1998年12月4日
ブルックナー交響曲第7番(クナッパーツブッシュ、朝比奈)
今週はブルックナーの交響曲第7番にはまっていました。(次はまたまた予告に反して8番にはまりそうです。)
それというのも、朝比奈隆指揮、大阪フィルが聖フローリアン寺院で演奏した伝説の一枚がたまたま売っていた
からなのです。(Victor)
ガイドブックには廃盤となっていましたので、思わず生活状況を省みず、速攻で買ってしまいました。
教会録音の残響の長さが評判になっていた一枚ですが、早速聞いてみるとウワァーンと残るような感じは
せず、全休止になると音が残っているの感じられますが、以外と普通の録音です。
とはいえ、オンマイクのはっきりした音ではなく、全体が解け合っているようになっていて、細部はトロトロになって
いるようです。伝説の第2楽章の後の鐘の音も思ったよりはずっと小さい音でした。
この朝比奈の7番の演奏はものスゴーク気持ち良い演奏です。全てが柔らかい響きの中に溶けていて、
ブルックナーの巨大な山塊のような響きにはなっておりません。もっとも7番自体がそのような傾向が
あるとは思いますが、それにしてもトロトロと、温泉に入っているか、ぬいぐるみにでも囲まれているかのような
感じすら受けてしまいます。第2楽章アダージョもヴァーグナーの死にたいする沈痛な死の歌と言うよりは、
あくまでも良いお師匠さんの人柄を偲んでいるようです。ハース版のシンバルなしの所はさっぱりしていて
良かったです。スケルツォもフィナーレも気持ちよい響きの連続で、実は筆者は寝まくりました。
ちゃんと聞き通したのは多分4回目ぐらいにかけたときです。
しかし、このずーーーーっと気持ちよい響きで埋め尽くす、と言う構成は、もう楽章間の断絶などなきに等しく
しており、僕はこの曲としては初めてすっきりとしたまとまりを感じました。
「これがブルックナーを代表する曲であり、演奏なのだ。」と言われると僕としては違和感があるのですが、
良質な名演であるのは確かだと思います。ベートーベンやブラームスを好む人々には絶好の入門盤かも。
けれど、どちらかというと20世紀の音楽やマーラーの方からブルックナーにアプローチしていった筆者から
すると、なんか違うんじゃないか、と言う気がするんです。ブルックナートゥッティの、ブルックナーゼクエンスの、
頭が持って行かれそうになる巨大な響きというものがこの演奏からは抜けているんですね。
そのかわりとてもとても気持ちいいのです。それまで聞いていたヨッフム・ベルリンフィルやチェリ・ミュンヘン
に比べると曲全体の統一感と気持ちよさでは数段上で、必須盤であるとは思います。
ただ、特にチェリの演奏から感じられた、アダージョの途轍もない深淵につるされたような響きはないのです。
後、朝比奈の演奏では感じることが多いことなのですが、同一旋律の歌い方が同時に演奏されるときでも
奏者毎にバラバラで全体での「歌」がぼそぼそした印象になっているのは僕は好みません。
「ロマンティック」の新録は本当に他の演奏より好きな演奏なのですが、この7番は「ブルックナーの7番」
じゃなくて「気持ちいい音楽」を聞きたいときに聴く演奏になりそうです。
そこで、いきなりクナとヴァントが欲しくなってしまいました。チェリも朝比奈もどっちもどっちなら、別の方向なら
深淵+全体の統一感+ブルックナーの響きがあるんじゃないかと思いましたので。
後クナの「歌」はまさに僕にとっては朝比奈の対局にある響きですので。
(とは言ってもクナは2セット3曲(5,8,9番)しか持っていなかったのですけど。)
(この曲だと確かに「ブルックナー指揮者」以外からも名演が生まれそうですが、僕の好み&安全策で(^^;))
たまたま店に転がっていたので全財産使い果たして買ってきました。
ヴァントは途轍もなく好きな指揮者で、特にSardanaのミュンヘンとの9番は僕の心の一枚なのですが、
7番(NDR,BMG)に関してはあっさりしすぎていて、今の気分ではありませんでした。
そのうちぐっと来るかもしれないですけれども。
で、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮のケルン放送交響楽団(Disques
Refrain)です。このCD、ブラームスの
3番とのカップリングの2枚組です。で、いきなり7番を聞こうと思ったら、ブラームスが出てきました。
箱にもCDにも2枚目がブルックナーだと書いてあるのに。げげ、これはもしかしたら2枚ともブラームスか?
と思いっきり青ざめましたが、ブラームスと書いてある1枚目を気を取り直して入れてみたらブルックナーだった
のでほっとしました。
録音はまぁモノラルならこれぐらいで良いか、ぐらいの音で、楽器の音はちゃんとしてますし、ノイズも少ないです。
で、聞いているうちに音楽に引き込まれました。今まで個人的に7番はブルックナーらしい「大頂点」に欠けた
女々しい曲と思っており(暴言)、アダージョのみがまとまっていると考えていたのですが(大暴言)
クナの演奏では各楽章ブルックナーらしい巨大な響きに満ちております。そして特筆すべきはその旋律の
息の長さで、他の指揮者は通常、ブルックナーの多用する動機の繰り返しを旋律と言うよりは音型として
演奏することが多い様に聞こえるのですが、クナはそこも旋律の一部のように連続して歌っており、
言い方は悪いですが、まるでマーラーの交響曲の主題のように途轍もなく長い一つの主題として聞こえてきます。
すごく長い生き生きとしたメロディーが次々とつながっていく様は「見せ場+繋ぎ」のように演奏した
凡百の演奏をまさに蹴散らすもので(言い過ぎか?)第1楽章のコーダは巨大な響きで終わります。
第2楽章はかなり速い速度で進んでいきますが、そんなことを忘れさせるような説明するのは難しい音楽です。
うぅ、最高です、この演奏。先ほど言った動機がどんどん連続した歌になっていて巨大な一つの響きになっていく
様はこの楽章においてもっとも感じられ、楽章全体が一つの悲しみに満ちた生き物のようです。
第3,4楽章は今まで僕が信じてきた7番は後半が軽い、と言う考えに疑問が突きつけられた様な巨大な
演奏で(まぁ、8番ほどじゃないですけれど)しめやかな情に満ちたアダージョにはこれぐらいの曲の方が
バランスとれて良いのではないか、と思い始めています。7番のアダージョはブルックナーとしては例外的に
個人的な生の感情がむき出しになっている音楽に僕には感じられるのですが、そうなると8番のような
宇宙的、空間的フィナーレというのは換えってちぐはぐになってしまうのではと思いました。
それにこのクナの演奏だとヴァントが「繰り返しをしているだけで冗長だ。」と言ったコーダがしっかりと大重量で
曲を締めくくっており、本当に良いです。僕はほぼ一週間他の演奏を挟んでいるとはいえ、かけっぱなしでした。
今回の結論:
ブルックナーの7番はめそめそした尻軽女で苦手だ、とお思いの方、クナの7番は良いですよ。