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趣味として陶芸に手を染めたのは12年前、38歳のときだった。
なぜ陶芸だったのか。深く考えて始めたわけではなかったが、今になってみると出会うべくして出会ったように思われる。

 時あたかもバブル経済が弾ける前夜。仕事は猛烈に忙しく、土日も必ずといっていいほど持ち帰っていた。広告を企画するのは面白く、好きでやっているんだからと苦痛には感じなかった。
しかし、アタマばかり使う毎日に、身体のほうが悲鳴を上げていたようだ。目に映る世界がバーチャル(仮想)なもののように感じられ、自分の身体が消えて透明人間になっていくような頼りなさと不安を感じていた。

 そんなある日、色付いた柿の葉を見て立ち止まった。一枚の葉の中に色彩が渦巻いていた。こんなすごいものが身近にあったのに、目を向けようともしなかったのか。その秋から僕はスケッチを始めた。色鉛筆を動かしながら目を凝らすと、植物は少しずつ自然の造形の秘密を話し始めてくれた。油絵を描こうか。いや、陶芸なら絵が描けるほかに、焼くという面白い工程もあるじゃないか。

 陶芸教室の門を叩いた。予想通り陶芸は面白かったが、それは絵や火のせいばかりではなかった。何よりもまず、粘土の感触が心地よかった。手でそっと触れると小さくゆがみ、ちょっと力を加えると大きくゆがむ。脳が命じたことに逆らって、手が触れたとおりに形が変わる。自分の意思どおりに手が動いてくれないいらだたしさと同時に、手自身が勝手に作業しているような感覚がとても新鮮だった。それは、頼りなげだった自分の身体を自分の手に取り戻し始めた瞬間だった。「手の感覚の下に、目の感覚を置け」というジャン・ジャック・ルソーの言葉に出会ったのもそのころだった。

 あれから12年、陶芸も続いたがスケッチブックも13冊目になった。この春、早期退職優遇制度に応募して、26年間勤めた広告会社を退職した。粘土とは、仕事として一生付き合うことになりそうだ。

 工房で作業しながら、不思議な気持ちにおそわれることがある。地球のあちこちに散らばっていた鉱物たちが、粘土や釉(うわぐすり)の原料として僕のところに集まってくる。僕がいなかったら出会うことなどなかっただろう。誕生と爆発を繰り返してきた星のカケラが、旅の途中で集まってひとつになる。陶芸とは小さな星を作ること、かもしれません。


林 寧彦(はやしやすひこ)
作陶家、CMプランナー

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