デジタルの光と影 -Vol1-                2002年5月


有楽町に日劇アートシアターがあった頃、「アントニオ・ダス・モルテス」というブラジル映画を見た。ブラジルの最貧困地帯に山賊まがいのガンガセイロと呼ばれるゲリラがいて、町の有力者と対立していた。そこに主人公の殺し屋アントニオが現れる。まずガンガセイロと対決するが、やがて悪いのはガンガセイロではなく町の有力者側というのがわかり、ここでまた対決。闘いおわり再びさすらいの旅に出るというストーリーである。こう書くとマカロニウエスタンや唐獅子牡丹と同じだが、大きく違うのは、全編に流れる貧困と飢え、そしてそこに生きる人々の混沌とした生活である。

ガトー・バルビエリというJAZZのテナーサックス奏者のアルバムにこのアントニオ・ダス・モルテスに捧げる曲が入っている。タイトルは「光と影」である。チェ・ゲバラと同じアルゼンチンのロザリオに生まれて、来年70歳になる。彼は「ジャズという黒人の文化が僕自身の生まれた所(アルゼンチン)を振りかえるようにみちびいてくれたのだ」と語っている。彼の意識や音楽活動の根底にはアントニオの生きたラテンアメリカの抑圧された世界と同質のものが流れているのだ。

これらを思い出したのはアフガンの映像からである。荒涼とした山岳地帯や荒れ果てた町が通信衛星やインターネットでリアルタイムに映し出されているのを見て、あの「アントニオ・ダス・モルテス」の風景と重なった。混乱と苦難に満ちた人々の生活、民族と宗教と国家という重いテーマ、それがデジタル画像でやってきたことであった。

ネットワークが国境をいとも簡単に越え、さまざまな情報が世界のすみずみまで規制もなく迅速に伝わって来ることで私達は世界中の「今」を知る事ができる。科学技術、とりわけ情報通信手段の進歩が原動力になってグローバリゼーションの名のもとに、政治・経済の融合が進みつつあるが、人々や社会の連結の仕方が大きく変わっても、精神的な満足感とか、価値観までが変わるわけではない。

たしかに歴史や文化、民族学的なさまざまな生活スタイルなどはそう変わるものではないが実はこのような人文科学の領域にまでデジタル技術は入りこんでいるのである。
その一例としてデジタルアーカイブという事業分野がある。アーカイブは書庫とか史料庫というような意味であるが、これにデジタルがつくと情報技術を駆使した文化遺産の伝達、保存、蓄積、管理のことをいう。
文化遺産は時代と共に風化し、退色する。また戦争や人為的な破壊、自然災害などにより損傷したり消滅したりする。この文化遺産をデジタル技術で保存し修復しようという試みが、すでに着手されている。

また昨年(平成13年)暮れには「デジタルシルクロード」東京シンポジウムが開催された。数千年の昔から東西世界を結ぶシルクロードについては多くの研究がなされてきたが、デジタル技術と文化研究の新視点から保存とアーカイブ化を図り、新たな継承をはかろうという動きである。
これらのほかにも色や形(陶磁器など)の復元、古文書、貴重本の解読や閲覧、美術館や博物館における作品のホームページ公開など国内外で活発な活動が行われている。

このように文化もデジタル技術の応用で大きく進展しているが、これらを実現するにはまだまだ多くの技術的または運用上の研究課題をはらんではいる。しかしデジタル技術も現代の社会システムの中に組み込まれて成立しているのであるから、そこに生活している人間にとって、技術に支えられた文化をどう活用するのかでその民族あるいは文化の盛衰が決まってしまう一面もある。地域や民族によっては優先するのは医療器具や水・食料なのであって、デジタルどころではないかもしれないが、そういう情報(状況)が伝えらるのもネットワークがあるからと考えられよう。

人間の生活の中でデジタルの存在はまだまだ危ういし、私自身も技術者は芸術や作品の作り手にはかなわないと思うが、情報技術によって社会は大きくかわろうとしているのは確かである。何が変わり、何が変わるべきでないのか、デジタル情報技術の光と影の中で目をこらし、手をかざし歩むべき方向を見据えたいものである。

2002年2月11日