か く れ た 次 元

エドワード・ホール (日高敏隆・佐藤信行 訳、みすず書房、1970)

 

たとえば友人や仕事仲間と一緒に込んだ電車に乗ったとき、その人とあまりにも接近すると、何となく気まずい雰囲気になります。しかし、面識のないアカの他人となら、体が密着しても平気。なぜこうなるのかといえば、人間の対人的な空間認識にはいくつかの段階(密着距離、個体距離、社会距離、公衆距離)があり、誰でもこれらを無意識的に、しかし明確に区別しているからです。そして、距離を区別しているのは人間だけではなく、多くの動物もまたいくつかの距離を区別しています。

このような区別をするメカニズムも研究されていて、五感と空間認識にもとづく、行動学的な理由があります。コミュニケーションにはそれにふさわしい距離が必要なのです。

しかし、人間は文化を生み出しました。そして文化によって、対人空間認識(距離の区別)は微妙に異なり(というよりも、空間認識の違いが文化の違いの原因か)、これが異文化間、異民族間の誤解や衝突の原因となることが少なくありません。東洋と西洋などといった大きな違いだけでなく、たとえばドイツ人とイギリス人とフランス人などの間でも、空間認識やその意味づけは大きく異なることがあります。もちろんイギリス人とアメリカ人でも。アラブの人たちがとてつもなく広い部屋で、20〜30 cm の距離にまで近づいて話し合っている場面を、映画などで見ることがありますが、狭い部屋でも適当に距離を取り合っている私たち日本人には異様な光景に見えますね。

本書では最後に、現代においては産業と都市の発達により人間の対人空間認識を混乱させるような事態が増えていることが強調されています。込んだ電車内での気まずさなどもその例かもしれません。