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黄河流域の初期文化


4500頃
山東省泰山南部に大ブン口文化(ブンはサンズイに文)。
現在は乾燥地帯だが、水辺を好む動物や揚子江ワニの骨が多数あり、大型の石斧が出土するところから湿地帯や森林のある環境だった可能性大。稲はなし。
抜歯風習あり。ノロ(鹿の一種、日本にはいない)の牙を使った特有の装飾品。
竪穴住居、屋根をかけたと思われる柱跡あり。

土器に石斧など記号と思われるシンボルが刻まれている。
穂摘み用の石包丁使用。繊維製品は未発見だが骨針と紡錘車あり。
大量の副葬品の多くは武器や土器。木製品は見あたらないが腐食した可能性。
副葬品から貧富の差が生じていると見られる。

武器と思われる矛あり、後の青銅製矛の形状に類似。石製と骨製の双方あり。
良渚文化に侵入を受けたと見られる江蘇省北部の墓には骨製短剣の副葬多し。
良渚文化との混合でBC2500頃に龍山文化へ変遷する。
黄河中流域の仰韶文化圏との接触の可能性あり。

4000頃
黄河中流域に仰韶文化。母系社会、殷とは文化系譜は異なる。
新石器文化、骨格はモンゴロイドの東アジア型の特徴を持つ。
集落に環壕あり。集落周囲には大量の落ち葉が堆積、当時は森林の可能性大。
臨潼姜寨遺跡では竪穴住居で草木製の屋根だが、隣接の半坡遺跡の住居は土壁のキノコ状で出入り口は鳥の巣箱のように小さいようで住居形式が異なる。

粟、黍の栽培がメイン食料、動物は鹿、イノシシなどあり。
穂摘み用の石包丁あり。オカリナ類似の土笛あり。
粘土製の球体あり。何らかの投擲道具の弾丸の可能性あり。
彩文土器の縁に記号が刻まれたものが多く出土。制作者のシンボルという説あり。

中国特有の「戈」登場。対人用の武器。
住居土中から頭骨のみの発見あり、首のない遺骨あり。首狩り風習の可能性。
埋葬された人間の両側に貝を並べて図形を描いて副葬としたものあり、それぞれ龍(ないしは恐竜)と虎と判断可能。

BC2500頃
泰山北部黄河下流域に龍山文化。黒陶を特徴とするので黒陶文化とも呼ぶ。
大ブン口文化からの変遷とみられる。
遺跡は丘の上にあるものが多い。初期には竪穴住居。
骨格のひとつは身長175cmに達するようで巨人である。

男系祖先崇拝の遺物あり。階級的社会構造。紛争、略奪、奴隷。遺跡に破壊や争乱の跡が見られる。
鏃は石製と骨製の双方あり。
卵の殻のように極薄の卵殻土器土器。特権階級のシンボルの可能性大、渤海湾の島からも発見されている。

唐草文様は龍山文化の特徴、良渚文様の変形と見られる。殷文様の原型の可能性大。
直径50cmほどのワニ皮を使ったと見える木製の太鼓。楽器と見られる石板出土(副葬品)。
文字と思われる記号あり。とぐろをまく蛇の絵のある大皿あり。
道具の発達著しく、銅亜鉛合金の真鍮製品あり。山東省にはこれらの鉱脈多し。
良渚文化の流れをくむ出土品多いが形式化し玉器技術は低下。

後に現在の鄭州市付近に進出し各部族に分裂して抗争したと見られる。
これらの部族がそれぞれ尭舜禹の部族(夏及びその前身)とする中国研究者もあり。
殷に直結する可能性の大きい文化で、中国内でも研究途上の文化。

2300頃
西安で甲骨文字。このころ黄河が大氾濫したとされる。
この時代は世界的にも気候変動があるようで、各地の古代文明が衰退を始める。

BC1900頃
鄭州市付近に二里頭文化。宮殿とされる大きな遺跡があるが盗掘されたようである。
(殷墟は鄭州市の150キロほどの北にある)
青銅器の本格的な使用が始まっている。
出土物から四川省や甘粛省などとも広く交流している。
宮殿は壁、軒などをもつ現代の物とさほど変わらない物になっているようである。
土器は高温で焼成され、当地では原始磁器と呼んでいる。後期には登り窯が発見されており最古とされる。

青銅の鏃や釣針が登場する。青銅矛もここが最古のようである。
銅に関して激しい争奪戦が繰り返されていた可能性も推察されている。
この遺跡も付近に銅鉱床が発見されたためにできたものであろうと推察されている。

首切り用の鉞(エツ)が登場し、後期のゴミ捨て場と見られる遺跡から100個ほどの頭骨が発見されている。
そのなかには鋸?できれいに半分に挽き切られた頭骨もある。
多数の犬と人骨が黄金薄片の装飾品とともに出た例もあり、謎となっている。
骨製品の製造工場があり、牛や豚の骨と共に人間の骨が半分を占めている。
ここが「夏」であるという説もあり、また殷の初期王朝であるという説もある。

では一般住居に頭骨がいくつも吊り下げてあった。
また武器が二里頭のものよりがっちりしたものになるが、鎧甲の登場に合わせて強化されたと推定されている。
捕虜と見られる座像のかぶり物などから三星堆文化との関連も推定されている。
絹は良渚文化以後途絶えていたが、殷で復活する。

舟がこのころ山東半島の黄海沿岸で発見されているが長さ3.9mで小さい。
また前後が鋭角でなく平らであり、甲骨文字の舟の形通りと見える。河川用の舟と思える。
その他殷関係は省略

川上しのぶ (c)1999/04

参考文献:
中国文明の誕生/林巳奈夫、長江文明の発見/徐朝龍、古代中国社会/張光直
中国古代史を散歩する/李家正文、日中文化研究各号/勉誠社、史記、他
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