犬はなぜ犬とわかるのか?             2004年7月4日     


我が家の周りには大きな公園があって、朝晩にはたくさんの犬が飼い主に連れられて散歩にやってくる。大きいのや小さいの、黒や白や茶色、気が小さかったり荒かったり、明るいのや暗いのと実に多種多様である。こういう犬たちを見ていて不思議に思うのは姿・形に関係なく、犬は相手を犬として必ず認識しているということだ。猫もカラスも公園内にはうろうろしているが、犬はたぶん犬しか仲間としては認めていない。

日高敏隆さんの「動物と人間の世界認識」(筑摩書房)を読むと、人間が見えている世界と動物が見えている世界は違うという。物体は確かにそこにあるのだが、関心のあるものしか目に映らないということは我々人間の世界にもよくあることだ。しかしこれは感情であったり、経験であったりという個人の主観によるところが大きく、学習をすれば目に見える物体は何かを知ることはできる。

ところが動物たちにとって関心のあるものとは食べ物であったり、同種のメス(あるいはオス)であったり、居心地のいいソファ、散歩に連れ出してくれる人などであって、決して本であったり、パソコンであったりということはないのだ。主たる認識の対象が人間とは異なっているのであって、したがってわれわれ人間と同じようにこの世界を見ているのではないと思ったほうがよさそうだ。
犬には見えて、人には見えないものもあるかもしれないのだ。

2004年7月4日   oggi