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魔術基礎概論

第2回 視覚化


 では、予定通り視覚化について若干語らせていただきます。
 そもそも『視覚化』とは何か。
 これは人間誰しもの可能な技術の一つである。
 魔法とか、そんな特別なものではない。
 創造力ときおくりょくのトレーニングの一つなのである。
 少しで良いので、一度試して貰いたい。
 方法は簡単、たとえばマッチ箱やさいころなど、簡単なものを用意する。
 次にそれを眺めて、頭の中にその形を記憶する。
 そして、初めのうちは目を閉じて、頭の中にその形を思い浮かべるのだ。
 色、形、艶、果ては臭い、感触まで完全に記憶の中で再現できるようになるまでこれを繰り返す。
 マッチ箱であれば、外観、書いている文字、紙のほつれ、蓋の開き方から中身の色や形まで。
 これらができるようになれば、最終的には目を開いた状態でできるようになる。
 ここまでできて、この修行は完成である。

 では、これを魔術ではどう使うのか。
 親儀式で結界を張り、召喚用の追難など行うのに必須であり、この後に語るカバラ十字を切る際にも使用される。
 他、修行にも必須の能力である。
 たとえば霊視能力の場合、魔術師のようにオカルト存在と常に接しているからといってそれはいつも見えてはならない。
 見たくない時には意識的に見え無くできなければならない。
 そんな時、意識的に視界から映像を消すにはこの技術が必要なのだ。
 自分の視界に映る映像を制御する技術だからだ。
 他にも、目に映ったものが自分の意識から投影しているものか、見えている物かを判別することもできるだろう。
 慣れれば実際に見えても、それが意識の投影なのか実物なのかの区別ができるようになるからだ。

 これは非常に便利である。
 この修行により記憶力、集中力、注意力が格段に向上する。
 また人間の持つ能力に気づくことだろう。
 人間というのは機械(コンピュータ)よりも恐ろしく記憶力の良い脳味噌を持っている。
 長期記憶、短期記憶という呼ばれ方をするのだが、幼い頃の恐ろしい思い出などが鮮明に残っていることなど、ないだろうか。
 忘れそうなほど昔の話でも、頭の中にある記憶は『ある拍子に』飛び出てくることがある。
 実はそれは『思い出す方法』を忘れているからである。
 また、人間の頭には不整合のある記憶を整合をつけようと勝手に補正する能力もあるのだ。
 このため、一度見た『映像』は、実は忘れることなく頭に残っている。
 この記憶を『意識から』投影できるようになれば、意識して記憶する必要すらなくなるだろう。

 視覚化された映像は、あくまでも自分の中の映像であり、これは他の人間に見えることはない。
 それだけ確実に覚えて置いて貰いたい。
 たとえば儀式を行う際でも、結局は自分の中で自分との戦いを行うことが重要なのだ。

 さて、次に、視覚化を利用した簡単な儀式を語ろう。それがカバラ十字の切り方である。
 カバラ十字とは、今ではキリスト教の十字の切り方の方が有名だが、その原型にあたるものである。
 まず、頭上にさんさんと輝く光を思い浮かべ、その光が自分を照らすさまを視覚化する。
 その光を、右手の中指で自分の額に持ってくる。
 ここで『アテー』(Ateh)と唱える。
 そのままそれを自分の鳩尾に持っていきながら、同時に次は地面が発光する様子を視覚化する。
 ここで『マルクト』(Malkuth)
 さらに右肩に持っていき『ヴェ・ゲブラー』(Ve Geburah)
 左肩へ十字を切りながら『ヴェ・ゲドゥラー』(Ve Gednlah)
 最後に自分の胸の前で両手を合わせて『レ・オーラム・アーメン』(Le Olahm Amen)
 と唱え、切った十字が宇宙の隅々へと伸びていき、自分の意識を大きく広げるような視覚化を行う。
 これについては、自分が宇宙に飛び出して宇宙を見つめている、そんな視覚化でも構わない。
 そののち、意識を元に戻せば終了する。

 魔術の技術である視覚化、どうだっただろうか。
 詳しい意味等はここで語っていないが、簡単な技術でありまた魔術に必須であると共に、役立つものだと思ったからこそここで説明した。
 詳しい説明や、内容についてはまた別の機会にするとしよう。
 まずは畏れず、偏見無く魔術というものに接して貰いたい。


 大分つっこんだ内容になりましたが、どうでしょう。
 参考文献として、『魔術 理論編』から文面は頂戴しました。
 視覚化の修行は実生活で役立つようになります。記憶術の概念として映像記憶の最大利用を謳っているのです。
 では次回は上位、下位と呼ばれる魔法の区分について語ります。