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魔術基礎概論

第1回 魔術基礎概論


――とある講演での一言――

 ではこれより魔術の講義を初める。
 と言ってもこれは自分の学部(※注)での講義ではないので、気楽に聞いて欲しい。
 そもそも魔術というのは、人間誰もが使える簡単な技術なのである。
 又逆に、それらを『使う』事は決して目的でも何でもなく、あくまでそれすら手段なのである。
 忘れないでいて欲しいのは、これから始める講義が諸君を魔の山の麓まで案内するだけなのであって、登るのは自分の意志だということだ。
 そして、もし本格的に学ぶ気があるのであれば、我が学院に来て貰いたい。
 ――精霊学院魔導学部 主任魔導師 Wizard――

 ここで語られている『魔の山』とは、簡単なたとえ話で使われる最も一般的な用語である。
 魔術を学ぶ過程を山登りにたとえてこう呼んでいるのだ。
 事実魔術は山登りのように険しく長い。
 これを極めるにはそれなりの覚悟がいるだろう。
 しかしめげる必要はない。誰もが初めからペンを持つことができたか?初めから話せたのか?
 そうではない。一歩一歩確実に進めば、必ずその先は見えるようになる。
 魔術とて同じ。少しでも知ることにより確実に進むことのできるものなのだ。
 最初に魔術を学ぶ際に、魔術に対する誤解を解かなければならない。
 魔術とは簡単なものである、ということ。
 手段は様々であるが、決してそれが社会的倫理的に『悪』ではないこと。
 そしてこれが一番大切なのだが、元々即物的効果を求めるものではないということ。
 まずこれらについて語らなければならないだろう。

 そもそも魔術とは呪文を唱える必要など無い。ただ思うように祈る、それから始まるのである。
 必要なのは広く柔軟な心と、集中力と、豊かな感性と起伏ある感情。
 物事を受け止める力と、そして、何より大切なのは『好奇心』。
 その好奇心の為に命を落とす事もあるかも知れない。
 でもそれこそが、魔術の始まりなのだ。
 魔術とは。
 過去に、人間が知恵を授かった時に求め始めた『世界を知りたい』という意志の現れ。
 世界に触れ、世界の全てを手に入れようとする人間の本質。
 果たしてそれは、様々な姿をとって我々に貢献する形になった。
 数多くの物語を産み、神霊的な加護を与え、科学という名のもう一つの世界の姿を明確に打ち出したのだ。
 すなわち、魔術とは『知』に関する人間の根元的欲求の現れの一つだ、と言えるだろう。

 さて、これで大体理解できたと思う。そこでここで魔術と科学との差についても語っておこう。
 科学を説明するには、米の物理学者ファインマンの言葉を引用するのが一番適切だろう。

『物理学とは、神のチェスを隣から覗いているようなものだ』

 だからルールを想像できるが、その理由を知ることができない。と彼は言葉を結んでいる。
 そう、科学というのは目に見える事象を『こういう風だ』と説明し、体系化したものなのだ。
 そのルールらしきものに沿って、我々は現在のような文明を作り上げた。
 だがそれは決して完璧ではなかった。
 僅かに混じる『ゆらぎ』、非線形の部分は自然に無くてはならないもの。
 それを科学で完全に制御する事が叶わなかったから、『自然に存在しないもの』を科学は生み出した。
 科学が人間の手に届く内はそんなこともなかったのだろうが…
 それは人間が自分で見て自分で知ったルールであり、神の作った神のルールではないのだ。
 さて。では魔術はどうか。
 魔術は最初に引用したファインマンの言葉をもし借りられるのであればこうなるだろう。

『魔術とは、神のチェスを隣で見ながら真似をすることだ』

 と。
 もちろんそのままそっくり真似することなどできないから――それなりの手段でもって、神のチェスを執り行う。
 儀式や、ミサ、日本では丑の刻参りなどに現れるものが一番直接的に判るのではないだろうか。
 魔術とは決して特別なものではない。
 間違った認識の一つ、でもない。
 この世の中を知る為の、最も触れやすく一番身近な手段の一つなのである。

 今回の講義の最後に、過去に起きた魔術迫害の理由を説明しておく。
 黒魔術――ひいてはオカルトというものを信望した人間達が『狂気』に捕らわれたり生け贄を求めたりした。
 社会的に認められないような行動を犯すものもいた。
 それは魔術がそれだけ精神的に偏ったものであるからである。
 間違った知識や不用意な行動により、魔の山の麓で自我を見失ってしまったからである。
 親儀式の改造により悪魔とコンタクトする事もできる。
 だが、そう言った悪意(人間の捉える『意識』や『悪』とはかなり違うのだが)を持った存在に自分から触れた人間は哀れな末路を辿る。
 ようは使い方なのだ。
 たとえば核。そのエネルギーから電力を取り出せばそれは善と称えられ、兵器として使用すれば悪として非難を受ける。
 魔術だって同じ事だ。生け贄も、薬も、何にも必要ない。
 魔術が生まれた理由とその目的を決して忘れないで欲しい。


 ※注:主任魔導師が担当する『論理魔導物理学部』の事。


 初のそれらしいコラム、どうでしょうか。
 実は魔術と思われている事が、そうではないという事の方が多く、その逆も又しかりだったりするのです。
 次回は魔術の儀式や術を使う際に最も必要な基礎中の基礎、『視覚化』について語ります。
 これができれば、様々な事に役立ちますので…お楽しみに。