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「それでは、いつ帰れるかわからんと言うのか?」
「今しばらくは…」
「爺さんが稚児に飽きるまで、か?」
「……」

業斗の直截な言葉に、使者は口をつぐんだ。
返答に困っているのであろう。
「すまぬ、つい」
「いえ、業斗童子が十四代目をご心配なさるお気持ちはわかっております。わたくしにしても…」
機関の一員として、その機関の大事な手駒を外の者に好きになぐさみものにされるというのは、いくら「交渉の代金」としてとはいえ、割り切れぬものを感じるのだろう。
「火急の事件でもあれば呼び戻す理由になるのですが、今の帝都は特に危険な魔の出現はありません。これも十四代目のお陰というのも皮肉なことですが…とにかく、そんなところで偽りを申してもたばかられる相手ではありませんし」
「うむ…」
(先日の逃がした魔も、気配を見せぬ。運がよければ異界に逃げ込んだだろうが、たぶん精が尽きて消滅したことだろう)
「鳴海はあれから何か言ってきたか?」
「いえ、あちこち走り回ってはいるようですが」
「無事は保証されていても落ち着かぬのだろうな。気の毒だが、普段遊んでいる分、多少動いた方が体にも良いだろう」
「まあ…」
ようやく使者の口元がゆるんだ。

怪しい男が少年を連れていった後、鳴海と業斗はこの神社にやってきた。業斗と話が通じる者がいないと、この二人だけでは埒が開かない。
まず鳴海が使者に朝の出来事を伝え、使者と業斗が話し、それから使者が上と話してきて、その結果を伝えた。それで鳴海は事務所に帰るが、業斗は少年が戻るまで神社で待つということになった。もちろん鳴海には完全には真相を教えていない。
鳴海は参道を帰りつつ、
「まったく、お偉いさん同士の喧嘩のとばっちりで下らん目に合わされるんじゃたまらんよな。あいつはひたすら真面目に働いているというのに」
業斗が返事をしなくても、あるいは何か返してその言葉はわからぬにしても、自分の言葉が通じていることはわかっているようだ。
「あの金沢という男、いや、本当は成沢か。どこかの成金の秘書だったのか」
「そうだ」
業斗は短く返事をした。猫の鳴き声でも肯定か否定かくらいの雰囲気は通じる。
「その成金はどちらの陣営とも関わりがなくて、というよりどちらにも同じくらい通用する力を持っているので、お偉いさん達が和平交渉してる間あいつを預かってくれるよう頼んだ。で、秘書がお忍びで迎えに来たと」
「うむ」
「…大丈夫なのかね、知らない人の家で…いや、礼儀とかそういうのは心配してないが、普通の人間から見たら、変人だろう?」
「……」
「はは、おまえからは言えないか」

鳴海は笑って帰ったが、業斗は言われてつと気になった。
確かに少年は美しい。
町を歩いていても女達がふり返ったり、目を見張ったりする。
だが普通「稚児遊び」をするような男達が好むのは、もう少し年齢が下の、声もいまだ変わらぬような少年達だ。
それより上の好みとなれば、容色だけを愛でて満足というわけにはゆかぬだろう。
(媚びはもちろん、ごく普通の受け応えすらろくに出来ておらんだろう。女学生なら綺麗な男が側にいるだけで頭がのぼせてしまうかもしれないが、いい年の大人にそれは通じんだろうに)
新聞記者の朝倉なども、少年の素直さや誠実さは好ましく思いつつ、表面以上には踏み込めぬ物足りなさを感じているようだ。
日頃世辞やへつらいに慣れている新興の金持ちには、かえってそういうものが新奇に映っているということだろうか。
(しかし単なる偶然とはいえ、こうも続けてとは…)
少年が不満のようなものをまったく表さないのも不思議であった。
封じようとした魔に逃げられれば悔しさを見せるし、仲魔が傷つけば憂い、業斗が戦いの手際を褒めたりすれば喜びを表すのだ。感情がないわけではない。
(肉体を使われたからといって、女のように気に病むことはないだろうが、それにしても)
とはいえ、端から気に病んでどうなるものでもない。
今は少年の帰りを待つしかなかった。

***

多少は予想していたことといえ、少年の存在がまるで空気のように希薄なことに川地はあらためて驚いた。

前の日は事の後、軽く湯に入って汗を流し、上がってそのまま昼寝をして、目覚めて軽く水菓子を食べながら新聞やら読みさしの本を読んだりし、夕刻には少々杯をかたむけつつ肴代わりの夕食をのんびりと取り、じき睡魔に襲われて敷き放しの布団に潜って--という川地の日常生活をそのまま過ごしたのだが、その間に少年が自分から話すことといえば、例えば、
「お背中をお流ししてもよろしいですか」
「はばかりをお借りしてよろしいですか」
とかの断りや、
「いただきます」「ごちそうさまでした」
などの挨拶くらいしかないのである。
起きている間他に少年が何をするかというと、これも、
「〜してよろしいでしょうか」
という断りの後でだが、雪見障子の向こうの、中庭に面した縁側の隅で足を組んで座禅めいたことをしたり、音を立てずにする体の鍛錬をしている。
普段からの日課のようで、これみよがしなところはまるでない。
川地が見ていても、特に力んだりも、あるいは恥じたりもせず、たぶん見られているという意識すらないのだろう。
逆に川地の方を何をするかと、ことさらに注意している様子もない。
呼べば来るし、用事を言いつければその通りするし、もういいと言えば廊下に戻って修練をしている。
寝る時は隣にもう一組布団をのべて、久々、夜にこれほどの近さに他人がいることでの不眠を案じた川地だったが、自分でも不思議なことに、常と同じようにすぐに眠ってしまった。
起きた時に、隣にいたのが目に入って少々吃驚したほどである。

(やはり、犬猫に近いか)
いや、むしろ犬猫の方がもう少し人間の目を気にするのでは、とすら思う。
そういう動物を飼っている家に行くと、犬はもちろん飼い主に対して忠誠を見せるし、猫ですら気が向けば、というより腹が減れば、なのだろうが媚びを見せる。
(例の機関にだけ、忠誠を見せるのかもしれぬ。こうして鍛錬を怠らないのも、機関のため存分に働けるようにであろうし)
そんなことを思って川地は、自分が今更なことを考えていると気づいた。
最初にやってきたのが、そもそも機関への援助の礼ではないか。
若く美しい少年が、他にどんな理由で進んで自分のような醜い老人の贄になるというのか。
(こちらの思った通りの反応をしないから、妙な考えが浮かぶ。奉仕させられて嫌な顔をし、投げつけられた金に怒りでも見せれば、身の程知らずの尊大ぶった小僧め、世の道理の一片でも知れとせいぜい辱め、警察に留められたと知ればよい気味だと笑って終わったはずだのに)
そんなことを思っていると、少年が珍しく何か言いたげな表情で自分を見ていることに気がついた。
翌日の朝餉をすませた後である。
川地の手には新聞があったので、ぼんやりと思いをめぐらせていたとは見えず、話しかけるにいい折を待っていたのだろう。

「なんだ」
「あ…思い出したのですが」
「何をだ」
「忘れてしまったのです」
「だから、何を」
「お借りした手拭いを…急だったので」

「ああ、あれか」
どうせこの店のものであって、仮に自分のものとしたところで、いくらもしない、その辺に売っている手拭いである。
「要らんものだ、捨てたらいい」
そう言ってやると、少年は目を落とした。
「…はい」
「なんだ、ここに来る口実がなくて困るのか」
川地がまた「イケズ」をすると、少年は律儀に、
「そうではありませんが…」
と答える。
「なら、なんだ」
「…いえ…要らないものでしたら、いただいてもよろしいですか」
ふと、思いついたように言う。
「あんな汚れた手拭いが欲しいのか。大体血がついているだろう。自分のとはいえ」
川地が尋ねると、
「落としました…出来るだけは」
聞き流していた川地は、少しして少年の言葉が頭に入って、驚いた。

「落とした?」
「はい…綺麗にしてお返ししなければと思っておりましたので。その、むくろじの皮を煮た液がよいと、知り合いの方に教えていただいて」
少年は川地の驚きに戸惑ったせいか、常より少しばかり言葉が多くなっている。
「自分で?」
「はい、やり方は、その知り合いの方に教わって、ですが」
気負いもなく言う少年に、川地はなんと言っていいものやらわからなかった。
(むくろじ、だと?)
川地の日常には関わりのない言葉であったが、
(蜜柑の皮が衣服の汚れにどうとか、女中が話していたことがあるが、そういう類か)
そう思い当たって、ふと川地は少年の片手を取った。
不意の行動だったが、少年は反射的にも避けるような動きはしなかった。
はじめて明るいところで間近に見るその手は厚く大きかった。
夜会で見る、財閥の子弟達がグラスを持つ細い指に美しく手入れされた爪の、何か白くやわやわとした物とは違っていた。
色は白いが、指は長く骨がしっかりと太く、手の平の表面は乾いて固い。
かすかに古い傷跡のようなものの跡もある。
(働いている人間の手だ)
思った瞬間、川地は少年の上に覆いかぶさっていた。

川地はそのまま少年の上着のボタンを外し、シャツも裂くように前を開いて少年の首や胸を吸った。
「……」
少年はさすがに驚いたようだが抵抗はしない。
ただ川地のするがままになって、心地よければそのままに吐息を漏らす。
川地はせわしなく少年の肌に口づけながらその衣服を取っていく。
片方の手が腰へ這う。
少年は協力するように動き、両手がためらいがちに川地の二の腕にかかる。
川地がそのまま口と手での愛撫を続けてやると、安心したようにその手を首から背へ回す。
その間も川地の手は少年の臀部を這い、指が隙間を探る。
少年の吐息はもう喘ぎになり、自然と腰が畳から浮く。
川地が体の位置をずらしてその顔を下腹部に持っていくと、少年は体を起こしかけた。
「そこは…」
「黙っていろ」
川地は言って、少年のものを口に含む。
「そのような…」
「黙っていろと言ったぞ」
困ったような少年の顔に、つい笑い出したくなるのを抑え、川地は唇と舌を使う。
蔭間達の技巧を少し真似してやっただけで、少年はたわいなく叫びを漏らす。
「もう…ご勘弁を…どうか」
頬を真っ赤にして必死に言う様がなんともいえず、川地は逃げようとする少年の腰を押さえて更にきつく吸い上げた。
少年の体に震えが走り、その両手が川地の肩を強くつかんだ。

「も…申し訳…」
「よい」
本当に申し訳無さそうな顔をしている少年に構わずその足を持ち上げ、川地はもう固くなっている自分のものを少年の中に入れた。
悲鳴に近いような声が上がる。
「きついか」
「い、いえ」
直後で、中の感覚も鋭くなっているらしい。
それを見てとった川地が動きを速めると、少年はまた泣き出しでもするように目をそばめ、息が荒くなる。
柔らかく戻っていたものが、また張りを増してくる。
(若いな…)
汗で頬に張りつく髪が鮮やかに黒い。
つと、少年と目が合った。
少年は目をそらさなかった。
一度だけまばたきをして、川地の目を見つめていた。
その瞳が何かを求めているような気がした。
かすかに開いた紅い唇が誘っているような気がした。
川地はおのれの気のせいと目をそらした。
川地はそのまま目をつぶり、体の快楽に集中した。
少年の手が再び川地の腕から肩に伸び、指に力がこもるのがわかった。

***

「一体、どういうことなのだ」
「それが、一方的な話でわたくしにも…」
「このところ、そんなことばかりだな」

業斗はつい声が荒くなるのを抑えられずにいた。
再び、神社の奥の座敷である。
少年が予想より早く、連れて行かれた翌日の昼すぎに車で送られてきてすぐそこに、上からの話というのが来たのである。

「さんざん思わせぶりに力を貸したりしておいて、一晩泊めた後はこれで用済みとばかりに帰し、以降援助は打ち切りとは、一体何がしたかったのか。あまりにも馬鹿にしている」
「……」

使者は黙っている。
業斗の怒りはわかる。
表にははっきり出さずとも、十四代目を自分の息子か孫のように目をかけている業斗が、それを見知らぬ相手に玩具同然に扱われて怒るのは当然のことだ。
だが機関からすれば、恒常的な関係は打ち切られたとはいえ、最初の寄付の額はかなりのものであったし、更に、大事に到るやもしれなかった陸軍関係の面倒をうまい具合に処理してもらっている。
文句を言う筋ではないのである。
下世話に言えば「得な取引だった」とすら言える。
業斗ももちろんその辺りは頭ではわかっている。
もし他の者のことであれば自分もそのように思い、当事者が怒っていれば愚かな、と笑ったかもしれない。
だからこそ尚腹立たしいのかもしれぬ。

「ここでそなたに愚痴っていても詮ないことだな。すまなかった」
「よいのです、わかっておりますゆえ」
「済んだことは済んだことだ。さあ、帰ろう」
業斗は後ろで静かに座っている少年に声をかけた。
「……」
「どうした」
珍しく少年がすぐに返事をしない。
顔を見ると、いつもよりも青白く、緊張しているような様子さえ見える。
膝の上に乗せた両の手が固く握られている。
こんな少年を見るのははじめてかもしれなかった。
襲名のための試練に向かう時ですら、業斗は陰から盗み見ていたのだが、毛ほどの怯えも見せず、口元には薄く笑いすら見えたような気がしたのだが…

「どうしたのだ」
「…自分の…自分が何か、ご機嫌を損ねるようなことを」
業斗ははっとした。
「何か、心当たりがあるのか」
「…わかりません…自分では」
「それなら、気にするな。金持ちの気まぐれというやつだ」
「そうです。上の話でも、単にこれ以上こちらと関わりを持って、海軍寄りと取られては商売上まずいのだろうと」
使者も言葉を添えたが、少年は暗い顔のままである。
と、いきなり、
「お尋ねして参ります」
立ち上がったかと思うと、
「おい、待て!そんなことは…」
必要ない、と言う業斗の言葉も聞かず、少年はあっという間に部屋を出て走り去っていた。






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