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| P30 | 無意識への扉を開いた男──彼が言うには、そこは欲望と激情、それに抑圧が 主導権をめぐって戦う場──また、私たちが自分を見る見方を変えた男 | unconscious :無意識、 lust : 肉欲,強い欲望、 rage : 激情,激怒、 repression : 抑圧,抑制 |
| 1 | フロイドの戦いには中途半端なものはない。一方に賞賛と呆れるほどの追従 が、もう片方には懐疑と徹底した侮蔑がある。大袈裟な話ではない。今、文 化的偉人達を祭る神殿にフロイドを祭ろうという精神分析学者は容赦ない非 難に対処しなくてはならない。この非難者はフロイドを大ぼら吹きと証明す るためには日夜を惜しまないのである。しかしどちらの側も納得することが 一つある:良いにしろ悪いにしろ、精神を探求するほかの誰よりもフロイド は20世紀の精神を形作ったのだ。まさにフロイトを中傷する人達の激しさ や執拗さが、皮肉にも、彼の考えが依然として力を持っているということを 実証している。 | neutral : 当たり障りのない,はっきりしない、 admiration : 感嘆,賞賛、 downright : 全くの,徹底的な、 adulation : お世辞,追従、 skepticism : 懐疑、 disdain : 侮蔑、 hyperbole : 誇大表現、 psychoanalyst : 精神分析学者、 enshrine : を祭る,神殿に祭る、 pantheon : 万神殿,殿堂,神々、 contend with : 〜を相手に苦労する,〜に対処する、 relentless : 容赦のない,冷酷な、 charlatan : 山師,大ぼら吹き、 contend : 戦う,論争する、 psyche : 精神,心理、 fierceness : 獰猛さ,猛烈、 persistence : 固執,粘り強さ、 detractor : 中傷者、 wry : ゆがんだ,見当違いの、 tribute to : 〜に対する賛辞 |
| 2 | こうした怒りを含んだ対決というのは珍しいことではない;フロイドが精神 分析学という名の一連の理論を発展させてからというもの、こうした対立は フロイドに付きまとってきた。フロイドの基本概念──人間にはすべて無意 識の世界がある。そこでは強烈な性的かつ攻撃的衝動と、それに対する防御 が、いわば各自の陰で主導権を求めて争っている──は、多くの人には非現 実的で科学的には証明されない概念と映った。人が陥りやすいノイローゼと いった症状は性的不適応のなせるわざであり、性的欲望は思春期に始まるの ではなく幼少から始まるのだ、という彼の主張は教養ある人達には不快その ものに思われた。エディプス・コンプレックスというのは(複雑な問題を簡 単に言い過ぎてはいるが)、少年が母親を愛し、父親を憎むこと。この普遍 的なエディプス・コンプレックスを大仰に掘り起こすことは文学的発想であ り、科学的思考の持ち主である心理学者が考える価値のあるテーマではない ようにみえる。 | embitter : 怒らせる,一層ひどくする、 confrontation : 対決,直面、 dog :につきまとう,侮辱する、 footstep :歩み,足跡、 psychoanalysis : 精神分析(学)、 endow : に与える,〜を授ける、 potent : 強力な、 aggressive : 攻撃的な、 supremacy : 主権,優位、 romantic : 非現実的な、 scientifically : 科学的に、 unprovable : 証明できない、 notion : 概念,観念、 contention : 議論,論点、 catalog : (目録)カタログ、 neurotic : 神経(系)の,神経症の,ノイローゼの、 ailment : 病気、 susceptible : 陥りやすい、 nearly always : たいてい、 sexual maladjustment : 性(的)不適応、 erotic desire : 性愛の欲望、 puberty : 思春期、 infancy : 幼年期、 respectable : 尊敬すべき,相当な、 nothing less than : 〜に他ならない,ちょうど〜だけ、 obscene : 卑猥な,不快な、 evocation : 喚起,誘発、 universal : 普遍的な、 Oedipus complex : エディプス・コンプレックス、 literary : 文学に通じた,文学の,文芸の、 conceit :思いつき,奇想、 thesis : 命題,論題,論文、 psychologist : 心理学者,生理学者 |
| 3 | フロイドが始めて精神分析学という言葉を使ったのは1896年。このとき 彼は既に40歳だった。それまでも彼は若いときから野心を持ち、また彼を 溺愛していた両親に自信をもつように励まされてきた。1856年、プライ ベルク(今はチェコのプライボー)のモラヴィア村の貧しいユダヤ人の家庭 に生まれる。そして急速に増える家族と共にウィーンに移住。彼は母親にとっ て最初の子供であり、「大事なシギー」だった。彼の才能を認めた両親は、 落ち着いて勉強ができるようにと他の子供たちにはない特典、個室を与えた。 彼も両親の期待に応えた。素晴らしい成績を残して1873年にウィーン大 学に入学。自然科学をあちこちさ迷ったあと医学を見つけた。彼が選んだの は献身的な医者ではなく、自然の謎をいくつか解明しようという断固たる決 意の好奇心旺盛な探求家であった。 | ambition : 野心、 doting : 首ったけ,溺愛する、 think highly of : 〜を尊敬する,高く評価する、 impecunious : 貧乏な,無一文の、 Moravian :モラヴィア(人)《チェコ東部の地方》の,マレーの住人、 hamlet : 村,小村落,部落、 Freiberg : フライベルク、 brood :同族、 firstborn : 長子,長男、 brilliance : 優れた才能、 privilege : 特権,特典、 sibling : 兄弟,姉妹、 matriculate : 大学に入学する、 philosophical : 哲学の、 inquisitive : 研究好きな、 riddle : 謎,,難問 |
| 4 | フロイドの精神分析学の構造において第二の柱となる"Three Essays on the Theory of Sexuality" (1905)は、同時代の精神医学の主流から彼を遠ざけ ることとなったが、まもなく彼は忠実な弟子を見つけることとなる。彼らは 毎週興味深い症例を徹底的に論じ、1908年には自分達でウィーン精神分 析学会を設立した。精神科学の未開の分野で働くこれら奇人とも言える先駆 者達はしばしば激論し自説に固守した。「離反者」のうちよく知られた二人 はアルフレッド・アドラーとカール・ユングである。ウィーンの医者であり また社会学者でもあったアドラーは、彼独自の心理学を発展させた。それは 攻撃性を強調するもので、自分が望んでいる特質──例えば男らしさ──を 欠いている人は行動することで不満を表明するというものだ。もっと使い古 された言葉、「劣等感」というのはアドラーの説なのだ。フロイドにとって アドラーを失うことはたいしたことではなかったが、ユングを失うのはまた 別だった。子弟の多くがユダヤ人であることにフロイドは気づいており、精 神分析学を「ユダヤ人の科学」に変えようとは望んでいなかった。そこでユ ング、敬謙な新教徒であるこのスイス人がフロイドの後継者、彼の「皇子」 となるのは論理的にも当然だと思えたのだ。2人は数年間緊密な関係を保っ ていたが、ユングの大望と、宗教と神秘主義にますますユングが関わってく るにつれ──徹底的な無神論者であるフロイドにとっては好ましくない── 遂に二人はたもとを分かつこととなった。 | pillar : 柱,支柱、 psychoanalytic : 精神分析の、 sexuality : 性の認識,性衝動、 alienate : 疎外する、 mainstream : 主流(の)、 contemporary : 同時代の、 psychiatry : 精神医学、 loyal : 忠実な、 recruit : 新参者、 hash out : 徹底的に論じる、 case history :病歴,事歴、 frontier : 未研究分野、 eccentric : 奇抜な,風変わりな、 defector : 離反者、 socialist : 社会主義者、 aggression : 攻撃(性)、 manliness :男らしさ、 discontent : 不満、 act out : 行動で表現する,行動に移す、 inferiority complex : 劣等感、 Adlerian :アドラー(説)の《劣等感や権力への意志などを重視する「個人心理学」》、 abuse :濫用する、 acolyte : 侍者、 pious : 敬虔な,敬神の念が厚い、 Protestant : 新教徒の,新教徒、 successor : 後継者、 crown prince : 皇太子、 mysticism :神秘主義、 atheist :無神論者 |
| 5 | 医学的研究を続けるうちに、彼は次のような結論に達した。最も興味をそそ る謎は心の複雑な作用の中に潜んでいると。1890年代の初め頃には、彼 は「神経衰弱」(主に、重度のヒステリー患者)を専門としていた;患者か らは訴えに耳を傾けるテクニックを含め多くのことを学んだ。同時に自分の 見た夢を書き記し始め、夢が無意識の働きに対してヒントを与えることをま すます確信していった。無意識というのは、ロマン主義作家から借りてきた 言葉である。彼は自分を、患者と彼自身から内省を通じて材料を取り出す科 学者と考えていた。1890年代半ばまでには、本格的な自己分析という、 指針もなく誰もやったことのない企てに着手した。 | intriguing : 興味をそそる、 conceal : の中に身を隠す、 specialize in : を専門とする、 neurasthenic :神経衰弱(症),神経衰弱(症)の(患者)、 art of : 術、 clue : 手がかり,端緒、 borrow from : 帯出する,〜からとり入れる、 romantic :ロマン主義[派]の,ロマン派[主義]作家、 introspection : 内省、 full-blown : 本格的な、 self-analysis : 自己分析、 predecessor : 前任者 |
| 6 | プロとしての評判を確立した本──ほとんど売れなかったが──は、「夢判 断」 (1900)であり、はっきりとは定義し難い傑作であった──つまり、夢の 解釈もあり、自伝もあり、心の理論も書いてあり、当時のウィーンの歴史も 書いていた。この作品の根底にある原則は、肉体の場合と同様に精神的経験 とか実態は自然の一部であるということだった。言ってみれば、精神の働き において単なる偶然というのをフロイドは認めなかったのだ。極めて馬鹿げ た考え、ちょっと口から滑った言葉、突拍子もない夢も意味を持っているは ずであり、これらは私たちが思考と読んでいる、ときに理解不能な作業の謎 を解明するのに使えるはずなのだ。 | interpretation : 解釈、 indefinable : 定義できない、 masterpiece :傑作、 autobiography : 自伝、 principle : 原理,原則,公理、 mere accident : ほんの偶然、 nonsensical : ばかげた,無意味な、 notion : 考え、 casual : 不用意の、 fantastic dream : 突拍子もない夢、 unriddle : 〜の謎を解く,〜を解明する、 incomprehensible : 理解できない、 maneuver : 作戦敵行動,策略,操作,大演習 |
| 7 | フロイドが意図したことは、精神の機能とか機能不全に対する包括的な理論を 創り出すだけではなかった。精神分析療法の手法を発展させ、自分の人間の 性質に対する見方を患者のみならず全文化にまで広げようと望んでいたのだ。 まず初めに、概ね黙っているような聞き手を創り出した。被分析者の心に何 が浮かんでこようと、どれほど馬鹿げたことであろうと、また何度繰り返そ うと、それがどれほど恥知らずのことであろうと、言ってみるように促す人 を創り出したのである。その聞き手は時々患者が口に出そうと苦労している ものを解釈するために口を挟むことがある。大胆な初期の頃の精神分析学者 は、分析療法により患者のどの程度が治療されて去っていくか、改善される か、または治療のほどこしようがないかを定量化できると考えていたが、そ のようなはっきりした境界は最近になると受け入れ難いことが分ってきた。 分析の有効性は依然論議の対象である。もっとも精神分析と薬物療法を組合 わせることは支持を得てきている。 | intent : 熱心な、 originate : 創造する、 sweeping : 大胆な、 malfunction : 機能不全、 psychoanalytic therapy : 精神分析療法、 human nature : 人間性,人情,人性、 encompass : 含む,包含する、 couch case :精神障害者、 analysand : 精神分析を受けている人,被分析者、 come to mind : 心に浮かぶ、 repetitive : 繰り返しの多い、 outrageous : 法外な,言語道断の、 intervene : 干渉する、 on the couch : 精神分析を受けて、 quantify : 量を計る、 analytic therapy : 分析療法、 enumeration : 列挙,一覧表、 untenable : 支持できない,受け入れがたい、 efficacy : 有効性、 drug therapy : 薬物療法 |
| 8 | フロイドが文化──歴史、人類学、文学、芸術、社会学、宗教の研究──に 思い切って踏み込んだその業績は、魅力とか正当性はあり依然として幅広い 評判を勝ち取っているものの少なからぬ論争の種となっている。19世紀の 実証哲学者の忠実な信奉者として、宗教的信仰(チェックもできないし訂正 もできない)と科学研究(チェックも訂正もできる)との間にフロイドは明 確な区別をした。彼にとりこれは、ユダヤ教を含むあらゆる宗教に対する真 理的価値の否定を意味した。政治に関して彼の意見は明白であり、最後の──そ して一番知られている──エッセイ、"Civilization and Its Discontents" (1930)の中ではっきりと語っている。飽くことなき欲求をもつ動物としての 人間は、性的なまた攻撃的な欲望を押え込むために主として存在する組織化 された社会に対しては永遠に敵であると述べているのだ。教養ある人間とい うのは、せいぜいのところ欲望と抑圧をうまく妥協させているのである── 聞いて楽しい学説ではない。今日誰もがフロイドのことを話しているとして も、こうしたことを額面通り受け取れば決してフロイドの人気がでないのは 確かである。 | venture : 冒険,冒険的事業、 anthropology : 人間学,人類学、 literature : 文学(作品)、 sociology : 社会学、 controversial : 論争上の、 plausibility : もっともらしさ、 positivist : 実証哲学者、 sharp distinction : 厳格な区別、 checkable : チェックできる、 scientific inquiry : 科学研究、 truth-value : 真理値、 plainly : はっきりと、 discontent : 不満、 insatiable : 飽くことのない,貪欲な、 organized : 組織された、 tamp : 詰める、 compromise : 妥協、 repression :抑圧、 doctrine : 学説,教義、 ensure that : 〜ということを確実にする |
| 9 | 1938年3月半ば、フロイドが81歳のとき、ナチスがオーストリアを占 有。少し逡巡したあと、妻と最愛の娘、それに同僚のアンナと一緒にイギリ スに移住した。「自由のもとで死ぬため」である。彼の願いはかなえられた。 ポーランド侵入によりナチスが第二次世界大戦を引き起こしてまもなく亡く なったのである。この侵攻を最後の戦争と宣言する理想主義的な放送を聞き ながら、冷徹なユーモアがまだ健在なフロイドは顔をしかめてこういった、 「私の最後の戦い」 | reluctance : 不承不承,不本意、 immigrate : 移住する、 colleague : 同僚、 unleash : 放つ、 proclaim : を宣言する、 stoical : ストア派哲学の,禁欲の、 intact : 損なわれない,、 wryly : 顔をしかめて |
第8段落
little less
truth-value
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