王子稲荷神社  北区王子本町1丁目1−12



御祭神:宇迦之御魂神、宇気母智神、和久産霊神

JR京浜東北線と日光御成道にはさまれたこの一帯は東が低く西が高い斜面になっています。
王子稲荷は斜面の中腹にあり、正面鳥居は低い位置ですが南側の出入り口は急坂の途中にあります。

1060年頃には「岸稲荷」と称されていました。
源頼義が奥州の安部一族を征討するとき、当社を関東稲荷総司としました。
1322に領主の豊島氏が紀州熊野神社を勧請して南隣に王子神社を創祀したことから名称が王子稲荷に変わりました。

いつのころか当社の傍らに稲荷明神(装束稲荷、衣裳榎)を祀ったところ、近隣の狐が集まりその狐火が蛍を飛ばしているようにみえ、その様子から豊凶を占ったそうです(浮世絵参照)。

江戸名所図会によれば狐が稲荷の使者とされるようになったのは1390年頃のようです。
社殿裏手の崖の上に狐が住んでいたという祠がありますが、いかにも狐のすみかになりそうです。


江戸の中頃から火防守護の奴凧がお守りに登場し、凧市が開かれるようになって現在も続いています。
かって門前に海老屋と扇屋の料理店があり、扇屋の卵焼きが落語の王子の狐の舞台です。
(扇屋は王子神社の傍らに現存しています)

石階段の途中から湧き水が滝のように流れ落ちてその傍らに弁財天が祀られています。
石階段途中には多数の石灯籠が並べてあり、もともとは街道筋に奉納されて参拝の道しるべになっていたものだそうです。

本殿は戦災で焼けましたが幣殿と拝殿は文化5年(1808)当時のものです(屋根は戦災で壊れたらしい)。
重要美術品に指定の「鬼女の額絵」は弾痕を残して資料館にあります。
明治16年に高崎線が装束稲荷と王子稲荷の中間に開通し、杉は枯れてしまいましたが今は榎とイチョウが森であった雰囲気を残しています。