魔王の世界征服日記
第1話10年後
ちゅん、ちゅんと小鳥の鳴く声がする。
地面から立ち上る朝靄とともに、喧噪と煮炊きの煙が上がり始める町並み。
人間の営みがそこにあり、間違いなく人々がそこで会話を交わし、様々な交わりを続ける。
出会いであり、別れであり、そして権利の主張があり、奪い合いがあり、それこそが人生なのだ。
しかし考えて欲しい。
果たしてそれは、なんなのだろうか。
何も変わりない世界の中で、ヒトはやがて争いを憶えた。
まるで誰かにそれを教わったかのように、彼らはただひたすら争いを始めた。
もっと豊かになりたい。
もっと幸せになりたい。
単純かついい加減なその考え方は、それは、ヒトの根源にあるのだろうか。
自己の正当化と見返りで与えられる快楽は、ただそれに溺れる為だけにまるで――存在しているかのように。
全てを正当化しているかのように。
彼(か)のモノは、それをうらやましいと感じた。
彼(彼女)にはない感情だった。
そういう風に自分の感情を正当化し、全てを棄てることができるなど――彼の物にはない。
しかしそれが、彼の存在意義だった。
有り得ない事。有り得ないモノ。そしてそんな、一つの結晶を、『消去』するには一つの必然が必要だ。
それが、『納得』だった。
――まだ納得できない
だから一つの――そう、事件が幕を開けようとしているのだった。
この平和な世界――マハ=ウェースを襲う怖ろしい出来事が。
朝食はご飯とみそ汁。
作ったのは珍しくフユ。
「……」
何故か顔をつきあわせている3姉妹とナオ。
いや、一応つか間違いなく血縁だし。一番年下の弟であるが。
しかし、さらに一名、血縁じゃない人が混じっているんだが。
「ねえフユ?これは何のみそ汁なのよ」
ようやく家に帰ってきたナツは目の前に置かれた椀をジト目で眺める。
『敗走将軍』は、追いかけてくる全てがいなくなってしばらくすると、夫と彼女に言われた男を連れて帰ってきた。
全くいい加減な姉である。
いい加減ではあったが、やっぱりフユの姉であることは間違いなく。
「茄子です。私は好きです」
茄子。取りあえず紫色の皮をそいで、薄く刻んでみそ汁に入れた。
「皮がないから、芋の茎にも似てるけど」
「似てるけどって、そのまんまじゃないの」
だがナツには不評のようだった。
ちなみに芋の茎というのは、タロイモの茎である。
皮を剥いて灰汁取りしてから調理する。
みそ汁というのは基本の路線である。茄子と比べると繊維がしっかりしているので、違いは見た目と食感だ。
味は……味噌次第だが基本的にあまり変わらない。
しかし大きいのは値段である。芋の茎はほぼただ同然の値段で取引される。
「ナツ姉、何目尻吊り上げてるんだよ」
ばくばく。
ナオは変わらず飯をかき込み、漬け物にぱくつき、ずぞぞとみそ汁を飲む。
気にしていない。
おいしいのは確かなのだろう、おかわりをしているのだから。まあ、彼のそんな態度がうまそうかどうかはすこし。
ほんの少しだけ、疑問であるが。
「こんなにうまいのに」
ばくばく。
「別に良いですよ、ナツ姉さん。食べたくなければ食べないでも」
そしてもちろん、フユはナオがごまんえつであれば既に満足なのである。
実は、ナツとフユは妙に対立する。朝食だけではないのだ。
姉妹の中ではかなり仲が悪い。理由は結構不明。
顔をつき合わせれば常にこんな感じなのだ。
――うふふ。ナオちゃんも大分慣れてきたみたいね
彼の様子に妙にご満悦なのはアキ。
最初はかなりぴりぴりしていたというのに。
「お姉さん、少しは、せめて食事時ぐらいは矛を収めてください」
『それはどっちに言っているの?』
「はうぅ」
息のあった反撃を食らい身をちぢこませるのはキリエ。今では彼女も『ミマオウ』に所属し、晴れて『ミマオウ=キリエ』を名乗っている。
少しだけ説明しよう。この世界は女系世界である。
結婚した場合、通常名前は変わらない。もう少し突っ込んで言うと、家族という概念はあくまで『母』の力の顕現であると言える。
もっと言うと、ようは『だいこくばしら』がどう考えてるかが、そして互いの母の立場と力の差がそのまま現れる。
ぶっちゃけ、キリエはカキツバタ姓のままで良かったんだけど。
カキツバタとミマオウでは、まあごらんの通りもーそりゃー力の差は歴然でして。
「ナツ姉。フユ姉」
殆ど名前を呼んだだけで二人の姉の視線を逸らせると、彼女を庇うようにちら、ちらと二人に視線を送る。
「二人に決まってるじゃん」
ばくばく。
――うふふー、やっぱりキリエちゃんの御陰だね
この十年で一番変わったのは、結局人間関係だけだった。
キリエとナオはまあよていどおり結婚して今この状況である。
ちなみにフユだけが独身。
嫌われ者の末路と言うヤツである。
結構悲惨だ。何故なら、愛を注いでいたはずのナオはキリエ(同い年だけど二つ年下)に取られたし。
帰ってきたナツは、男を抱き込んでたし(実はまだ公認ではない)。
「ともかくすぐ行こう。どうせ今日も訓練はきついんだからな」
「あ、ああ」
ごちそうさま、と両手を合わせると二人は席を立つ。
キリエが席を立って、フユとナツは再びにらみ合う。
「ああもう、いい加減になさい。私たちも行くわよ」
魔王軍がいなくなって10年という歳月の中、ふくれあがった軍事力は『余裕』という名前の欲望を生み出した。
長きにわたりトマコマイで防衛してきたサッポロ防衛軍対魔軍は、そのままトマコマイ防衛隊と名前を変えて砦を築いていた。
居はサッポロにあるのだが。
敵は――魔物から人間に変わった。
版図を広げるという非常に人間らしい欲望が、結果として不毛の地であるサッポロにさえ手を伸ばしてきたというべきだろうか。
今まで人と人での争いというのはありえなかった。
そんな暇などなかったからだ。しかし、魔物の消失はそれらの防波堤をいとも簡単に崩す結果となった。
疑心暗鬼に駆られて『先手必勝』とばかりに攻撃をした国もあれば、着々と準備を進めて政治だけで国を吸収したところもある。
そんな中、サッポロは以前のままの姿を保ち続けていた。
ただ、防衛ラインだけは完全に整備していた。
「なくなると思ったのにね」
だから、何回もそう思った。
魔物がいなくなり、平和になったのだから、軍隊はなくなるものだと。
キリエにとってはソレはごく当たり前の考え方だった。
「何度も言うよな」
ナオはだから、彼女のその言葉には必ず否定を返す。
「なくなるわけないじゃん。魔物がでる前、その昔シコクにいつ攻められるかとみんな必死に軍隊を強化してたらしいのに」
魔物がいなくなったら隣人。
それはある意味滑稽でもあった。
もっともサッポロはシコクからは離れているために、彼らの影響を受けにくかったのもある。
ついでに言えば、シコクは最初魔王に滅ぼされてから向こう、今まで国としての体裁を整えておらず過去の脅威ほども脅威とはいえない。
だがそれだけに、周辺諸国の小競り合いは決して楽な物ではない。
「なんでかな」
「何でだろうな」
そういう二人も軍隊に所属し、防衛隊として週一回ペースで最前線の監視任務に就く。
普段はそのための訓練を行っているのだ。
朝、食事を終えて出勤する防衛軍訓練場。
彼らの家から歩いて数分の距離にある。まあ、司令官と将軍が一緒に住んでいるんだから当たり前といえば当たり前。
結婚した二人は結局実家に住んで実家から通っているのだ。
「ふふん、お二人さん、お久しぶりだ」
だから訓練場前で両手に腰を当てて待ちかまえていた女性の姿を見るのは多分――
「十年ぶりだな」
ナオの答えに口元をゆがめたユーカ。
彼女はサッポロ防衛軍司令部で顧問魔術師として仕事をしている。
だから訓練場より司令部にいる時間が長く、こうして同じ所属である割にはほとんど顔を合わさないということもしばしばなのだ。
もっともそれはアキたちと同じなのだが……まあ、姉弟で同じ家に住んでいるからよく顔を合わせるのだ。
フユのように直接上司として出張っていなければそんなものなのである。特に裏方であるユーカのような立場では。
「そうか、もうそんなになったのか」
目を丸くすると、感心したように応え、ユーカは口元をゆがめた。
そして目をついと細めると、彼女は意外な質問をした。
「ミチノリは元気か?まだこっちに来てるのだろう?」