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オバァたまらん!というキミに贈る本 『倚天屠龍記』(全5巻)
金庸
徳間書店、2000-2001、各\1800

『セント・アグネスの戦い』
トム・イードスン
集英社文庫、1995、\600
その他






かつて世界一の長寿のタイトルをほしいままにしていた故・泉重千代さんが、あるとき、
「どんな女性が好みなんですか?」
と訊ねられて、
「年上の女」

という小話があるほど、世の中に年上の女ファンは多い。
色っぽい年上のお姉さまに、
「ふふふ、お姉さんの言うとおりにすれば、いいのよ‥‥」
などと、やさしくいざなってもらいたい!と思っている男子は、そこらじゅうにひしめいている。
「三つ年上の女房は、鉄の草鞋でさがせ」
とも、昔からいわれているくらいである。

そうした需要に応えて、当然ながら「年上の女小説」も多い。
古いところでは、源氏物語の光源氏が藤壺に想いを寄せるあたりがその典型。
くだって泉鏡花の「龍潭譚」、中勘助の『銀の匙』といった淡い慕情系から、平岩弓枝「御宿かわせみ」シリーズもそうだし、海外物では定番のコレット『シェリ』、ちょっと前のデイヴィッド・クラース『カリフォルニア・ブルー』、近いところでジョン・アーヴィング『未亡人の一年』の前半に、なぜかベストセラーになったベルンハルト・シュリンク『朗読者』などなど、枚挙にいとまがない。(注1)
そうして、これらを一読、ゾクゾクと興奮し、
「ああ、いいなあ」
「やっぱ、年上の女は、たまらん」
などとつぶやいたところで、そこはそれ、
「男のロマンなのね」
ということで、ゆるされるわけである。

が、これが年上とはいえさらにさらに年上、老婆ファンとなると、話が違ってくる。
検索エンジンなどで調べてみればわかるように、一般には老婆ファンというと、もうたいへんなことになっている。
「好みのタイプ」というよりも、「特殊な嗜好」というか、それも「甚だしく偏った嗜好」というか、まあとにかく、こんなところでは詳しく述べられないような由々しき事態になっているといっていい。
であるからして、これまでは、
「ぼく、老婆ファンなんです」
などということがばれようものなら、
「ギャッ、変態」
ということになるのが当然であった。
「鬼畜、ケダモノ」
「近寄らないで、シッシッ」
「ちょっと、お母さんも気をつけてよ」
と、忌まわしいものでも見るような目つきをされるのがつねであった。
「この前は、ロリコン男にも罵倒されて、もうオレ、人間やめたくなった」
と、数多の老婆ファンが、泣き寝入りをしていたのだ。

そうした状況下、彗星のごとく現れたのが、われらが池上永一であった。
日本ファンタジーノベル大賞を受賞したデビュー作『バガージマヌパナス』(注2)が与えた影響は、計り知れない。
そこに登場するのは、豪快で闊達、天衣無縫な老婆、いや、「オバァ」であった(注3)
オバァの老いは、従来の老いではなかった。衰えながらも活力あふれる肉体と、恥ずべきことを忘れた一徹な意志が、強力な武器となった老いであった。
人々は、自在に飛び回り活躍するオバァたちの姿に目を奪われた。
「オバァ、ステキ!」
ということになった。
従来の老婆ファンにとっては、これぞ天佑であった。
かの作品のおかげで、肩身の狭い思いをせずにすむようになった。
老婆ファンではなく、
「オバァファン」
を名乗ればよい、ということになったのだ。
真っ昼間、輝くおてんとうさまの下で、
「ボクは、オバァファンだーっ!」
と大声で叫んでも、
「ま、キミもオバァファンなんだね、ふふ、いいね」
と周囲の人には温かく迎えられる、そんな時代になったのだ。
『バガージマヌパナス』は、日本ファンタジーノベル大賞ばかりでなく、全日本老婆ファン協会から「協会功労賞」を受けたともきく。老婆ファンの地位向上およびファン層の拡大と普及に多大な貢献をなしたと評価されたのである。

実際、それまで老婆に興味がなかったにもかかわらず、この作品をきっかけにそちらの方面の魅力を知ってしまった、という人、
「お年を召したご婦人って、意外に、むふう、あっ、あっ‥‥」
と、その魅力の虜になってしまった若者は、数多いようである。

そう、たとえば、そこのキミ、キミのことだ。
「えっ、あっ、えっ? ボク? ボクのことですか?」
もちろんだ。ほかに誰がいるというのか。
「あ、やっぱり、わかっちゃいます? ふふ、えーと、その、たしかに、ボク、これまでだったら、道行く老婆の姿を見て、
「おやおや、ご苦労様」
くらいにしか思っていなかったのに、あれを読んで以来、いつのまにか、
「うっとり‥‥」
と、その後ろ姿を目で追うようになっちゃったんですけどね‥‥」
うむ、そうか、いいねえ、その単純さ。影響されやすさ。
若者は、そうでなくてはならん!
キミのような男子が、オバァファンの未来を担うのだ!
「えっ、いや、その、そんなこと言われると、なんだか、照れちゃうなあ‥‥」
わはは。
いや、そんなに謙遜しなくてもいい。
よし、気に入った。その心意気を見込んで、ひとつ、いいことを教えてやろう。
どうかね、キミ、もっとオバァな小説を読んでみたくはないかね。
「えっ、あの、その、もちろん、それは‥‥」
それも、極上のオバァ小説だ。
「ひゃっ、ご、極上! えっ、でも、ホ、ホントなんですか?」
そうだ。ホントだ。真実だ。マジだ。
ここに用意してあるのは、熟練のオバァファンも鼻水たらして喜ぶという、珠玉のオバァ小説だ。
「いや、でも、その、ほら、オバァっていっても、いろいろあるわけだし‥‥」
む。
なんだね、うぶうぶな口調のくせに、キミ、選り好みする気かね。
「ち、違います違います、ただ、その、ほら、えっと、人の好みはそれぞれだからなあ、なんて、そ、素朴に思っただけで」
わはは。
そんな赤くならんでよろしい。ちょっとからかっただけだ。
ま、ともあれ、百聞は一見にしかずというではないか。
これを見るがいい。
じゃーん。
清水義範「やっとかめ探偵団」シリーズ(注4)
この作品なら、キミも大満足のはずだぞ。
「えっ、そそそ、そうなんですか!?」
なにしろ、ここに出てくるオバァは、総勢6人。
「えっ、6人!」
しかも、それぞれに個性あふれるキャラだ。
「ホ、ホントですか!」

主人公たる波川まつ尾74歳は、ホームズもかくやとばかりの知性が光るアームチェア・ディテクティブ、というかお座敷探偵。名古屋の中川区の一角で駄菓子屋「ことぶき屋」を営んでいる彼女は、《その年にしてはやや大柄で、顔などもふくよか》、《サバサバした性格》で、《時にはピシリと厳しくきめつけたりする鋭い婆ちゃんなのだが、人格がカラッとしているから叱られても気分がいいと、妙なファンまでできてしまう》というキャラクターだ。
彼女の周りに集う脇役オバァがまた振るっている。まずは、情報屋として《「波川さん、波川さん、どえりゃーこったぎゃあ」》と、彼女のもとに事件を知らせる役回りの、小柄な芝浦かねよ。
体力派の早坂千代は、《その年頃の女性にしては背が高くて体格のよい、体に悪いところはひとつもないという豪傑》である。
《銘仙の着物を着た妙に色っぽい婆さん》は、《「進駐軍にはええ人もおったで」》などと色恋沙汰に目がない生田ハツ。
《ほおにおたまじゃくし形のあざ》があり、《いつ見ても何かを食べているという怪人》水谷島子は、《何かを食べているのでない島子を見たことがないのに、別に太っているわけではないという、ミステリー・ゾーンのような婆さん》である。
それから、《何かというと、なんまんだぶ、なんまんだぶと念仏を唱える、信心深い人間》吉川常に、《年中愚痴を、それも嫁の悪口を言いまくっている》粂山よね。

どうだね、この錚々たる顔ぶれは、どうかね。
読者は、この6人の中から、好みのオバァをよりどりみどりだ。
「そそそ、そうですね! よりどりみどりですね!」
どうかね、キミの好みのキャラは、だれかね。エッ。
「わわ、そ、そんなこと、急に言われても‥‥」
ぐはは。ほら、恥ずかしがらんと、言ってみなさい。ほら。
「えっ、あの、その、えーと、ひとり選ぶとしたら、えーと‥‥」
ん、ん、誰だね?
「ハ‥‥」
なに? 聞こえぬぞ。
ほら、もっと大きな声で、言ってみ。
誰も聞いてなんか、いないから。ほら。
「あの、その、ハ、ハ、早坂千代さんっ」
お、早坂千代か。
わはは。
わーっはっはっ。
「あ、あの、そんなに、笑うなんて、ししし失礼じゃないですか。そ、そんなに笑うんだったら、ボク、帰りますっ」
あ、わはは、待ちたまえ、いや、別に、バカにしたわけじゃないぞ。
いやあ、悪かった悪かった。すまん、ほら、この通りだ、あやまる。
ま、ほら、体力派の千代さんが好みとは、いやあ、さすが若いもんはいいなあ、なんて、ほら、思ったわけだよ。わはは。
な、ほら、そんなふくれっ面せんと。いやあ、すまんすまん。
よし、わかった。お詫びの印に、もう1冊、紹介してやろう。
体力派のオバァが好きなキミに、これなんかピッタリだ。
金庸『倚天屠龍記』(注5)
どうだ。中華四千年の歴史は侮れぬぞ。
ここに出てくる強烈豪快オバァの金花婆婆ときたら、すごいのだ。沖縄オバァなど、一撃のもとに粉砕だ。
なにしろ、霊蛇島の銀葉先生夫人である彼女は、高齢にもかかわらず、その内功は超絶なのだ。
《金花婆婆はじっと相手の長剣の切っ先を見つめ、まばたきもせずにいたが、突然手にした杖が閃いた。滅絶師太の剣も肩へ走る。咳の声とともに杖が横に払う。滅絶師太は剣とともに敵の背後に飛び、剣を突き出した。金花婆婆は振り向きもせず、杖をさかしまにその剣を打ちすえる。
 三、四手合わせるうち、キーンという響きに、滅絶師太の長剣は二つに折れていた。》(注6)
えっ、どうだ。
「ああっ、す、すごいっ」
《丁敏君が言いかけたとたん、パパパパンと四つの音。丁敏君は目がくらくらっとして倒れかけた。続けざまに頬を打たれたのである。よろよろとして咳き込みながらこの早業、まったく避ける余地もなく、金花婆婆はすでに二丈も離れて立っている。》
ほら、どうだどうだ。
「あっ、あっ、いい、あ、もうダメ‥‥」
《金花婆婆は飛び出して杖で腰を突き、さらに数丈突き飛ばして言った。
「今度この島へ来たなら、丐幇の者を百人殺すぞえ。この婆も約束は守るほうじゃ、しるしに花を一輪くれてやろう」
 左手で金花を放つと、陳友諒の耳の下の「頬車穴」に当たり、口がきけなくなった。》
「あああーっ、もう、ボク、ボク、はあはあ‥‥」
だがしかし、武功と内功だけが、すごいのではないぞ。それだけでは、金庸の超絶武侠小説にはよく出てくる豪傑オバァと変わらない。
《ただ目だけは澄みきって、まるで少女のように生き生きとしていて、いかにも穏やかに見えるのだった。》
と、第2巻あたりで若かりし頃の美貌を匂わせていた金花婆婆だが、それもそのはず、第4巻で明らかになるその正体こそ、実は○○○王、しかも明教の○○だったのだ! ここで言ってしまってはネタバレになってしまうから言わないが、とにかく、そうなのだ!
「あっ、あっ、すごい。すごい。ああーっ、ボクも、ボクも、そんなステキなオバァに、ねじ伏せられたい! 押し倒されたい! 杖で打ちすえられ、パパパパンとびんたされ、金花で点穴されたい! はあはあ」

いいだろう。たまらんだろう。息も絶え絶えだろう。
どうだ、キミ。ま、今日はこれをむさぼり読んで、夜はいい夢でも見るがいい!
ぐわーっはっは。
では、私は、このへんで失礼を‥‥。
「あ、あの‥‥」
ん? なんだ? まだ何か、用があるのか?
「あの、実は、その‥‥」
む、何だ、言いたいことがあったら、言ってみなさい。
「えーと、実は‥‥」
む、もしや青年、不満なのではあるまいな。
これではまだ満足できぬ、『倚天屠龍記』では物足りぬ、ということかな。
「あ、えっと、その、そういうわけじゃ、ないんだけど、でも、あの‥‥」
お、なんだね、キミ、打ちすえられてされて、びんたされて、点穴されても、まだ不満だというのかね。
「いえ、あの、そういうの、いいなあって、思うんですけど、でも、実はボク、あの‥‥」
ぷふ。
ぐは。
ぐわーっはっはっは。
いやあ、そうか、満たされぬか。
さらなる老婆を求めて、熱くたぎってしまうか。
わーっはっは。
いやあ、元気元気。若いって、いいねえ。がはは。
いや、もう、言わずともよい。わかったわかった。
ま、よし、それなら、もうひとつ、金庸を‥‥。
「いや、ちちち違うんですっ、金庸は、もういいんですっ」
なぬ。
金庸では、不満か。
うーむ、キミ、幼い顔してなかなか難しいことを言うねえ。
金庸でダメとは、さて、いかに‥‥。
「いや、あの、そういうことではなくて、あの、あの、ぼぼぼボクは、ボクは‥‥」
うむ、なんだ。言ってみなさい。
私にできることなら、何だって力になるぞ。
「ボクは‥‥」
ふむ。
「ボクが、ホ、ホホホントに好きなのは‥‥」
うむ。
「き、き、き‥‥」
なんじゃ。
「き、きき、ききき金髪‥‥」
む。
金髪。
ぐふ。
ぐわーっはっはっは。
そうか、そうか。がーっはっはっは。
金髪か。パツ金か。そうか。洋物がよかったか。
わはは。いやあ、失敬失敬。いや、不覚不覚。
それでは金庸では不満だわなあ。
同じ金でも、庸ではなくて髪か。
わーっはっは。
すまんすまん、思い至らぬ私が悪かった。
そうか。
そんならそうと、最初っから、言ってくれればよかったのだ。
わはは。ま、そんな顔せずともよい。
喜ぶがいい。ここにいいものがある。
「えっ! ホントですか!」
うむ。
決して抜かりがあるものか。
キミみたいなコのために、ちゃーんと、用意してあるのだ。
洋物オバァファンには、この1冊がおすすめだ。
トム・イードスン『セント・アグネスの戦い』(注7)
これは、いいぞう。
舞台は、19世紀半ばのアメリカ西部。
ニューメキシコの砂漠のただ中。
テキサスで人を殺してお尋ね者となったナット・スワンソンが、逃避行のさなかに遭遇したのは、アパッチに襲われ包囲された幌馬車、そこに生き残った3人の修道女と7人の子どもだった。
ひょんなことから彼女たちを救出する羽目になったスワンソンは、30人のアパッチ集団を相手に悪戦苦闘をすることになる‥‥。
という、乾ききった風と埃の匂いがする、典型的な硬派骨太アメリカ西部小説なのだが、その修道女のリーダー、シスター・セント・アグネスがいい。
67歳の彼女を支えるのは、たぐいまれなる信仰心と前向きな精神だ。まず、やって来たスワンソンに対して、昂然と、
《「あなたは子供たちを救うために神からここにつかわされたのです。そして神のお力で、あなたはやりとげられることでしょう」》
と言い放つ。
闇夜にまぎれて襲来したインディアンには法衣を広げて脅す。恐慌をきたした相手に弓を射かけられても、へっちゃらだ。《シスター・セント・アグネスは、にこにこ笑っていた。
「聖パトリックのご加護ですよ。傷ひとつありません」》
物語の後半では、おとりとなって修道女たちを落ちのびさせたあと孤独の中で考えにふけっているスワンソンのもとに、突然、舞い戻る。
《「あんたはどうしてここに?」
「神につかわされた人に会ったのは、あなたが初めてだからです」》
そんな彼女の強靱な信仰と意志は、ついには敵のアパッチをも怯えさせるにいたる。
《彼ら(註・アパッチ)がシスター・セント・アグネスを恐れているのは明らかだった。彼らだけが知っている何かの理由で、彼女が偉大な力を持っていると信じているのだ。スワンソンは笑いを浮かべた。それなら、自分もそう信じているひとりだ。》
そして彼女の大活躍は、ラストにいたって最高潮を迎える。最後の4ページ、あまりのカッコヨサに、涙なしでは読めません。
帯の惹句には「孤立無援の、男の戦い」などと書いてあるが、こんな言葉にだまされてはいけない。
タイトル通り、正真正銘、これは戦うオバァの小説だ!

「すすすすごいっ、ああっ、ボク、ボク、ボク、もう‥‥」
どうだどうだ、好みのうるさいキミも、大満足であろう!
「だだだ、大満足どころか、ああ、もう、ボク、なんだか、体が熱い‥‥」
そうかそうか、大興奮かね。
ぐわーっはっはっは。
おっと、興奮しすぎて、鼻血を出してはいかんぞ。
「ボク、ボク、なんだか、力が湧いてきました。元気が出てきました」
おお、そこまで言ってくれるか。
そう言ってくれると、私も嬉しいぞ。
わーはっはっは。
「あの、せっかくだから、思い切って言います!」
む、どうしたどうした、その熱い眼差しは、何だ。
「もうこんなチャンス、ないかもしれないから、言います。あの、こんな願い、ダメかもしれないけど、あ、ダメだったからって、別に、がっかりしないし、この、『セント・アグネスの戦い』があるから、もう大丈夫だし、だから、あの、思い切って言うけど、あの、もしかしたら、万にひとつってこともあるし‥‥」
なんだなんだ、ほら、言ってみたまえ。
「『セント・アグネスの戦い』みたいな、すばらしいオバァ小説を紹介してもらったあとで、こんなこというのは、申し訳ないのだけど、でも、ボクには、もうひとつ、望みがあるのです!」
うむ、なんだ? どんなものが望みだ?
「ボクが読みたいのは、そう、ききき金髪のオバァが、はあはあ、む、む、むむ、むむむむ群れになって、取り囲んでくれるような‥‥」
ななななんと!
パツ金の!
オバァが!
群れをなして!
「あ、あの、いいです、別にいいです、そうですよねえ、そんな本、あるわけないですよねえ。あ、あの、ホント、いいです、ありがとうございました、こんなヘンなこと考えてる、ボクが悪いんです。忘れてください。さよなら」
あ、これ、待ちなさい。
ほら、キミ。
大丈夫だ。
こんなこともあろうかと思って、用意しておいたのだよ。
むわーっはっはっは。
あるぞあるぞ、望みの小説は、ちゃんとここにある!
「えええええっ! ほ、ほ、ほ、ほんとですか!? 真実ですか!? マジですか!?」
ホントである。
真実である。
マジである。
あるのだ。
金髪老婆がウジャウジャと登場する登場する小説が、あるのだ。
それも、10人や20人ではない。
もうハーレムどころの騒ぎじゃないぞ。
キミ、何人だと思う?
「えーと、さ、さ、30人くらい?」
わーっはっは。まさかまさか。それっぽっち。
「えっ、えっ、そ、それなら‥‥。ごごごご50人?」
がはははは。小さい小さい。青年はもっと大志を抱きたまえ!
「えっ、えっ、なななら、おおお思いきって言うけど、ひゃ、ひゃ、100人くらい?」
ぐわーっはっはっは。
100人。がはは。それっぽっちなものか。
聞いて驚くな。
もったいぶらずにそろそろ紹介してやろう。これだ。
R・A・ラファティ「九百人のお祖母さん」(注8)
900人だ!
900人の、オバァ、オバァ、オバァ、オバァ、オバァ!なのだ!
「きゅ、きゅ、きゅ、きゅうひゃく‥‥うーん」

お、おい、キミ、だいじょうぶか。
‥‥うーむ。
あまりの嬉しさに、失神してしまったか。
うわーっはっはっは。
何という純粋。
何という正直。
若者たるもの、こうでなくてはならん!
それにしても、この顔の、なんと幸せそうなことか!
900人のオバァに取り囲まれた、オバァ天国でも夢見ているのか。
ぐわーっはっはっは。
さらば、青年。
もうキミに教えるべきことは、何もない。
今日、紹介した本を読んで、立派なオバァファンになるがいい。
わーっはっはっは。
ぐわーっはっはっはっはっは。





(注)
この文章は、掲示板10000hitを踏んでいただいたみちるさんにリクエストしてもらったものです。実に、当HP初の「読者からのリクエストお題」。ホントはもっと気軽にリクエストしていただいてかまわないんだけどねえ‥‥。

(注1)
泉鏡花「龍潭譚」:『泉鏡花短篇集』(岩波文庫)所収。ちなみに、年上は年上でも「お姉さま」ではなく「お母さま」のほうがいい!というキミには『草迷宮』(岩波文庫)がおすすめだ。
中勘助『銀の匙』(岩波文庫)。「少年時代モノ」の定番中の定番。同じ著者の『蜜蜂/余生』(岩波文庫)は、兄嫁に寄せる想いがそそるぞ。
平岩弓枝「御宿かわせみ」(文春文庫)の詳細はこちら。「ボクもおるいさんのような彼女が欲しい!欲しい!」と胸をときめかせているファンは多い。
コレット『シェリ』(岩波文庫)。息詰まる恋!張りつめた関係!「女の立場から見た年上の女小説」の白眉。
デイヴィッド・クラース『カリフォルニア・ブルー』(早川書房)。これに出てくる年上の女は「女教師」。女教師ファンは必読だ!
ジョン・アーヴィング『未亡人の一年』(新潮社、上下とも\2300)。最後の1行のためにすべてがあるといっていい、ああもう間然するところのない完成度はさすが。前半は年上の女小説だが、後半はだんだん年上というより老婆になる。ちなみに、おっぱいファンにもおすすめ。
ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社)。それなりにおもしろかったが、いまひとつこれが何でそんなに売れたのかよくわからぬ。もっとおもしろい年上の女小説は、いっぱいあるだろうに。

(注2)
文春文庫、1998、\562。神様のお告げでユタになれと命ぜられた19歳の美少女綾乃の天衣無縫な物語‥‥。のわりには、彼女の親友にして86歳のオバァであるオージャーガンマーと、愛すべきライバルであるカニメガのほうがクッキリと印象に残る。さすが元祖オバァ小説である。ちなみに、文庫版に載ってる解説は、この作品のオバァ小説としての本質を完全に見落としたものとして失笑を誘う。

(注3)
「オバァ」という言葉自体は、この小説ではなく、『沖縄オバァ列伝』(双葉社、\1300)に由来する。
したがって、厳密には、「オバァ」という語は、沖縄のオバァにのみ適用すべきではないか、という意見もあるだろうが、それでは「オバァ小説」自体が甚だしく僅少になってしまうので、ここでは広義の意味にとりたい。

(注4)
『やっとかめ探偵団』『やっとかめ探偵団危うし』『やっとかめ探偵団と殺人魔』(いずれも光文社文庫)など。
笑える老人モノの第一人者である著者の面目躍如!というシリーズ。とくに『〜殺人魔』は、連作ミステリとしてもなかなかの凝りようでステキである。

(注5)
全5巻、徳間書店、各\1800。『射G英雄伝』、『神G剣侠』に続くシリーズもの。倚天剣、屠龍剣というという2つの宝剣をめぐり運命に翻弄される主人公・張無忌は、金庸武侠小説にありがちなことに、根っから素直ないいやつで、ぼやぼやしてるうちに超絶武芸を修得してしまい、そのうえ4人の美少女にもてまくりで、最後の最後にいたってなお、
《(ぼくたち五人、みんなで仲睦まじく一生一緒にいられたら、どんなに愉快だろう?)
 実はそれが張無忌の究極の願いだった。》
などといっている始末。毎度毎度のことながら、いいかげんにせえ!という感じであるが、まあそのあたりがまた金庸作品の楽しみでもあるのだからしかたがない。

(注6)
ちなみに、滅絶師太は峨嵋派の掌門。これまた超絶のオバァである。この戦闘シーンは、オバァ対オバァの直接対決、オバァのキャットファイト!という感じで、マニアックなオバァファンには、もう鼻血モノだ。

(注7)
鎌田三平訳、集英社文庫、1995、\600。もう絶版なので、古本屋で見つけたら、ぜひ買っておこう! ちなみに原題もそのまま「St. Agnes' Stand」である。

(注8)
『九百人のお祖母さん』(ハヤカワ文庫)所収。「ほらふきじいさん」こと超絶奇想SFの大御所R・A・ラファティの短篇は、オバァファンじゃなくても、たまりません。



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