11/2(土),3(日)、メーハイランドSSパークターマックコース、ドライ
順位 | ドライバー | 型式 | 1st-try | 2nd-try | best time |
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1位 | 宮嶋一人 | CT9A | 1'21"691 | 1'20"973 | 1'20"973 |
2位 | 岡部隆市 | CT9A | 1'22"905 | 1'21"942 | 1'21"942 |
3位 | 飯坂忠司 | CT9A | 1'23"180 | 1'22"012 | 1'22"012 |
4位 | 若山真也 | CT9A | 1'22"153 | 1'22"954 | 1'22"153 |
5位 | 高舘光洋 | CT9A | 1'22"676 | 1'22"252 | 1'22"252 |
6位 | 金本辰也 | CT9A | 1'22"295 | 1'22"500 | 1'22"295 |
7位 | 中農久弥 | CT9A | 1'22"416 | 1'22"791 | 1'22"416 |
8位 | 鈴木正英 | CT9A | 1'22"432 | 1'23"633 | 1'22"432 |
9位 | 掛札雄一 | CT9A | 1'22"501 | 1'22"894 | 1'22"501 |
10位 | 竹田宏太郎 | CT9A | 1'22"595 | 1'23"125 | 1'22"595 |
22位 | 遠藤康浩 | CT9A | 1'25"066 | 1'26"473 | 1'25"066 |
結果は24台中22位。
仕事のピークは第10戦を過ぎたあたりでようやく超え、11月のJAF CUPならなんとか参戦できるだろうと決意して臨んだJAF CUPでしたが、恐らくジムカーナ経験上最悪の惨敗。一応自分なりに出来ることは全てやって戦ったつもりでしたが、完全に悪循環にはまってしまったようです。俺はそんなに運転が下手なのか、SSPからの長い帰路、もんもんと考えてしまいましたが、答えは出ませんでした。
JAF CUP後しばらくはジムカーナのことを考えたくもない日々が続き、気がついたら1ヶ月半が過ぎ、ランサーのバッテリーはあがり、ようやくJAF CUPの荷物を降ろしたのは1月になってからでした(汗)。
過去に一度エントリーしたことがあるJAFCUP。2004年でしたね、確か。
各地区のトップドライバーのみに参戦権が与えられる日本一決定戦。その時々で参戦権獲得のための必要成績は異なりますが、概ね各地区クラス上位3位まで、というのが通例のようです。年間を通して関東トップ3に入らなくてはならないという狭き門。残念ながら過去の参戦時もシリーズ順位は4位、今年も5位。前回は年間で1度でもお立ち台に乗れば参戦権が頂けるという規程であったのと、今回は参加枠拡大のための繰り上げ推薦という形での参戦権獲得でした。
今年は後半から練習走行はおろか前日練習も参加できず、走れるのは本番当日のみ。最終戦に至っては不参加となるほど仕事の状況が混んでおり、とてもじゃありませんが戦える状況には無かったのですが、そんな状況下でも推薦を頂ける位置でシリーズを終えられたことが参戦権獲得に繋がったわけで、ありがたいお話ですから参加させて頂くことを決断しました。
しかしながらあまり時間的な余裕はなく、タイヤも車も、シーズンを戦ったままの状態でのエントリーせざるを得ませんでしたが、それよりも半年ほどずっと走っていない運ちゃんの方が多くの問題を抱えていますので、車云々よりも、どこまで短期間でリハビリできるかにかかっている気がしています。
会場のメーハイランドSSパークは、ジムカーナを始めて3戦目となる、1996年のスピードマインドジムカーナシリーズで走った経験があります。当時はエボ3で、なおかつウェット走行。確か、脱輪かスピンか何かでバックギアを使っていた宮嶋親方のタイムよりも普通にゴールした僕の方が遅かったのを鮮烈に覚えています。
そんなわけで、ほとんど走ったことが無いに等しい会場ですので、なんとか時間を作って事前に練習会に参加し、いくつかの不安はあるけど、しっかりと組み立てられれば納得できる走りにはなるかな?という目処は何とか立ったつもりでした。
ところが、その日帰り遠征練習が致命傷となったのか、クラッチが終わり、シフトがゲートに入りません・・・。時間も無いので応急処置をしてそのまま本戦へ。多少違和感はありますが、何とかなるでしょう。
大一番ですから、気合いを入れて金曜日から会場入りしましたが、殆どのドライバーが金曜日から入っていることに驚きました。全日本レベルの大会ですからね。そういうものなんでしょう。11月の冷たい空気の中、皆さんの気合いがビンビン伝わってくる異様な感覚の会場でした。
そのピリピリとした雰囲気の反面、やはり大きな大会ならではの華やかさは、やっぱりこの会場に立てて良かった、と思わせるに十分でした。今年はいろいろあったけど、やるだけのことはやってやる、と気持ちが奮い立つ思いでした。
金曜日は4本、土曜日は2本、そして決勝は2本、という走行予定でしたので、少ない走行の中で最大限の結果を引き出すべく、いくつかのポイントを確認しようと思っていましたが、なんとここへ来て車両に不具合が・・・。最悪です。過去の経験から2日間時間の許す限り方策を尽くしましたが状況は改善せず・・。後は決勝当日に運良く状況が好転していることを願うばかりという、何とも不安満載な状態での前日練習となってしまいました。
区間解析では、車両の不調によるターンセクションの遅れが致命的な上、スタート直後の池廻りが遅い遅い。恐らく2日間の練習会の傾向から池廻りは設定されることでしょうから、ここは何とかイメージを作ってロスを最小限に抑えたいところ。ターンセクションは・・・、気合いしかありませんね。
土曜日の晩は、全日本ドラあばさんの取り計らいにより、北海道組と合流しての大宴会。これは非常に楽しい時間になりました。こういう他地区の方々との交流が、こういった大会の醍醐味ですね。
宴会後も、Qさんとサシで反省会させて頂いたりと、若輩者の自分に取っては何にも代え難い貴重な時間を過ごすことが出来ました。ありがたい話です、ほんと。
夜明け前からのゲートオープンに合わせて会場へ向かう途中、親方号にトラブル発生でどうなることかと思いましたが、Qさんの予備ツールのおかげで事なきを得て、何とか会場へ。
コース図を見て愕然。とにかく遅れていた池廻りが2周も・・・。ま、遅いのはそこだけじゃありませんけどね、こりゃ、相当工夫しないと池廻りだけで秒差がついちゃいそうです、ほんとに。おまけに、車両の不具合から遅れ気味になっているターンセクションはかなり多め。ほんとはターンセクション好きなんですけどね、僕。いつからでしょ、こういう気分でコース図を見るようになったの。とにかく、守っても仕方ありませんので細かいことは気にせずに後悔しないよう積極的に行くことにします。
随分と時間が経ってしまったので詳しくは覚えていませんが、池廻りはやはり1周目が遅かったようですが、2周目はそれほどでもなかったみたい。中間セクションはナリに速くもなく遅くもなくといった感じで通過し、問題のターンセクションは、やはり不調。最初のターンで違和感を感じた後はもうメロメロ。なんとかしなくちゃ、という思いがさらにドライビングを悪い方向へと向けてしまい、収集付かず。脱輪やバックギアに入るところまでは行きませんでしたが、成功確立50%くらいという目も当てられない状態でゴール。タイムは1'25"0でした。
ほんとにヘロヘロ。泣きたい気分でした。しばらく呆然としていましたが、このままでは終われないので、技術委員長に整備の申告をして、この3日間で何度目だろう、というほど繰り返した整備をもう一度実施。会場に居る殆どの時間を車両整備に費やした程でしたので、いい加減疲れましたが、ここまでやってダメなら俺のせいじゃない、とブツブツ言い聞かせながら手を動かし、第二ヒートへ。
さすがに11月の夕方だけあって、N4出走時には路面温度は低下気味。慎重に行かないとちょっとタイムアップはきつそうですが、自分の場合はそれ以前の問題なので、集中して少しでも納得のいく走りでゴールを目指したいと思います。
パドックからスタート地点までの長い道のりで、モチベーションを上げ、車の状態を掴みつつ移動。なんとなく行けそうな気がする、と思えたところまでは良かったのですが、スタートまであと2台と迫ったところで走行車両がトラブルで停止し、しばらく競技が中断されたのが、今思えば精神状態を狂わせた一因だった気がしています。スタート直前にやる気になっていた所に直前で待ち時間が入り、スタートラインに付いたときにはまた車のフィーリングに疑問を感じる状況へ。たぶん半分は気のせいなんでしょうけど、負の連鎖ってのはそういうもんなんでしょう。完全に頭が真っ白になっていたようです。
その証拠に、スタートした途端、恐らく生まれて初めてではないかと思える程のひどいストール。クラッチの状態が悪かったのでここまで気にしていたのですが、そんなことも忘れてラフにスタートしてしまったのが原因です。最悪のスタートで焦り、池廻り1つめのコーナーでは完全フルカウンター。終わりました。後は焦りばかりが先行し、リズムもへったくれもありません。ターンセクションも逃げずにと思いつつ、劣悪なフィーリングをどうにも克服できず、成功確立50%以下でゴール。タイムは惨憺たるものでした。
ゴール後、パドックまでの長い長い移動区間、ほとんど放心状態で、涙が出てくるのを必死でこらえているような自分が居ました。さすがに今回の戦いは精神的なダメージが大きすぎました。虎の子タイヤ2セットを投入して俺は何をやっているんだ、俺はそんなに運転が下手なのか、こんな状態で来年も走るのか、答えのでない問答をずっと頭の中で繰り返しつつ、パドックに戻ったときの景色を覚えていない程でした。
完全に脱力した状態で車から降りられず居ると、親方がぶっちぎりのタイムで優勝を遂げたとのアナウンスが聞こえ、思わず「こいつはばけもんか」とつぶやきながら背筋が凍るような感覚に陥ったのだけは覚えています。
しばらく時間が経過し、親方をはじめとする入賞ドライバーらが戻ってきた頃には多少気を取り直し、親方の周りに集結。いつも地区戦で見慣れているはずの親方がえらく大きく見えた気がした瞬間でした。
自分の事はさておき、やっぱり親方はすげぇ。ある意味涙が出るほど感動した。自分は勝負の場にすら立てなかったような状態だったけど、この大舞台を一緒に走って感じたことは、自分の胸に深く刻み込まれた気がする。関東一を目指すということは即ち日本一を目指すと言うことでもあることをまざまざと見せつけてくれた親方。残念ながら今の自分はとても打倒親方なんて言えるようなテンションにはなく、来年続ける気力さえも失っている感があるが、この3日間のことは絶対に忘れない。
JAFCUP後、1ヶ月半ほどランサーを動かすこともなく、JAFCUPの荷物を降ろしたのは年が明けてからという現実逃避状態だったが、時間が経って多少は落ち着いてきた頃に、この記事を書いている。
仕事の状況やプライベート環境がますます過密化し、ジムカーナに時間を割くことが難しい状況に陥っている上、まだ気持ちの整理が十分についた訳でもないが、一つだけ言えることは、「俺はまだ全力を出し切っていない」と言うことだ。同時に怒りに近い悔しさが少しずつこみ上げているのも事実。俺が力を出し切るだけの環境を得られる日が来るのか、そこまでモチベーションを保てるのか、不明な点は多いが、まだ諦めていないことだけは宣言しておく。