黒人アスリートはなぜ強いのか?

―その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る―

ジョン・エンタイン (星野裕一 訳、創元社、2003)

 

陸上競技短距離の選手はなぜ黒人ばかりなのか。長距離もケニア、エチオピアといった東アフリカ勢が強い。筋骨たくましい西アフリカの黒人とは明らかに体つきが違う彼らは、純粋な「黒人」ではなく、人種的にはむしろ白人なのですが、もちろんヨーロッパ人とは遺伝的にかなり違います。西アフリカの黒人(バンツー族の子孫、いわゆるニグロイド)は陸上競技だけでなく、サッカー、野球、バスケットボール、ボクシングなど、力と瞬発力が要求されるスポーツでは圧倒的な強さを誇っています。しかし、こうなるまでには長い長い苦闘の歴史があったのです。

かつて、黒人は、そもそもスポーツにおいて白人と対等に闘うことを許されず、また、闘うこと自体が無意味だと考えられていました。肉体的にも精神的にも劣った人種である黒人が優秀な人種である白人に勝てるわけがないからです。白人選手たちも、わざわざ黒人と闘って彼らをやっつけるなどという、「大人気ない」ことをしようなどとは考えませんでした。

しかし、やがて一部のスポーツで白人が黒人に負けるときが来ます。すると今度は、「たしかに肉体的には黒人が優れる面もあるが、精神面では白人の方が上だ」という、根拠のない主張が幅を利かせるようになります。いや、「チーム・スポーツで頭を使うポジション(野球でいえばピッチャーやキャッチャー)は、黒人には務まらない」などという、もっともらしい(しかし、かなり怪しい)根拠が持ち出されました。

本書はある種のスポーツでなぜ特定の人種グループの選手が優秀な成績を収めるのかという、素朴な疑問に、遺伝学と生理学を中心にさまざまな角度から迫っています。人種グループとしては黒人などのアフリカ人種のみならず、白人、アジア人、さらにユダヤ人なども取り上げられ、スポーツの種類も多岐にわたっています。そして、黒人スポーツ選手たちの苦闘の歴史。

著者はある人種グループの優れた肉体的能力がスポーツにおいて発揮されることを客観的に評価しつつ、スポーツの成績と「人種の優劣」の関係、また肉体的能力と精神的能力の関係、といった議論を一貫して拒否しています。この点を物足りないと感じるのは読者の自由ですが、著者の態度はアカデミックな意味でもジャーナリスティックな意味でも、当然といってよいでしょう。

ただ、近年のアカデミズムとジャーナリズムが、人種と肉体的能力の関係に関する議論自体を、それが上記のような議論につながる可能性があるからという理由で、タブーとしてきたのに対して、著者はそのタブーを破って、科学的事実を冷静に認めることを提唱しているのですから、これは勇気ある態度というべきでしょう。事実をタブーとして隠すとき、真の問題解決は望めなくなるからです。

ところで、私たち日本人の肉体的特徴がマラソンに向いているのかどうか知りませんが、マラソンの場合はまだ「伝統」がものをいっているのでしょう。本書によると、極東アジア人は体の柔軟性が要求されるスポーツ(体操、フィギアスケートなど)と、反射神経が要求されるスポーツ(卓球、バトミントンなど)に向いているそうです(柔軟性と反射神経の両方が要求されるのは、柔道やレスリング?)。しかし、こういう認識が広まると、オリンピックなどの国際大会が無意味だと感じられるようになるかもしれませんね。

(本の内容とは関係ありませんが、誤植の多さにはあきれました。)