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魔王の世界征服日記
第1話『魔王』まお


 ここはとある、まあよくあるふぁんたぢぃな世界。
 和製えせふぁんたぢぃRPGな世界観だ。
「はぁ」
 背中姿。
 ため息に合わせて大きく肩が上下した。
 大きな黒い執務机に、黒檀の巨大な椅子。そう、玉座とも言うべきものだ。
 黒い牛革張りにした内側に羽毛のクッションが埋め込まれている、立派なソファである。
 そしてその両脇には、さしたる意味もなく、竜を象った御影石の彫刻が飾られている。

  こり、こりっ

 首を左右に曲げて、とんとんと肩を叩く。
 年の頃は十代前半と言ったところか。
 少女が、その椅子に座ってなにやら書類を書いていた。
 ……良くある、ちょっと薄手のドレスで。
 ふぁんたぢぃな世界観では、あまり季節感がない物が多い。
 理由は簡単。非常に乾燥した空気であり、初夏の爽やかさが永遠に続く世界だから。
 それでも北や南の果てに行けば万年雪があるし、ここでは時間ではなく場所で季節が変わる物なのだ。
「疲れたなー」
 うーん、と伸びをして言う少女。
「まじー。まじー、ジュースちょうだい。冷たい奴」
 へばった貌で草臥れたような声を出して、机に突っ伏しながら呼ぶ。
「陛下、私の名前はマジェストです。第一、冷たいジュースなんかありません」
 脇に控えていた、ローブのような物を着た優男が言った。
 よく見れば短い髪に丸眼鏡、糸目の美青年である。ちょっと色白過ぎるが。
 彼の名前はマジェスト=スマート。『魔王まお』の執事兼全軍団参謀である。

 そう、彼女、まおは世界を征服しようとしている魔王だったのだ。
 決してちちくさいちんまいガキではなかったのだ。

「え゛ー」
 前言撤回。
 唯のがきである。
 ふてくされた声で非難して、まおはジト目をマジェストに向ける。
「あれは北の果てのサッポロにしかありません」
「ね、ぢゃあサッポロに城を変えてよ」
「それは伝承により不可能です。魔王陛下の魔城は岩山か海中か火の山と決まっているのです」
 むすーっと魔王の貌がふくれる。
 こうしていると本当に唯の子供にしか見えないが、既に二百年以上生きた存在である。
 長寿なのではなく、死なないのだ。
 死ねない存在は、その精神が疲弊するのを防ぐために強力な忘却能力を備えている。
 それも、自発的に使用することが出来る。
 そのせいで性格は非常に幼いままに固定されてしまう事が殆どだ。
 これは学習能力がないという訳ではなく、『自我意識』と『肉体』が完全に別個に独立して存在できると、そう言うわけなのだ。
「だったら何とかしなさいよ。というか、何で世界を征服しようとしている魔王が、こんな目に遭わないといけないのよぉ」
 全くもってその通りだ。
「世界を征服しようとしている魔王だからです」
 こともなげにマジェストは言う。
「いいですか陛下。何百年も言い続けていますが、陛下は世界を征服しなければならないんです」
 直立不動のまま、困ったように眉を寄せて中指で眼鏡を押し上げる。
「世界を征服しない魔王はこの世に存在できません」
「……私の意志はないのぉ」
「ありません」
 だくだくと両目から涙を流して両手をばたんばたんと振り回すまお。
「え゛ー。なんでー。なんでよー。もうあきたよー」
 昔々。散々人間どもを蹴散らして遊び、蹴散らす軍団を作って遊び、全世界を恐怖のどん底に叩き込んで、勇者に倒されたはずの魔王。
 伝承に残る魔王。
 もし伝承と違う点があるとすれば、その外観だろう。

 よく考えて貰いたい。
 魔王の伝承が残っているということは、それが歴史的事実だったとして。
 メディアが発達しない世界ではこの手合いは通常口伝である。
 口伝というのは歪められる物だ。
 たとえ、それが命がけだったり人死にが出るような事であったとしても。
 通常、それは「真実とは違う形で伝承されてしまう」。
 魔王は残虐でも、暴虐でも、冷酷でも、まして世界征服を企んですらいなかった。
 彼女の望みはたった一杯の冷たいジュースで、遊べないことに不満を漏らす女の子だった。

「あーあ、昔は良かったなぁ。何でも思い通りにできたし」
「わがままを止めるヒトが居なかったのも事実です。あのまま放置していたら人間なんか居なくなってしまいます」
 じろ、とマジェストを睨み付けるまお。
「何。あんなゴキブリみたいな連中、滅びる訳ないじゃないの」
「陛下。陛下がそのような事を仰るから、我が軍団は士気が上がらないのです」
 マジェストの中指が再び眼鏡に伸びる。
 お説教モードに入るスイッチのようなものなのだ。
「良いですか。陛下は世界を征服しなければならないのです。軍団の初期設定が世界征服ですから」
 組織という物は必ず目的と方向性がなければ空中分解するように出来ている。
 意志のない人形がそろっていたとしてもこれは同じ。
 今度は『組織』という形がなくなってしまう。
「人間が弱くてはいけませんから、バランスを考慮した軍団設定にしておりますが、基本的に負けることはありませんが」
「判ってるけどぉ。……私に自由はないの?」
「ありません。伝承のとおりここにおられないと困ります」
 にや。
「陛下」
「こまるんだー。ふーん、困るのかぁ」
「一番困るのはあなたですが。勇者がいつ来るか判らないんですから」
 う。
「…うー……」
 いじいじ。
「でもさぁ。私魔王なんだよ?」
「ええ。だからです。休憩を終えてさっさと書類にサインを走らせてください。次の目標はサッポロですから」
 まおは自分の机の上にある書類に目を通す。

 『サッポロ攻略計画1 温泉とアイスクリーム強奪作戦』

「むきーっっっ!なんで部下ばっかりおいしい目にあって、私はここで書類にサインなんかしなきゃいけないのよ!理不尽だ!」
「それが世界を征服する魔王の仕事だからです」

 魔王まお。地下の牢獄で彼女の看板をしょった軍団の罰総てを一手に引き受けるための生贄だった。


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