八丈岩

 八丈岩は天文20年(1551年)に戦国時代の殿様・大内義隆公が家臣の陶晴賢の謀反に遭い、追われてこの地に逃れ、村人たちにより八丈岩に匿われていました。
この伝説は、ふもとにある家に昔から「申し送り」として代々伝えられているものです。
 以下、豊浦町史三(民俗編)より抜粋文
 岩谷の東北に当たる山腹に「八丈岩」と呼ばれる大岩がある。由来によると、重さ約十万貫(37.5トン)、岩の上部の広さ約12.5坪(41平方m)、周囲八十尺(34m)という。いかに巨大な岩であるか分かる。人里離れたこの巨岩、自然への畏怖を抱く心情が磐座(いわくら)信仰として既に存在していたであろうことは想像にかたくない。周辺には、近寄りがたい神聖なる土地の雰囲気が醸し出されていたであろう。
十三仏(別ページ参照)は、もとこの八丈岩にあった。しかし、いくつもの山や谷を越えての険しい道であり、人家から遙か遠くへだたった所では、お世話するのも大変であった。そこで、岩谷自治会の人達は、快友寺(菊川町吉賀の寺、和田・中司氏他、岩谷の檀家が多い)の住職とも相談し、みんなで話し合った結果、現在の場所に移したそうである。
 

写真は平成27年3月11日に地元の友人の案内で川棚温泉観光ボランティアガイド会員9名と八丈岩に登った時のものです。
下左は大内主従が潜んでいた隙間。下右はその内部。四つん這いでやっと入れるが、中は3,4人は入れる広さ。