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心霊現象

※注意
 このコラムは決して真実が書かれているとは限りません。
 論理的に『魔術的に』考慮した、『主任魔導師』の語る講義の一つであります。
 これは我が精霊学院の講義の一つであり、また一つの形であります。
 尚質問、批判等意見は受け付けます。
 メール、BBS、毒電波等でお願いします。

第1回 心霊写真


夏の風物詩とも言える心霊現象。
 そんな中でも、よくテレビなんかで話題になる『心霊写真』。
 この心霊写真は何故写真に捉えられるのだろうか。

 少し話が違うかも知れないが『Rods』をご存じだろうか?
 フライングフィッシュとか様々な名前で呼ばれビデオ撮影のできる謎の生命体だ。
 何故ビデオ撮影されるのか――なのに何故目で見えないのか。
 写真なら判るが――?本当にそうだろうか。
 この話題はまさに、心霊(写真)は撮る事ができるが(心霊は)見る事ができないと同じではないだろうか。
 では逆に心霊はビデオ撮影できるのだろうか。
 答えは、不明である。
 残念ながら私には説明できない。
 だが写真に捉えられるのなら、恐らく(喩え理解不能であっても)可能だろう。
 ビデオとカメラの違いは一つだけ。
 連続的に撮影し連続的に『再生』させる事ができるか否か。
 心霊現象というものがカメラに『まれに』捉えられるというのは、その現象が瞬間的に近い形だからではないか。
 これは捉える事ができるという前提を覆さないことから考えている。それについては後回しにしよう。
  仮説1 それは瞬間的な現象である

 カメラで常に捉える事ができてもビデオ撮影はできない――そうではない。
 瞬間的に(コマ送りにでもしてみれば)一コマぐらい撮影されているかも知れない。
 これに対して人間の目は実は『瞬間を捉える事はできない』のだ。
 『これは影だったり偶然だったりするんだ!』と主張する前に、そういう可能性をむしろ考えるべきではないだろうか。
 決して矛盾ではないはずだ。怖ろしく早く走る車を、首を固定して『認識』できるだろうか?
 映画のあるシーンの六十分の一コマに文字を入れたところで、その文字を認識できるだろうか?
 一つはそういう可能性である。
 人間の目に捉えられない程瞬間的な出来事である、という事だ。

  仮説2 それはカメラを通して初めて現実化する

 カメラがある一瞬の出来事を捉える事は既に述べた。
 だが、『心霊写真』はその写真を所持するだけではなく、それを撮影した人間や『それと知らずとも』所持する人間に対して何らかの影響を与える。
 ということは、カメラがネガに対しレンズを通した光を感光する際、何らかの手段で刻み込む意志の形なのかも知れない。
 これは言霊やフサルクなどに言える『形や姿に意味と力がある』という概念的なものに他ならない。
 非常に古くさい考え方だ。
 無論、それを古いと言い切れないのはご存じだろうか。
 魔術と呼ばれる物は精神的に働きかける事で、その効果を直に発揮する。
 だからそれを見た物に何らかの身体的影響を与える可能性がある『形』は存在するはずなのだ。
 写真という物は、嫌でも『見る』はずだろう。
 だから写真を撮った人間も間接的に『ネガ』を見ている為に影響を受けるといえるだろう。
 と言う事は、写真を現像する過程で見ている人間にも必ず影響があるはずなのであるが……
 何にしても、すなわちカメラを通さないかぎりは影響を与えないという仮定である。
 だがこれは何もカメラに限った事ではないとする考え方もある。
 それは超能力『サイコメトリー』である。
 全て存在する物には、何らかの歴史を刻み込まれているという考え方だ。
 霊的存在と『呼ばれる物』は、そういう強い意志や感情等が残した鋳型のようなものだとする。
 鋳型なのでそれだけでは何の影響も与えない。
 それらを何らかの手段で形にしてしまう事で人間は『元の感情』に触れてしまう――影響を受ける、という考え方だ。
 サイコメトラーは、それらをより敏感に感じられる人間だという事だ。
 仮想的に鋳型から元の形を『感じる』事ができるわけだ。

  仮説3 全て空想と妄想の産物

 たまたま光が差し込んだり、フィルムの劣化や何らかの質の低下等により走った模様を『心霊写真』と思いこむ事。
 実はコレが一番怖いのではないだろうか。
 最も現実としてあり得る、簡単な『心理的な問題』だ。
 風邪でもないのに風邪だと思いこんで、身体がその症状を来してしまうというそんな物だ。
 事故現場におけるパニック、集団心理等が引き起こされるある種の原因。
 感情と呼ばれる人間のある種の方向性。
 自律神経失調と呼ばれる病気があるのだが、そこまで酷くないとしても人間の脳下垂体ホルモンは感情によりある程度変調を来す。
 自分の肉体なのだから自分の脳によって『実はある程度操作できる』。
 無論、自分の意志によってではないことを注意して欲しい。
 『そうじゃない』と思っても、思いこんでしまった事は簡単には変えられない。
 そう言う心理トリックというのはこの世にはいくらでもあり、催眠術などはその中でも代表的ではないだろうか。
 ただしこれは誤魔化しや古典的な『そんな物は存在しない』という理由の一つにあげられているだろう。
 これを覆すことが、また逆にそれらが事実だとしても仮説1、2までも含めて肯定できる一つの論理がある。
 それについては追い追い話すとしよう。
 今はまだその時ではない。



 いかがだったでしょうか、魔術講義その2。非常に身近なオカルト――心霊現象。
 これらがいかに『魔術』として論理的にかみ合わされるか。
 いくつかの事実と、表層の現象を説明しながら、魔術的な解釈について理解できるだろうか。
 次回をお楽しみに。