岩谷十三仏の由来 -案内板より-

後奈良天皇の天文二十年八月、陶隆房(後の晴賢)に居城山口を追われた大内家三十一代義隆公主従が、隠れ家として岩谷が浴八丈岩に隠棲されていましたが追っ手が迫り、脱出に当り世話をしてくれたお礼にと巻物一巻(大内家秘法ばんばら楽)を残されましたが、弘治元年ごろ大旱魃のとき熊野神社にばんばら楽を奉納したところ、忽ち大雨となり旱魃を免れ、部落民は義隆公の供養として十三仏を作ったといわれています。

十三仏とは亡くなった方の、初七日から三十三回忌まで十三回の追善供養を司さどる慈悲あふれる仏菩薩で、極楽浄土へ往生することを願います。

                平成九年三月 岩谷十三仏保存会

十三仏はもと八丈岩にありました。しかし、いくつかの山や谷を越えての険しい道であり、人家から遙か遠くへだたった所では、お世話をするのも大変でした。そこで、岩谷自治会の人達は、快友寺(菊川町吉賀の寺、和田・中司氏他、岩谷の檀家が多い)の住職とも相談し、みんなで話し合った結果、現在の場所に移したそうです。

岩谷十三仏