10・備中・備後に於けるお神楽と猿田彦命さん

比婆荒神神楽

東城町、西城町、神石町、油木町、哲西町

比婆斉庭神楽

高野町、比和町

岡山備中神楽

総社市、阿哲郡、上房郡、高梁市、後月郡、井原市、小田郡、川上郡

石見大元神楽

島根県邑智郡桜江町、石見町、川本町、瑞穂町

出典 比和町立自然科学博物館刊 斉庭神楽展パンフレット
     東条町教育委員会刊     比婆荒神神楽
     山陽新聞社刊         備中神楽

之は荒神、斉庭、備中、大元神楽が通年行はれている地域表であります。
これでは地理的条件が分かりにくいためマップで表現致します。

この分布マップで見ますと大半の地域が猿田彦命祭祀神社の守備範囲から山地よりに存在しています。
これはどう言う事なのでしょうか。
現在、備中神楽の演目中神事舞と神代神楽があります。
神事舞は最も古く中世の昔から演じられています。
一方神代神楽は1764年〜1828年西林国橋さんによって編纂された新しい神楽だと言われています。
荒神神楽、斉庭神楽、備中神楽とも「猿田彦の舞」は最初の方で演じられ神事舞であります。
この三お神楽の中でもこの演目は夫々最も古い形を伝承している訳であります。

さて猿田彦の舞が今始まりました。

「そも神前に舞い出だす神を、いかなる神と思うらん
これなるは、天孫降臨の御時、先払いに立ち給う猿田彦命の神なり。
今般神事の真っ先において、如何なる邪魔外道が目入れなすとも、
この神剣をもって東西南北に追い払い、天下泰平、国家安穏を守護
いたさばやと存知候

ここに私は昔、征服された者が征服した者に忠誠心を表す為先駆けを申し出る姿に重なるものをみます。
即ち昔の人々が猿田彦命さんに見た幻影の一つを見た思いがいたします。

成立年代に付いて
猿田彦の舞を含む神事舞の最も古い記録は1470年備前一宮にて行われたと言う記録が有るとされています。
然し之は記録であって、実際にははるか昔に遡り行われたものと思います。

しかしこのお神楽の故郷が中国脊梁山地に有ると言う訳では有りません。
備中、備後、出雲、石見等四系統のお神楽がある事は先に書きました。
この四系統のお神楽の構成は神事に関わるお神楽舞と芸能として行われ劇的要素の強いお神楽とにニ大別される
事も又記したところであります。
この構成の内、より起源が古いとされる神事舞は島根県八束郡鹿島町に鎮座する佐太神社に古くから有る佐陀神
能の影響が強いとされています。
上記地図のうち「さだ」と言う音を含んだ神社の所在地を追いかけてください。佐陀神能が歩いた道筋が見えて来る
はずであります。ではこの位置より何故瀬戸内よりに降りる事がなかったのでしょうか。
古代吉備王国が有った事は広く知られています。
その版図を表す指標として考古学者近藤義郎先生は吉備地方特有の特殊器台形土器の出土地を上げています。

このマップにより吉備王国に接近する事が不可能で有った事がお分かりになろうかと思います。

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