「親しらず、子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」
古来旅人は越後と越中の間は海岸を往来し、この地を天下の険と称し、最大難所として恐れていた。 明治16年に親不知の断崖を削り北陸街道が拓かれました。
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