第3回 除霊と降霊
仮説1 催眠術
それとしらず彼らが催眠術を行使している可能性。
仮説2 『魔術』
霊視の方法により、どの系統の魔術を行使しているかは概ね判る。
このコラムは決して真実が書かれているとは限りません。
論理的に『魔術的に』考慮した、『主任魔導師』の語る講義の一つであります。
これは我が精霊学院の講義の一つであり、また一つの形であります。
尚質問、批判等意見は受け付けます。
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有名な霊視などできる人間を『霊能力者』というが、私は彼らを『魔術師』と呼びたい。
以外に知られていない事だが、魔術概念は以外に広くをカバーできる。
正確には、魔術がそれだけ論理的でいかに世のオカルトと呼べる物が『あまりにも不自然か』がよく判る。
霊能力者とは、自らが感じる物、肉体的に理解した物を非常に日本に多く存在する『霊能力者』たちの言葉や考え方を利用して、我々と話をする。
すると日本人は『霊』がいかにも存在するかのように思い、『霊』と呼ばれる存在がいるのがさも当たり前のように感じるだろう。
彼らは特殊な能力を持った人物達であり、それらが多くいるのだから多分いるんじゃないだろうか。
そんな思考過程を踏む。
実はそんなもの存在しないとしたら。
少し大胆と思われる仮定を、ここで発表してみたい。
実は降霊術も除霊もこれだけで説明ができてしまう。
被術者(被施術者)は通常トランス状態に陥る。
もしくは『半意識不明』状態である事の方が多い。
自分自身の場合はトランスし、他者にかける場合は通常後者だろう。
これは両方とも『意志』の抑制をぎりぎりまで削り落とす精神集中にも似ている。
集中のあまりトランスする、また呼びかけに素直に応じやすい『眠りかけの状況』を利用するのはどちらも大差ない。
トランス状態では催眠術とは言えないかも知れない。
この点に関する限りでは魔術に近いだろう。
それについては後述しよう。
ここでは催眠術に視点を当てる事とする。
具体的に除霊では、『霊に取り憑かれている』という人が来る。
そして呪文等でこれら霊を取り除く、というのが彼らの言う除霊である。
実際に霊が存在し、それらと交渉する技術があるのならこれは真実である。
だがもしそう思いこまされているとしたらどうだろう?
私は霊に取り憑かれていると『思いこんだ』患者が何人かいるとする。
この際、原因は考えない。
この『思いこみ』により霊障が発生している(特に肉体的被害)。
霊障は自分で自分を傷つける行為であるが、果たして自分であると理解していない。
だから催眠術により『悪さをしている霊』としてその意識を浮かび上がらせて『成仏』させる。
思いこみを肯定し地道に説得するという手段はまさに『催眠術』と同じ要領である。
名前やその他で占ったり霊視したりする術者は『基本的に言霊系統』である。
日本人で有名な術者や最も強力な術を行使できるのは大体彼らである。
幽霊が見える、ここは地場(磁場?)が悪い等視覚的肉体的に見る『体感系統』は、さらに原理的な魔術に近い。
原理的なとわざわざ明記したのは、それら『体感的な状況』を『言葉』や『音楽』で再現する方法を記した『魔術』とは同じだが違うからだ。
魔術は自分の感情を自由にコントロールし、望む精神状態を発生させる手段として『言葉』や『音楽』や『図形による視覚的刺激』を用いる。
それらの助けを用いないで全く同じ効果を生むから、『原理的』なのである。
ここで少し考えてもらいたいのは、これら魔術というものは全て人間の精神、特に感情によるものが大きいということだ。
そしてそう言う『意志から離れた感情』が魔術の原動力であり、最も根源であるとも言えるだろう。
それは人間という存在が『意志』ではなく『意志によりある程度統括できる精神と、制御しなければ暴走する可能性のある肉体』の混合体であるという考えから産まれる。
この『意志』以外の自分は、やはり古い心理学では『無意識の自己』と呼ばれる物にあたる。
現在では否定されているが魔術を考察するにはどうしても必要になる。
なぜ否定されたのか――無意識下でつながる人類を否定したのか。
実際には語られているように、無意識下で『つながっている』訳でも、共有している訳でもまして先祖の記憶を継承している訳でもない。
次章、最終回でこの辺りを完全にまとめて説明したいと思う。
古くは否定されながら、魔術という姿から考えるならばどうしても必要になるその現象を。