天下夢奏
〜戯曲『無銘の御剣』より〜
第1楽章 第6幕 ―国―
情報を買いたい。
男は冷たい表情を崩さずに右手を顔の前にかざした。
先程までなかったものが彼の両目を遮っていた。
「…内容によりますがね」
両目を覆うそれは『眼鏡』と呼ばれるものだった。
二つの丸い玻璃の円盤が光を反射して彼の表情を一瞬覆う。
「リギィの動向だ。…又兵が動いているようだが詳しい情報が欲しい」
男は痩せこけた、くたびれた格好をしている。
それでも両目だけはぎらぎらと嫌な光を放ち、生への渇望にその欲望を漲らせていた。
情報屋は口元に冷徹な嘲笑を浮かべる。
「いいでしょう…では中へどうぞ。戸外では私の結界もあまり役に立ちません」
そう言って彼は自分の家屋を指さした。
小さな小屋だが、彼の言うとおり彼の術が施されている彼の隠れ家
――と言うよりも生活のためのセイフハウス――だ。
路地裏に玄関があり、表向きに商売できない人間相手では、あるが。
しゃらん
乾いた宝石の立てる音が響いた。
彼の身体に飾り立てるように付けられたアミュレットが立てた音だ。
「…リギィですね…表だった動きはないのですが」
リギィ王国はティフィス=ブランドーの東、ここエプルーエ大陸の東の端に位置する国家である。
大陸中央に存在する小国家郡を統一させる直接の原因となった軍事国家だった。
先の大戦ではティフィスと痛み分けと言う形になり、元来仲の良くないこの両国は未だに領土問題でにらみ合いを続けているという。
「そうですねぇ…」
男は机の引き出しを開けて何枚かの書類を抜いた。
「リギィに傭兵部隊がいるのはご存じですか?」
そう言って差し出した書類にはある記事が書かれていた。
槌衝角。ディア=レネイドルと呼ばれる『特殊部隊』だ。
「彼らの動きが少々気になりますかねぇ、グレイズ閣下?」
男の目が急につり上がって眼鏡の男を睨み付けた。
だが情報屋は涼しい表情を崩さずに続ける。
「これは失礼。御安心下さい閣下、私は決して貴方の敵ではありません。
その証拠にこれから渡す情報は最新の、正真正銘の本物です」
そう言うと彼は口元の笑みを鋭く吊り上げた。
「閣下、それなりの報酬を期待しますよ」
手段は問わない。確実に殺して欲しい。
良くある暗殺依頼だが、理由も、相手も知ることができない。
本来の仕事の依頼主が分からないからだ。
――政治がらみだな
とは躊躇する必要なく分かった。何故なら名前に見覚えがあったからだ。
グレイズ=アルマグナ卿。
通称『怒』の騎士。現在侯爵位をもつ唯一の将軍らしい。
しかし彼は本来いてはならない場所にいた。
彼はリギィの親衛隊指揮官である。
依頼人がどこの誰なのかで政治的な配慮が変わってくる。
しかし考える必要性はない。
――所詮、俺はこの国を滅ぼすんだ
ざく
馬車から降り立った街は半年ぶりの故郷だった。
「…ろー」
街の雰囲気を感じてか、テータが不安そうに声をかけた。
ここは未だに戦争の面影を残す都市だ。
街の中を武装した兵士が歩き回り、
人々の顔は怯えたような疲れを思わせる表情を浮かべ、
そして緊張感があちこちに残っている。
それもそのはず、まだ臨戦態勢を整えているのだ。
国家間に穿った大きな溝は決して埋められることはなく、
一切の信頼関係を失ったティフィス、リギィ両国は『停戦』協定通り停戦をしているだけの事だった。
こんな所にグレイズが潜んでいるというのか?
そう言う疑念を持ったが彼は口にはしなかった。
「…ねぇってばぁ」
テータはローの腰に腕を回して抱きついている。
彼女の子供っぽい仕草を無視して彼は街を見回した。
首都、とは聞こえが良いが、決してここは住み良い場所ではない。
何故なら、無計画に発展させた住宅地域が無造作に立ち並んでいて路地や暗い場所が多く、
とても人が住むには適さない場所である。
しかし、活気もまた、他の街よりも優れているのは確かだった。
何時戦争状態になってもおかしくないというのに、人々は仕事を続ける。
自分が明日死ぬかも知れないと言うのに、笑顔を浮かべる。
ぎり
彼は歯ぎしりした。
――何なら今すぐ殺してやろうか
頭に浮かんだ考えを振り払って頭を上げた。
テータは彼の様子を見ながら、若干後ろについていた。
どうせすぐ側にいても抱きついても、邪険に扱われるだけだからだ。
「どんなお仕事なの」
それでも思いついた事は口にしなければ気の済まないたちである。
「…いつもの…奴だ」
何度も何度も、経験してきたはずの事だった。
彼は本来殺すべきではない人間を殺しすぎた。
その高い能力を買って、用心棒に彼を雇う人間が現れた事を皮切りに、
彼は裏の世界ではかなり名前を売ることになってしまった。
暗殺。
虐殺。
公開死刑。
彼が『殺戮者』の二つ名を得るにはそれ程時間は必要とはしなかった。
ローの表情を見てテータは下唇を噛んだ。
まずいことを聞いた。彼女は瞬時にそれを悟ったのだ。
「宿、とろうか?」
一瞬の間。テータはそれ以上聞く気になれなくて、でも間を継ぐためにそう聞いた。
ローはゆっくり首を縦に振った。
テータが宿を探しているうちに彼は路地裏に入っていった。
この街には幾つも裏道があり、ギルドがそこに巣くうようにして存在している。
少なくともこの国内であれば、依頼を受けたギルドとの顔つなぎ位はできるだろう。
懐に入れたコインに触れて彼は思った。
数分もしないうちに、人の気配が彼の周囲に現れた。
以前、彼が依頼を受けた時と同じ動きだ。
――変わりばえしないな
ため息をつくような笑みを浮かべると、彼は懐から例のコインを出して右肩の上に差し上げて見せた。
「お前達の依頼を受けた者だ。…この街で情報を買いたい」
しばらく戸惑いのような気配が感じられた。
そして、一人の男が姿を現した。
中肉中背の、変わりばえのしないごく平凡な男。
「…何の情報だ」
「人を捜している。…男の名はグレイズ。このあたりに潜んでいるはずなのだが」
男の眉が吊り上がった。
どうやらこのあたりでは結構有名らしい。
「あのリギィからの全権大使か?さあ、知らんな。
お客人、知っていたとしても言うわけにはいけねぇな」
男は見下ろすような目つきをローに向ける。
「俺達は、あの交渉を見てきた。…少なくともあの男は『鍵』だ。
俺達の国がこれから平和になるかどうかのな」
ローは苦い顔をした。どうやら何らかの交渉のために来ていたらしい。
恐らく停戦協定に関する内容か、これからの平和の為の交渉に来ていたのだろう。
――グレイズ閣下らしい…やり方だ
だが、まだここに潜んでいるには何か理由があるはずだろう。
「なら、一つ答えて貰えないか?
交渉に来たのだとすればなぜまだここにいるんだ?…それも隠れる様な真似をして」
「それは…」
彼が口を開いても、ローは構わず続ける。
「彼がもし国に戻らないのならば…今の状態が続くのならもっと危険な事になる」
その言葉に盗賊は蒼い顔をした。
明らかに押しの足りない交渉だったことに気がついたようだ。
「い、いや…」
困った表情のまま、盗賊はそこで黙り込んだ。ローがもう一押ししようと口を開きかけた時、不意に声が聞こえた。
「虐めるのはやめたまえ。彼らは本当に知らないんですから」
闇。
一瞬彼の視界から一角を切り抜いたような気がした。
そのぐらい黒い、暗い色のローブをまとった男が盗賊の前に姿を現した。
しゃらん
玻璃が重なったような音が聞こえた。
「そもそも、そう言う情報は私が押さえてしまっているので、彼らにすら流れないのですがねぇ」
両目を玻璃の円盤で隠すように、彼は中指でそれを押し上げた。
端正な顔立ちにざんばらに切った艶やかな髪。
鋭い口元に浮かぶ申し分程度の笑み。
「…久しぶりに会ったな」
ローは笑いもせずに呟いた。
ローブの男は逆に、張り付けた仮面のような笑みを浮かべて言った。
「ええ、お久しぶりです、ロー=クリタニカ」
彼は後ろを向くと何か一言二言話して盗賊達を下がらせた。
どうやらこの界隈ではある程度彼の地位はあるらしい。
「…何狐につままれたような表情をしているんです?」
「いや、奴らがお前の言うことを聞くのが…若干」
男――アレフ=リィギネスは口の中でくぐもった笑いをすると、
にっこり口元に笑みを浮かべながら言う。
「今言いませんでしたっけ?
私が情報を握っているということは、彼らでさえ私には手を出せない。
まあ言ってみれば私は彼らに『売り物』を提供する有能な人間ですからね」
奴の端整な顔立ちなら、少々変装するだけでどこにでも入り込み、
情報を仕入れることだって可能だろう。
その上、奴は『呪法師』と呼ばれる自然の力を知る者の一人なのだ。
ローは1年前まで彼と組んでいた。無論、彼の方から近づいてきたのだ。
「…それで?…教えてくれるのか?」
アレフは冷たいまなざしをローに向ける。
「ビジネスならばね」
「お帰り」
聞き慣れた声が彼を呼び止めた。
横から彼に巻き付くような感触を覚えて、彼はそちらを向いた。
路地からでてすぐ、テータは彼の場所を見付けていた。
「いこ」
テータは簡単にそれだけ言うと、道を指さして彼を引っ張った。
ローは黙って、ただそれについていった。
部屋に入った途端、ローは顔を硬直させた。
彼の荷物と、彼女の荷物は並べて部屋の隅に片づけられていて、
部屋も小綺麗な良い部屋だ。
でも、そんなことは別段対した問題ではない。
ベッドは一つだけだ。
「何?どーせベッドで横にならないんでしょ?違う?」
若干怒気の混じった声でテータは彼を見上げた。確かに間違ってはいないが。
「じゃ、いーじゃん@」
テータは自分の身をベッドの上に投げてにっこり笑う。
ローは結局何も言い返せずにただ額を引きつらせるのが関の山だった。
ひとしきりひくつかせた後、彼は腰から剣を外し、
備え付けの椅子を引き出して座る。
こうして同じ部屋に泊まっても、会話があるわけでもない。
ローは黙々と自分の準備をするだけで、
テータはじっとそれを見ているか、ベッドで横になっているのかどちらかだ。
――もー少し、進展させたいよねー
ほとんど人ごとのような感覚で彼女は彼を見つめている。
ローは近づこうとすればする程離れていこうとする。
彼にとってどうしようもなくなって、始めて彼女が動く隙ができるのだ。
「テータ」
みょん
彼女は耳をぴくっと動かして目をくりっと回した。
「はひ?」
急だったせいで舌が回らず、舌っ足らずに返事をする。
ローは眉を顰めて振り返ると、彼女を見つめる。
「明日、一人で仕事に行く。…ついてくるな」
「ぇえ?何で、どーし…」
言いかけて口をつぐんだ。ローは睨み付けて彼女を制していた。
テータが黙り込んだのは、その目つきが敵意や嫌悪といった類ではなかったからだ。
「来るな。足手まといだ。…終わったら、呼んでやる」
躊躇するような表情を浮かべていたが、ため息をついて両拳を顎に当てて上目遣いにローを見返す。
「やっとボクを認めてくれるんだね?」
ローは冷たい――と言うよりは呆れた――表情で彼女を見下ろすと、ふんと鼻で笑って顔を背けた。
――ま、よしとしましょー!
それでもテータは非常にご機嫌な笑みを浮かべて彼の背中を見つめ続けた。
アレフは彼を、路地奥にある小屋へと誘い入れた。
見た目はただのおんぼろ小屋だが、内装は非常にしっかり作り込んであり、
決して人が住めないような小屋ではない事に気がつく。
「術でカモフラージュをかけているのか」
アレフは背中で笑うと、いつもの張り付けたような笑みを背中のローに向ける。
「残念ですが少々違いますよ。内装は全く別の場所なのです。
私が『鍵』を使わない限り、この部屋には入れないようになっているんですよ」
彼は振り向いて御辞儀した。
礼儀正しいようで、彼は恐ろしく慇懃無礼なところがある。
それも別に彼自身が意識してやっている訳ではないので尚のこと無礼と強く感じさせるのだ。
「…さて、彼の居場所でしたね」
彼はそのまま仕事用の椅子を引き出して、上に水晶が置かれた机に腕を置いて座る。
こうしてみればまるで占術師のようでもある。
「何が望みだ?」
ローの言葉にうつむきながら目を閉じ、ゆっくり右手を横に振った。
「…今回は、少々趣が違います。仕事の後で私の言うことを聞いて貰えればそれで幸いです」
「貴様が俺に何をさせるつもりなんだ?」
彼の強い口調にも微塵にも乱れはない。アレフは仮面の様な表情を崩すことはない。
「いいえ、簡単な頼まれごとでですね。私が望んでいるわけではないのです」
ローは口の中で毒づいた。
――こいつ、偶然を装って出てきやがって、初めからそれが望みか
だがここで彼を敵に回すのは得策ではない。
「…分かった…良いだろう」
彼の言葉を聞いた瞬間、アレフの口元が鋭く笑みを作った。
あの笑みを見るたび嫌な思いをする。
しかし、彼の情報ほど確かなものはない。
――ええ、そうです。この街の『裏通り』にある、「黒船」と言う名の宿ですよ
言われたまま黒船を探して数分、彼は簡単にその宿を見付けた。
だが、どうしても釈然としなかった。
アレフの笑みは彼の掌にあって全てが動くときの笑みだ。
自分の思い通りに動いた瞬間に見せる愉悦の笑みだ。
彼が何を考えているのか分からないため、尚それが強く感じられる。
――奴の掌の上?
しかし、もうここに来てしまった、奴の情報で。
ぎぃいいい
きしんだ音を立てて古びた木製の扉が開く。
手入れの行き届いていないカウンター。
壁の染み、ひび、壁の修繕の痕。
今まで彼が泊まっていたような宿だ。
カウンターの向こうにいる親父はちらと一瞥しただけで、何も言わない。
彼はそのままゆっくり見回して、一階にいる人間を調べた。
「親父、冷たい飲み物をくれ」
カウンターに座って簡単に注文する。
無愛想に彼を睨むと、しばらくして彼の前にグラスが置かれた。
泡が周囲を伝ってカウンターに跡を作る。
少なくとも、目に付く場所には彼はいない。
食事時でもないので、酒場権食堂のここにはあまり人はいない。
――部屋にひきこもっているのか?
相手は逃亡者である。
部屋に隠れているだけなど、全くの無意味だ。
普通、宿は朝のうちに引き払い、さっさとこんな場所から引き上げるだろう。
彼は少しの間思案を巡らせていた。
今現在逃げる手段がなく、四方八方囲まれている状態で逃亡する場合。
――恐らく、絶対的なものがなければ『穴』を探すのが最も適当だ
しかしもし十分に顔が知れている場合や有名な人物であれば、
自分で出ていくような真似はないだろう。
それでは自分の首を絞めるようなものだ。
――ここに隠れている…のか?
勘が否定する。ここにはいないと。
ローはどうしても足下がむずむずして仕方がなくなる。
まだいくらか残っている果汁を一気に飲み干すと、彼はカウンターから立ち上がった。
その時。
がたん、と軽い木製の音を立てて一人の男が立ち上がった。
ローはそちらを一瞥はするが、グレイズではない。
だが男が立ち上がったのには理由があった。
「聞きたいことがある」
馬鹿でっかい声で、宿の入り口から声をかける者がいた。
非常識なことにその男は完全武装をした鎧武者で、片手には抜き身の剣が握られていた。
「ここに、もぐりの伝令屋がいると聞いた。少々確認させて貰う」
どかどかと何人もの屈強な男が現れて、
まるで入り口を塞ぐようにして中にいる人間を片っ端から改め始めた。
一瞬ローと目があったものもいたが、相手を認識したのか逆に怯えた色を浮かべて目を背けた。
しばらくしないうちに壁越しに悲鳴が上がる。
どうやら裏口に構えていたものに捉えられたらしい。
「どけ」
興味のないローは入り口を塞ぐ男にこともなげに言った。
面頬を下げているために表情は分からなかったが、明らかな怒りの色が見えた。
「死にたければそれでも構わん」
つう、と鋭く目を細めた。
それと同時に心の中が騒ぐのが分かった。
ある程度までならば自分の意志で力は制御できる。
男は目に見えて後ろへ下がった。
勿論それは無意識の事で、彼の脇腹でばね仕掛けの扉が何度か叩くのを不思議そうに見つめている。
ああ、俺は後ろに下がったんだ。
それを理解した途端、今度は意識的に後ろへ下がった。
ローがさらに一歩進めたからだ。
「おっと」
その時、鎧の男の後ろに誰かがぶつかった。
が、男がその人影を確認するよりも早く、店の中から声が上がった。
「捕まえたぞ!」
鎧の男は我に返ったかのように声の方へ進んだ。
それはまるで逃げるようだったと言うべきだろう。
だがローは鎧の男を無視して店の外へ出た。
人影はすぐに路地裏へと姿を隠す。
ローも路地裏へと身を躍らせる。
すると、人影は丁度背を向けて歩いていた。
「…余裕のある歩き方ですね」
男は足を止めてゆっくり振り返った。
髭を蓄えた、やつれた男。
しかし、その強い双眸に彼は見覚えがある。
向こうの男の方も、怪訝そうに一瞬顔を歪め、睨み付けるようにローを一瞥した。
「殺戮者…なら、俺を殺しに来たか」
決して揺るぐことのない信念が彼を支えるように、彼は堂々としている。
ローはしばらく声もなく佇んでいる。
そして、苦々しく口元を歪め、吐き捨てるような言い方で呟いた。
「…ああ」
ローの答えを聞いて、彼は大きく腕を振った。
すると、手元に短剣が現れる。
「ただでは殺されるわけにはいかん。…お前の腕も、知らないわけではないからな」
そう言うと両手で短剣を構える。
ローは睨み付けるように剣を構えて、一呼吸した。
ゆっくり空気が流れ、音が後ろへと退いていく。
張りつめた気が刃を伝い、なめるように光が剣の上を走る。
空気が頬を触れた。
「どうした?」
グレイズは一言、それだけ言った。
「何故、ここに」
口元だけを歪めて、短剣を軽く握りなおした。
かちゃんという澄んだ金属音がローの耳にも届いた。
「ふん、ただ…ただこの国が滅びるのが嫌だっただけだ」
「自分の国は滅びを迎えようとしているのに係わらず、ですか」
「知ったことか。
…いや、この国が残っていれば、我が国の領土はこの国のものになるのか」
自分でそう言いながら、ゆっくり口元を吊り上げる。
「いい気味だ」
どん
空気が爆発したような感じだった。
ローが最後の言葉と同時に踏み込んだ時、
ほとんどそれを読んでいた動きで一気にローの後ろにグレイズは回り込んだ。
勢い良く振り回した脚は、しかしローが構えていた剣により阻まれる。
「何故!」
身を翻して、間合いを開けないようそのまま真横に剣で凪ぎ払う。
今度は甲高い音がして、間合いが大きく広がった。
「何故自国の事をそうまで言うのですか!貴方は!…愛国心と言えるものの欠片すらないのですか?
貴方は軍人、それも…将軍ではないですか!」
「ふざけるな」
目つきが、先程よりも凄みのあるものに変わる。
眉の間に皺が深く刻まれると『怒』の騎士と呼ばれた猛将は片手で短剣をローにつきだした。
「国の安全を全く考えない、国民を考えない、
国を守るよりも自らの利益を優先するような『軍隊』なぞこちらから願い下げだ。
最も、今回は…俺が邪魔な奴らにはめられたようだが」
そう言うともう一度両手で剣を構えた。
「こうして『国の安全と存続』を守る義務が果たせそうな機会が訪れたのだ。神に感謝しよう」
今度はグレイズが踏み込んだ。
いや。
――!
今度は大きく退いて巨大な剣を振りかぶった。
右腕に僅かな痛みを感じた。
グレイズの攻撃が彼の腕をかすめたのだ。
そのまま、彼はローの目の前で背中をさらけ出している。
一閃。
グレイズの背中に真横に一本の線が走り、そこから紅い鮮血が吹き出す。
その出血量は、数秒で十分に絶命するだけの量だった。
びっ
片手で、彼は剣を大きく振った。
ただそれだけで磨き上げたような刀身が蘇った。
刃こぼれすらしない剣を彼は鞘に収めると、死体に背を向けた。