下ろしているポスターがあった。映画は見せてもらえなかったが、ポスターを何度もうらやましそうに盗み見た覚えがある。このようにして夏の柏崎はいつも雨と寿司と新東宝の看板であった。

大人になって今度はこちらが子供連れで柏崎へいった。番神岬の岬館は木造の大きい旅館が岬の先頭に突き出るように建っていたのだが、今では鉄筋のホテルになってやはり岬の先端から今度は上にも伸びて建っている。街中はかっての面影が何もなかったし東寿司や映画館も見当たらなかった。ただ魚の形をしたせんべいの「あじろやき」や「柿の種」の店はあった。最上屋というお菓子屋さんもみつけた。この店は「もがみや」と読むんだよと小さい頃年上の従姉妹に教わった覚えがあるし、帰りにいつもケーキを買う店だったのでとても懐かしかった。

このように柏崎は思い入れが強いが実は私の祖父の生まれた町でもある。わたしも「田舎はどこ」と聞かれたとき、群馬の地方都市の名前を言うよりも、祖父の故郷である柏崎を注釈付きでいうこともある。この町に来ると祖父から父へと受け継がれたものが私にも注がれるような気持ちになってくるのだ。
 夏が近づくと、いつも鯨波と柏崎を思い出す。

2003年5月24日   oggi