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黒猫

黒猫リンカの物語


-1-

 春のシプレ村ほど気持ちのいいところはない。
 風は穏やかで日は暖かく、野原には白や黄色や紫やピンクの花が咲き乱れ、蝶や蜜蜂がその香りに誘われて飛び回る。
 遠くの森はいつも濃い緑色だが、街道の木々は淡く柔らかい緑色の葉で装っている。その若木の間をぬって、小鳥達が愛の歌を歌う。
 冬の間厳しい顔をしていた人々も優しくなって、オレに肉の脂身を投げてくれたりする。オレは、嬉しそうににゃーんと鳴いてからそれをいただく。可愛がられる猫ってのはそうするもんだからだ。
 大人達が機嫌がいいから、子供達も嬉しそうだ。もちろん、人々が機嫌がいいのは、春になれば旅人が増えて、街道沿いのこの町にお金をいっぱい落としていってくれるからで、必然的に子供達も手伝いをさせられて忙しくなるんだが、多少こき使われたって、冬のように、食べ物は堅くなったパンや干し肉ばかりで、苦い顔をしてる親たちと一緒に家に閉じ込められてるよりはずっとマシなんだ。
 オレの家である、この村のたった一つの旅籠、「水晶亭」の人々にとっては特に、春から秋までは稼ぎ時だ。
 旅籠の「顔」で、一手に切り盛りをしてるローダ女将と、静かだけど帳簿つけをやらせておけば間違いない婿養子のグレップ旦那、二人の娘で、そろそろここの看板娘になりそうなコール嬢ちゃん。それに、なんでこんなとこにいるのかわからないほど美味い料理を作るフラッグスに、掃除なんかの手伝いに通ってくるロムおばさん。
 泊まり客が何組も重なって、すごく忙しい時には村から手伝いを呼ぶけれども、普段はこの五人で「水晶亭」をやっている。
 オレに餌や水をくれるのはコール嬢ちゃんだ。
 嬢ちゃんは十二になったばかりだけど、よく働くし、きれいで頭もいい。将来は立派な二代目女将になるだろう。婿になりたがる男はいくらでもいるに違いない。大きな街で自分の料理屋を開けるくらいの腕のあるフラッグスが、この小さな村の旅籠を離れないのも、半分くらいはこの嬢ちゃんのせいじゃないかとオレは睨んでる。今、二十五くらいの年だとすれば、あと四年もすれば嬢ちゃんは結婚してもおかしくない年になるし、このくらいの年の差は、本人達が気にしなければ問題にはならないだろう。まあ、他にもライバルは出てくるだろうが。

 そろそろ自己紹介をしておこう。
 猫だってのはもうわかったからいいよ、と言われるかもしれないが、オレはただの猫じゃないのだ。
もちろん外見はどこから見てもただの猫だ。真っ黒で、目は緑。しっぽは長からず短からず。肉球は小豆色。まだ大人になりきってない雄の猫。だが、しかし。
 実はオレの頭の働きは人間と同じくらい、いや、そこらの人間よりはずっと優秀かもしれないのだ。
 つまり、脳は人間で体は猫。
 そういう、ちょっとそこらにはいない生物なんだ。
 なんでオレがこんな変な生き物になったか、というよりも、なぜこんな生き物が生まれたか、というと、もちろん自然の力じゃない。
 知ってると思うけど、この世界には魔術師、という、普通の人間にはない力を持ったやつらがいる。
 大抵の魔術師というのは、病気を治す薬を作ったり、人に害をする虫を退治する方法を教えたり、生活に役立つ道具を考えて作ったりとか、まあそういう、人様のお役に立つことをして暮らしてる。
 ところが、同じようにすごい能力を持ちながら、その力を困ったことにばかり使うやつらがいる。
 頼まれて人を病気にしたり、ひどい時には死なせたり、人の秘密を探ってそれを別の人に教えたりしてお金をもらう。またあるいはオレのような、自然には存在しない生き物を作り出したりする。
 いい魔術師達はそいつらを「闇術師」と呼んで自分たちとは区別しているが、呼ばれる方は何も気にしていない。ほんとに困ったやつらである。
 オレを造ったのは、その闇術師の一人でオジェ、という名前の男だ。まだ若く見えたけど、術師達ってのはたいがい普通の人よりも若く見えるし、そのオジェの種族というのは特別に長命な種族らしいので、結構な年なのかもしれない。少なくとも話を聞いていると随分と昔のことを知っていたりしたから、絶対見かけどおりの年じゃあない。
 オレが生まれたのは、シプレの村からはずっと離れたリューナという国の、メロナという村にあったオジェの家だ。そんなに小さな家じゃなかったけど、とにかく物がごちゃごちゃしていて窒息しそうなとこだった。何に使うのかわからない道具だの、古くてカビの生えそうな本だのが、整理されないまま積み上げてあるんだ。
 オレは頭は人間だけど、はじめは子供だったし、何しろ生理的には猫だ。しょっちゅう、そのゴミための上でねずみやら蠅やらと運動会をやってゴミの山を平地に戻し、オジェに癇癪を起こさせたもんだ。
 人間の年で言うと十くらいの年まで、オレはオジェとそこで暮らしていた。術師の例にもれず、オジェもずっと一人暮らしだった。その頃になるとオレも、自分が他の生き物達と、「何か違う」ことに気づいていた。
 同じ頃に生まれて一緒に遊んでいた猫達が、あっという間に大きくなって子供を作り、その子供がまたおんなじように大きくなって、ということを繰り返している間に、オレはやっと「子供猫」くらいの大きさになったばかりなんだ。
 しかも、他の生き物達にはわからないらしい、「人間の言葉」がわかる。だけど「人間」でもない。
 村で生活してる「人間達」の話はわかるけど、オレから「話す」ことはできない。声を出そうとしても出てくるのは「にゃー」という猫の出せる音だけ。
 じゃあ猫達とはどうか、というと、同じ声を出せばとりあえず簡単なコミュニケーションはとれる。出会いの挨拶とか、敵意がないことを示すとか。
 だけど、それだけだ。
 猫の頭は人間の頭とは違う。彼らは彼らで人間とは違う頭の使い方をしている。
 お互いに子供だった頃はただ駆け回って遊ぶだけだったからほとんど不自由はなかったけど、大人になっちまうと、もう違う生き物なんだ。
 人間同士なら、違う言葉を話す民族でも、基本の頭の使い方が一緒だから、いろんなやり方で「会話」はできる。
 伝えたいことがあれば、なんとかなるものだ。
 オレと普通の猫の間には、そういう物がない。
 あっちから見れば、格好は同じだけど関係の無い物って感じなのかもしれない。猫という生き物は元々クールだから、関係が無い物は気にもしない、というところなんだろう。オレも体が猫だから、そういう気分はよくわかる。
 だから、オレが「会話」できるのはオジェだけだった。
 オジェの言うことは普通に聞いてればわかる。
 オレがオジェに話す時には、どう説明すればいいのか、とにかく頭の中で言いたいことを考えて、それを相手に向かって「飛ばす」んだ。その、飛ばした考えを受け取れるというのは、術師の能力の一つなんだ。
 オジェは、やってることの是非はともかく、すごい力の持ち主だったことは間違いがないみたいで、大抵はオレが「飛ばす」前に言いたいことがわかるみたいだった。逆に、口をきかなくてもオレと同じように、オレの頭の中に考えを直接飛ばしてくることもできた。でもそれは精神力を結構使うので面倒らしく、必要のない時はいつも普通にしゃべっていた。必要な時っていうのは、その場に他の人間がいて、猫にしゃべってるのを見られるとまずいような時だ。
 自分が妙な生き物であることに気づいたオレはある時、オジェにその「通心」で、自分が一体なんなのか聞いてみた。知ってのとおり、答えは、オレが、オジェがその部屋の中で造り出した人工の生き物だ、ということだった。
 『自然に存在しない生き物を造るなんて、神の摂理に逆らうことじゃないの?そのせいでおかしなことが起こったら、どう責任取るつもりなんだよ?』
 「いや、それはだな...」
 オジェは、勇気の無さを神の名に隠れて誤魔化すことの卑怯さだとか、新しい可能性への挑戦の偉大さだとか、オレという成功作を生み出すまでの様々な苦労だとかの自己を正当化する科白を矢継ぎ早に並べ立てた。けど、結局どれも後から考えた言い訳だ。
 オレを造ったのは、要するに「造ってみたかった」からなんだ。聞いていてよくわかった。闇術師ってのは、そういうやつらなんだってことが。

to be continued

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