戻る

魔王の世界征服日記
第11話戦略と戦術


 『人間兵器』フユ准将の使う言霊は、世界でもまれに見る戦略級言霊の使い手。
 彼女が術を行使すれば、街を一つ消し飛ばすことぐらいは造作もない。
 いや、そのための準備には材料をそろえたり術を組んだり、街中に設定をしたりと1年以上の時間をかけた準備が必要となるが──その術が持つエネルギーを操作できるのは彼女だけだ。
 そして、その力により消失させることのできるのは、およそ100万人分の人間。
 とんでもない術。そんなものを個人で所有しているのだから、それは国家的脅威であり、また普通の人々からは奇異の──そしてもしかすると、恐怖と畏怖の眼差しで見られることだろう。
 覚えていないかもしれない。
 彼女がナラクを撃った時、彼女を非難していた人間のことを。
 しかしそれは致し方ないこと。
 わかりやすく言うならば、彼女の意志に核爆弾のスイッチがゆだねられているのだとしたら。
 しかも、味方を巻き込むことを躊躇しないとしたら。

 アキにとっては、大事な妹に違いない。
 彼女さえいれば、ユーカがいなくても戦略的になんら問題はない。
 しかし強力すぎる言霊が存在することはどの国でも判っていることであり、現状恐るべきはキョート帝国第2師団言霊(げんれい)連隊、こちらでいう『魔術兵団』だろう。
 ぎゅっとだきしめられたフユは、しかしそんなことを考えていなかった。
 抱きしめられるままに、抵抗もせずじっとしていた。
「姉さん」
 もちろん、アキがこんなことをするなんてのは珍しい。
 普段自分が(とはいえキリエの目が怖いのだが)してる分には気づいていなかった。
「ん?」
「……はずかしいからやめてください」
 アキが真横からのぞき込むようにしてうつむいた彼女を見ると、髪の隙間から見える頬がまっかっかになっている。
「かわいい♪」
「やめてください」
 自分の頬を彼女の貌に押しつけるようにしてぎゅっとだきしめると、アキは彼女を解放した。
 そして自分の机に戻って、にこっとフユを見つめて笑う。
 フユはまだ頬を上気させてて、アキをにらみつけている。
「不愉快です」
「〜♪」
 ぶすっとむくれて、フユは仕事を再開する。
 もちろんアキは、彼女のそんな様子をうれしそうに見つめている。
「わたしは、みーちゃんがみーちゃんらしくしてくれていて」
 聞いていないふり。
「できれば、幸せになってもらいたいな〜って思ってるの。……魔物を倒す術が、人間を斃す術になってほしくない。そんなみーちゃんになってほしくないだけだから」
「あ」
 人間と人間が争う世界。
 その昔、戦争で人を殺した数が勲章になっていた時代もあったという。
 実際、シコクの軍隊というのが強力過ぎたせいもあり、各国とも軍事競争とともに激しい戦争を繰り返したと言われている。
 そんな中では、敵国の『死神』は味方の『英雄』と表現されるのがしばしばだったのだから。
「でも」
 そう、実際に味方を巻き込み幾人も既に死人をだしている。
 フユは眉を寄せた。知らないヒトが見たらたぶんいらいらしているようにも見えただろう。
「私はもう……それに、私の力は攻めるよりも守るのに適していると思います」
 うんうん、とアキはうなずき、右手の人差し指をびしりとフユに突き出す。
 ふに。
 フユは抵抗もせず左ほほに突き立てられるがままにする。
 ふにふにふに。
「自分の実力が出せなくなるのがつらい?」
 ふに。
 ちょっと指先の感触が堅くなった。
 こうして彼女の頬にふれていると、フユがふるえるのが判る。
「判るわ。だからしばらく、みーちゃんは防衛ラインを形成してちょうだい。もちろん、わたしが何を言っているかは判るよね?」
 にっこり。
 はし。
 フユは、しつこく自分の頬をふにふにするアキの指を、自分の左手で捕まえて離す。
 今アキが言った内容は、フユにはすぐ判った。
 前線に出ないで、大事に後衛で守られるフユが、その力を使った防衛ラインを構築する。
 それは『自爆用』の最終兵器を準備する、ということに他ならない。
「……判りました」
 アキの右手を握るフユの力は、思いの外優しかった。

「ふぅん」
 ここはサッポロ防衛軍司令部の程なく近くにある、小さな喫茶店。
 客入りは微妙だが、アキは司令室を抜け出して時々お茶に来る。
 『純和風喫茶 紫』は、アキのお気に入りのお忍びスポットなので、ファンが盗撮に現れるという噂もある。
 本気で。
「それじゃ、ユーカさんは今アキハバラ自治区ですか」
 きゅいっとコップを拭いて棚に直す、カウンターにいる女性。
 長い黒い髪を優雅に揺らして、優しそうな笑みをたたえている。
「そーなの」
 応えるアキは、両手でこれまた大きなゆのみを抱えている。
 手元にあるお茶請けは、水ようかん。
 ゆのみからあがる湯気を楽しむように、アキはにこにこしている。
「わざわざありがとうございます」
「いえいえ。うちの人たちがお世話になったヒトに、このぐらいはあたりまえですから」
 そう言って小首をかしげる彼女を、紫の店主である彼女、ウィッシュは仮面のような笑みで眺める。
 もちろんウィッシュ自身は魔物だし、アキもそれは知っている。
 ユーカがこの店を教えてくれた、というよりは聞き出したと言うべきだろう。
 そして今では、司令部に行く用事があるたび、ここに寄り道して言っているというわけだ。
「アキさんは、ユーカさんからの伝言だけでこちらに?」
「いえ、仕事ですよ仕事。司令官なんてつまらない仕事ですけどねー」
 あははー、と明るく笑い飛ばす。
 威厳もへったくれもあったもんじゃない。
 でも、彼女はこれでもトマコマイ防衛隊にいる総勢1個師団クラスの軍団の長である。
「そうですか」
 と、ウィッシュはカウンターの方にある釜と、その火加減に目を走らせる。
 ここでは純和風ということで、思いっきり薪をつかって火をおこしている。
 もちろんそれをわたわたやったり灰の始末や換気をしているのは小間使いの魔物と、細かな彼女の錬金術。
 そしてカウンターには貌を出していないが、この店には同居人としてヴィッツがいる。
 普段はウェイトレスだ。今は裏でいねむりしている。
「『錬金術に興味がある』訳では、ないですよね」
 そのままつい、っと流し目をアキに向ける。
 にこにこ。
 アキは、やっぱり顔色一つ変えず、にこにこと笑い続けている。
「あちゃー、その台詞、もしかしてユーカここに寄ったのかしら」
 そして、わずかに眉を寄せて首をかしげて見せる。
「ええ」
 おかしそうにくすりと小さく笑い、ウィッシュは人なつっこい笑みをたたえて見せた。
「直球勝負のできない方だから、気をつけなさい、って忠告をいただきましたよ」
 頭の上にくしゃくしゃの線をとばして、むううとうなるアキ。
「何よ、ユーカったらひどいわね。既に私の外堀は埋められてるって訳ね」
「ええ、内堀を埋めるのは難しいとは言われましたから、こちらから直接石橋をかけて差し上げましょうか」
 腕を組んで背を壁に預け、様子をうかがうようにアキを見つめるウィッシュ。
「あなたは、魔物の力を借りてまで何をするおつもり?」
 アキの口元が、きりっと締まり。
 にやり、と笑みをたたえた。


Top Next Back index Library top