第17回「文明開花の音がする」博物館 明治村  
愛知県犬山市にある博物館 明治村。67棟もの明治時代の建築物を屋外で保存展示する施設である。重要文化財級の建築物も多数あり、歴史マニアや建築に興味がある方には応えられない。この日は、敬老の日。秋だというのに蒸し暑い。おまけに園内は広い。建築物には当然のようにエアコンはない。教訓、明治村は涼しい季節に行きましょう。

汽笛一声、新橋を。
明治5年に日本で初めての鉄道が開通。その当時の面影を残す蒸気機関車である。明治村北口の駐車場から入ると、そこは「とうきゃう」駅。陸蒸気に乗って明治村中心部にある「なごや」駅まで約3分。本物だけあって、客車に蒸気が入り込み、石炭の臭いで燻れる。タイムトラベルの導入にふさわしい雰囲気である。村内では、この他にも明治28年、日本ではじめて開通した京都市電(車両は明治43年製)にも乗れる。

ガリガリガリガリ、への八番。
この日は敬老の日で、65歳以上の方は入村無料。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん連れの家族が目立つ。以前に訪れたのは10年以上前。その当時は、建物と説明看板があるだけだったが、今では見て、触れて、明治の暮らしを体験できるコーナーや当時の味を再現した食なども味わえる。写真は重要文化財の札幌電話交換局。明治31年竣工である。建物内には受話器と通話器が別になった昔の電話があり、音声通話はできないが自由に遊べる。
伊藤くんと夏目くんと東郷くんと
ズラリと勢揃いした明治の偉人たち。キミは何人わかるかな?この等身大パネルに囲まれて写真を撮るのも良し。お気に入りの偉人パネルを選んでツーショットを楽しむも良し。“くっだらねえ!”と思いきや、意外とこれが楽しい。うちの娘は、なぜか文豪、森鴎外と手をつないで写真を撮りたがった。

吾輩は文豪気分である。
森鴎外・夏目漱石住宅の書斎である。通称、猫の家と言われ、東京都文京区千駄木にあったこの住宅は、漱石が『吾輩は猫である』を執筆した家として知られている。その10年前には奇しくも森鴎外が住み、小説家として歩み始めた家でもある。鴎外・漱石が執筆に勤しんだ書斎をはじめ、室内はすべて立入自由。しばし、文豪になったつもりで、書斎に座り込んでみる。
まだ早い?イヤイヤ、すぐですよ。
白亜の美しい建物は、聖ザビエル天主堂。明治23年に京都河原町三条に完成。「以後良く(1549年)広まるキリスト教」でおなじみ、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルを記念する聖堂である。内部は美しいステンドグラスで飾られ、実際に結婚式を挙行することもできる。この日は、女性声楽のミニコンサートが開かれ、それを熱心に聞いていた娘を見ながら、彼女が嫁に行く時を思い、少し涙する父であった。

うらめしや、おもて駄菓子屋。
静岡県焼津市にあった魚屋さんで、小泉八雲避暑の家。当時店舗だった部分で駄菓子屋さんが営業中。10年前はなかったが、村内には子ども向けの遊び場もいくつかできていた。旧新橋駅跡地から出土したレンガを使った汐留レンガ迷路(いいのかそんな貴重なモノで遊んで)。京都五条にあった聖ヨハネ教会堂の1階は、当時幼稚園であった経緯を踏まえて、室内すべり台を設置。その他にも射的場や実際に観劇できる芝居小屋もある。
わが目を疑い、じっと二階を見る。
小泉八雲避暑の家の隣は、本郷喜之床。散髪屋である。な、なんだアレは!二階からのぞく、怪しい人影は!? 石川啄木だ!この床屋の二階は、明治42年、石川啄木一家がはじめて東京で暮らした部屋である。詩集『一握の砂』の刊行や、一家揃って結核を発病したのも、ここに居住中。明治44年には病が重くなり、平屋の家に転居。翌年、啄木は死去。小泉八雲といい、石川啄木といい、夜になると何か出そうなシチェーション。

このまま泊まれるといいのにね。
タイムトラベルの終わりは旧帝国ホテル中央玄関。ラウンジでは喫茶店も営業している。説明看板によると、建築史上著名なフランク・ロイド・ライトの設計。4年間の大工事の末、大正12年に完成。って、明治の建築じゃないじゃん!
一日中、村内を歩いたため子どもたちもお疲れのご様子。息子はここがホテルと知ると、「疲れたから、今日はここで寝よう」と提案。残念ながら、玄関のみで客室は移築されていないのだ。父も疲れた、これからクルマを運転して帰るのは辛いぞ。

〈ご案内〉
電車/名鉄犬山線犬山駅東口からバス20分(名鉄新名古屋駅からは約1時間)
車/中央自動車道小牧東ICから西へ5分、または国道41号線兼清交差点から東へ10分
入村料/大人1,600円、中・小学生600円
駐車場料金/普通車800円(3〜11月) 500円(12〜2月)

Visited 04.9.20 (C)YAJIKITA NET

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