![]() JR青海駅から車で約20分、 旧北陸道(加賀街道) 最大の難所「天下の険*親不知」 昔の北陸道は、3000メートル級の山々がそびえる北アルプスの北端が 日本海になだれ落ち、荒波で削り立てた様な断崖の裾に有り、旅人は 荒波が打ち寄せると岩穴のフトコロに逃げ入って、波の引くのを待ち 波が引くと狭い断崖の下の道を走り抜ける、その時、親は子を顧みる 事ができず、子も親を顧みる事が出来ない。それは、それは、海辺の 難所であったと云われている。 荒波が打ち寄せる旧北陸道最大の難所 「親しらず、子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」 永寿の昔、平 清盛の弟「池大納言*平 頼盛は、平家滅亡後も一人栄えた が、京重の悪口の耐え切れず、その所領である越後五百刈村へ退隠した。 この夫の後を慕って、難所「天下の険*親不知」を通りかかった夫人が二歳 の愛児を懐に入れ、走り抜けるその時、懐から愛児を取り落とし、荒波に さらわれてしまいました。そのときの、余りの悲しさに詠んだ歌が 「親しらず、子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」 であった。 この歌によって、それ以来この地を「おやしらず*こしらず」と呼ぶ様になった といわれている。 参考資料・・・・・青海町自然史博物館 発行 野紫木 洋 著 「青海町ふるさと探訪」より引用 |