「私はコレで会社を辞めました。げに陶芸は恐ろしや」  オブラ03・5月号用原稿


26年間CMプランナーとして勤務した広告会社を、この2月に退職した。
早期退職優遇の募集初日に、朝いちばんで書類を提出。
奇しくもその日の午後、社長による記者発表が行われた。
我社は他の2社と経営統合して売上高で世界8位になる、とのこと。
寝耳に水だった。そうと知っていれば・・・、やはり同じことである。

  今後は作陶を中心に、書きものなどもして、と考えているが、はたしてどうなることやら。
子供でも簡単にできるのに、陶芸家にだけ難しいことがある。
それは、「茶碗でメシを食う」ことである。

 あと10年働けば定年を迎えられた。悠々自適のリタイア生活が待っていたのだ。
陶芸の魔力に取り付かれたばかりに、
この先20年も30年も、老体に鞭打って粘土や窯と格闘するハメになってしまった。
陶芸にハマって戻れなくなった我が体験を他山の石、いや「他山のやきもの」として、
ゆめゆめ気軽に手を染めたりせぬよう御忠告申し上げる。

 そもそも38歳のときに門を叩いた陶芸教室が悪かった。
手の中で形が生まれるのが面白くて、すぐさま自宅での練習用にロクロを買った。
季節は真冬。
深夜帰宅したあと、寒風吹きすさぶベランダでロクロを挽けば胴震いが来る。
そのまま続けていれば春が来る前に嫌気がさしていただろう。いけないのは先生である。
ベランダで遭難しそうになりながら練習しているという話を聞きつけて、教室の合鍵を自宅に届けに来た。
「夜中いつでも教室を使っていいよ、ストーブも点けていいから」
新入りの生徒を深みにはめる、こんな先生のいる教室には決して通ってはならない。

 やがて、九州支社への単身赴任。教室ともおさらばできるときが来た。
しかし、時すでに遅く、
博多の10階建てマンションの最上階に、電気窯、ロクロ、土練機をフル装備した工房が出来上がった。
仕事が終われば家に一目散。
サラリーマン憧れの中洲のネオンさえも、陶病生活に入った男を救うことはできなかった。

 5年後、本社に戻るときが来た。
家族の待つマンションには陶芸関連を入れるスペースなど望むべくもない。
自宅の近所に安いマンションはないか当たってみた。
諦めるための手続きのようなつもりだったが、運悪くマンションは驚くほど値崩れしていた。
築28年の老朽化した物件を購入した。
ところが、いざ電気窯を使う段になって、部屋に来ている電力が足りないことが判明。
掛け合った自治会の総会で、電気の増量が否決されたとき、
「もう諦めなさい」と女神は最後の手を差し伸べていたのだ。
それを僕は「そろそろ地べたで思い切り陶芸をやりなさい」という励ましの声と受け取ってしまった。
社内預金を解約し、倒産した工場(ルビで、こうば)を買い取るという暴挙に出たのである。

サラリーマン最後の一年間は、午前三時代に起床して工房に向かう生活になった。
まるで農夫のような生活だと友人に漏らしたら、「それは農夫じゃなくて、漁師の生活だよ」と笑われた。
防寒服に身をかため、ギンギラギンのオリオンを仰いで通っても、確保できる時間は3時間余り。
もう一度工房に戻りたいという思いを断ち切って、通勤快速の人となった。
降って湧いた早期退職優遇(※ルビ:ネコにカツオブシ)の募集に、
難なくおびき寄せられてしまったという顛末である。

 もっとも、会社を辞めたことすら、ほんの一里塚にすぎないかもしれない。
退職金をつぎ込んだ、僕の背丈をはるかに越える大型のガス窯がまもなく工房にやって来る。
おい、この先どこまで行こうというのだ。げに陶芸は恐ろしや。