数量化革命

―ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生―

アルフレッド・W・クロスビー (小沢千重子 訳、紀伊国屋書店、2003)

 

『ヨーロッパ帝国主義の謎』(下表参照)の著者が、前著と同じ問いに、別の側面から答えたのが本書。つまり、15世紀以来ヨーロッパ人が大挙して大洋を越え新大陸へ移住することができた理由を、生物・生態学的背景から説明した前著に対し、本書ではヨーロッパ人自身の心性(メンタリティ)に求めています。

今日の私たちは、ものの数を数えたり量を量ったり、それらの数や量を足したり引いたり、その計算を紙に書いたり、また表や図に表したりすることを、特別な苦労もなくごく自然にやっています。なかには、つるかめ算を解いたり地図を読んだりするのが苦手な人はいますが、家計簿をつけられない人や、時間の計算ができない人はほとんどいません(特別な障害がない限り)。しかし、歴史を振り返ってみると、これはそれほど「自然な」ことではありませんでした。数字を書いたり読んだり計算したり、お金を使ったり、地図や楽譜を読んだり、簿記をつけたり、こういうことを教育を受けた人なら誰でもそれなりにでき、また次の世代に教育できるようになったのは、つい最近、16世紀頃のことなのです。しかもそれは、西ヨーロッパのいくつかの国だけで起こったことであり、世界の他の地域では相当後まで、つまりヨーロッパ文明の影響を受けるまで、それ以前の状態にとどまっていました。

いや、「できるようになった」などというと、文明が発達し、文化が豊かになったから、自然に人々がそういうこともできるようになったように思われるかもしれませんが、そうではないのです。むしろ話は逆で、何らかの原因により、西ヨーロッパの人たちがそういうことをやり始めた結果、彼らの文明が発達し、文化がさらに豊かになり、そして彼らは新天地へと乗り出したのです。

だからこの変化は、たんにいろいろなことができるようになって生活が便利になった、などという程度のことではなく、人間の思考と行動のあらゆる面に大きな影響を及ぼしたと考えられます。ともかく、この変化は当時のヨーロッパ人たち自身もかなり意識していたようで、そのことを端的に表しているのが、装幀にも使われているブリューゲルの寓意的版画「節制」です。この絵の中では人々がこの世の中の(宇宙に存在する)さまざまなモノ・コトを数え、測り、分割し、計算し、記録し、写し取り、整理し、評価しています。これは1560年の作品で、当時は大変人気があったようですが、著者は、おそらく100年前だったら誰もこのような絵は描かなかっただろうし、決して描けなかっただろうといっています。これは驚くべきことではないでしょうか。これらはすべて、今日私たちが毎日ふつうにやっていることなのですから。

じつは、古典時代のギリシャでは、このような革命的変化の萌芽があったのですが、ヘレニズム時代から中世にかけてはその伝統がとぎれてしまいました。そして、他の古代文明とその遺産を受け継いだすべての文明は、このような革命的変化を経験しなかったのです。中国も、イスラムも、そして日本も。

ヨーロッパ帝国主義の文化的基盤の一つは16世紀末以降の科学革命だといわれますが、なぜその時代の西ヨーロッパにだけ科学革命が起こったのか。それはその少し前に「数量化革命」があったからです。では西ヨーロッパ人は、なぜ、いかにして、このような革命を成し得たのか。本書はこの問いに答えたものです。

なお、個人的には、第8章「音楽」を興味深く読みました。西洋音楽の特徴の中で、他のいかなる地域の民族音楽にもないものを、一つだけ挙げるとすれば、それは楽譜(五線譜)です。西洋音楽以外の多くの民族音楽にも、「楽譜」と呼ばれるものがありますが、それらは実は西洋のそれと同じ意味での楽譜ではなく、奏法譜(タブラチュア)であり、音楽そのものを表したものではなく、楽器の操作手順を記号で表現したものにすぎません。西洋の楽譜のみが、楽器とは無関係に、音楽そのものの内容を表しており、だからそれを見て歌うこともできるし、いろいろな楽器で演奏することができます。また、世界の歴史の中で西洋にだけ多声音楽が誕生したのも、楽譜があったからこそです。ではなぜ、西洋で楽譜が発明されたのか。それは、偉大なる「数量化革命」の一部だったのです。

 

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