広い宇宙に地球人しか見あたらない50の理由

―フェルミのパラドックス―

スティーヴン・ウェッブ (松浦俊輔 訳、青土社、2004)

 

邦訳のタイトルはあまり正確ではありません。原題は「宇宙のどこにでもエイリアンがいるのだとしたら、みんなどこにいるのか?」、つまり、地球以外の惑星にも知的生命体が存在する可能性はありそうに思えるのに、その証拠がさっぱり見つからないのはなぜなのか、という疑問――この疑問を提示した人の一人である物理学者エンリコ・フェルミにちなんで、「フェルミ・パラドックス」というそうです――に対する50とおりの答え(考え方)を紹介した本です。したがって、「いや、実はもう見つかっている」とか「宇宙人はもう地球に来ている」(つまり、パラドックスではない)といった答えも含まれています。

フェルミは、たとえば「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」というような、概数に基づく計算と推量により、あるものの数や量を推測するのが得意だったそうで、これを今では「フェルミ推定」といいます。この問題の場合は、シカゴの世帯数、ピアノの世帯所有率、ピアノの調律頻度、調律師の1人あたり年間調律回数、等々を仮定(およその見当をつける)し、それらを組み合わせて、調律師のおよその人数(つまり数人なのか、数十人なのか、それとも数百人なのか)を推定するのです。このような方法でフェルミは、銀河系には通信する地球外文明(ETC)がかなり存在するはずだと考えました。そうだとすると、とっくに誰かが地球に来ているはずだ。みんなどこにいるんだろう、というわけです。

ETCからの信号をキャッチしようというNASA(米航空宇宙局)の計画はよく知られていますね。これには多くの科学者が協力していますが、一方ではそのような計画に多額の研究費を投入することに批判的な人もいるでしょう。しかし本書では、政治的問題には立ち入りません。そして、ETCの存在を信じるにしても信じないにしても、フェルミ・パラドックスについて真剣に考え、何とか答えを出そうと努力した科学者やSF作家などによる多種多様な解答を49にまとめ、それぞれに対して著者自身の吟味と批判を加えています。著者は物理学が専門ですが、49の解答のアイデアや根拠は、宇宙物理学、天文学、地質学、生物学、進化論、数学、そして人文・社会科学の様々な領域に及んでいるので、それに対する吟味と批判も当然これらの広範な領域における最先端の知識や議論を踏まえています。

読み進むうちに読者は、フェルミ推定の面白さ、奥深さと、柔軟な思考が導く多様な世界像を楽しみながら、いつしか宇宙や地球の壮大で神秘的な姿に圧倒され、また、生命とは何か、知性とは何か、そして科学とは何かといった深い哲学的な問いに導かれるでしょう。そして、50番目には著者自身の見解が。

ETCの数に関するフェルミ推定の根拠の一つは、「平凡原理」、つまり我々の棲む地球は広い宇宙の中で特別な場所ではなく、ごくありふれた場所だ、また地球環境において起こるどんな現象も特別なものではない、というものです。これは、「オッカムの剃刀」(説明原理は単純で数が少ないほど良い)とともに、自然科学的思考の大原則の一つですが、著者の解答は、意外にもこの平凡原理の意味を問い直すものでした。