王子神社  北区王子本町1丁目1−12



御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命

創祀は不明ですが、元亨二年(1322)に当地の領主の豊島氏が紀州熊野から熊野五所権現を勧請し、若一王子宮、王子権現と称したと伝えられています。
江戸名所図会では本殿に伊弉冊尊、左に速玉男命、右に事解男命の三神となっており、当社別当であった金輪寺経典に文宝二年(1318)の記事があり、社殿建立が元亨二年頃で勧請はもっと前と推定しています。

小田原北条氏も所領を寄進しその朱印状が残っています。
江戸名所図会に北条家家分限帳に王子領、江戸上平川、下平川、牛込の内にて・・とあります。

徳川家康もまた二百石の所領を寄進して将軍家祈願所と定め、春日の局が当社に祈願し家光が将軍に就任したことから子育大願としても信仰されています。

紀州出身の吉宗も元文二年に飛鳥山を寄進して桜を植え、江戸庶民の遊興地となりました。
紀州熊野の音無川の名も運ばれて、下を流れる上石神井川をこの付近だけ音無川と呼びました。

8月初旬の「王子神社田楽舞」は中世の面影を残す貴重な田楽で、北区の無形文化財に指定されています。

江戸名所図会に、伊弉冊尊神退ましければ紀州熊野の有馬村にをさめまつる。熊野大神これなり。
この神を祭るには、春は花をもて祭り、鼓打ち、笛吹き、旗立てて諷ひ舞ふて祭る・・花鎮めの祭祀があったが絶えているので 古図を模写するとあります。


境内末社に関神社があり、醍醐天皇(延喜帝)の子ともされる蝉丸公を祀っています。
蝉丸公の姉が髪に悩み、姉のためにカツラを作ったので髪の祖神ともされ、関神社は理髪関係者の信奉を受けて毛塚があります。
蝉丸公は音曲にも優れていたようで芸能関係者の崇拝もあるようです。