戻る
トップに戻る

文章の書き方

※注意
 このコラムは文章を書いたことのない、もしくは書こうとして挫折した初心者のためのコラムです。
 もうすでに充分に文章を書ける方々向けではありません。
 また、書いてある内容は自分の文章の書き方の一例とも言える物であり、全て正しいとは限りません。
 なので国語の先生に怒られただの御陰で文章がおかしくなっただの苦情は受け付けません、あしからず。
 尚、『ここはこうした方が良いんじゃないか』『これは間違っている』等意見は受け付けます。
 メール、BBS、毒電波等でお願いします。

第1回 日本語の書き方

 日本語は我々が子供の頃から使っている言語である。
 言うまでもないことだが、これによる会話は非常にスムースにできる人間がほとんどであろう。
 だが、こういう経験はないだろうか。

 何で国語のテストは難しいんだろうか…
 読書感想文何てめんどくさくて書けないよ…
 論文さえなければ、俺はもっと楽に生きられるのに…
 俺は英語のテストは楽勝なのに…

 この答えは意外に簡単にある。
 『日本語を知らないから』である。
 英語は文法から単語から、頭に叩き込もうとしているだろう。
 事実、英訳は簡単だが日本語訳は難しいという人間はいないだろうか?
 もし当てはまるならば、それは『日本語を知らな過ぎる』ために他ならない。

 そこで記念すべき第1回は日本語について少し語ってみようと思う。
 少し遠回りになるが、日本語で文章を書こうと思っているのならば避けては通れない門だ。

 そもそも言語とは、『誰かに何かを伝えるための道具』である。
 何かがもし伝わるのであれば省こうが付け足そうが自由。
 自由度の高さの割に、汎用性があるのが特徴である。
 英語の会話を聞いたことがあるだろうか?
 洋画でも、ほんの僅かな単語の組み合わせで意味を取らなければならないシーンがある。
 それが吹き替えと全然違う、字幕と意味が合致しないと思ったことはないだろうか?
 それは省略された文章か、『文章の流れ』の一部に過ぎないからである。

<例>
「ねえ、あれ見た?」
「…判ってるよ、畜生」

 例の会話を見て、何の会話か判るだろうか?
 会話というのは当事者が意志を伝えるためだけに使う言葉のために、第3者が見ても判らない場合が多い。
 まして、上の文章のつながりは判るだろうか?
 実は文章が書けない理由はここにある。
 会話とは視覚、聴覚、触覚、その他の条件等あらゆる要素を含んだ『意志疎通』であり、またそのために「日本語を知らない」ことができるのである。
 『目は口ほどにものを言い』など、その典型例ではないだろうか?

 さて。
 一般的な事を今までは述べてきた。
 日本語ではどうだろうか?
 実はあまり芳しくない事に、『日本語は難しく複雑である』と言う答えが用意されている。
 日本語の複雑性は様々な言語関係の本を読めばよく判るが、非常に『聞き手に誤解を与えやすい』のである。
 だが、これも言語だけに、我々のように日本語を話す人間はそれを理解する必要性はないのである。
 ただし、会話という小さなレベルにおいての事だ。
 極端な結論から先に話そう。
 『内容を限定した条件下で可能な限り省略した』形が、我々の会話である。
 会話というのはスムーズでなければならない。
 だがこれが、『論文』や会社での事務的な会話、まして法的な文章になるとどうだろう。
 我々がどれだけ省略した文章で会話をしているのかが判る。
 さらに、『含みを持たせた会話』というものになるともう『雰囲気で判れ!』とも言わんばかりである。
 会話であれば判らないことを聞き直せばいい。
 だがそれが文章だったら?
 著者に聞く?
 普通、文章を読めば全てが判るようになっている。
 小説であれば、それを『簡易に想像できるように』材料をばらまいている。
 何故それができるのか。
 それは書いている人間が日本語の性質を良く知っているからである。
 しかしもちろんそれだけではない。
 文章を書くためには動機が必要だ。
 彼らは何らかの『書きたい(表現したい)』内容があるからこそ、あのような文章を書いているのだ。
 だがそれが曖昧な動機では、実は文章など書けないのだ。
 さて、若干話は変わるが、この省略や含みを持たせるという点において日本語は非常に優れている。
 こういうと今まで書いたことと矛盾するような気がするかも知れない。
 だが、たとえSSであっても一つの小説という芸術(というよりもサブカルチャーぐらいだろうが)である。
 何も論理的な文章を書くためのコラムではないので、こちらの方を重視してみたい。
 実は日本語にあるこの『省略』の性質のために芸術的に優れていて、言語として複雑で難しい物になるのである。
 会話以外で極端に省略しても『形として全く意味を持った』文章を作れるのは日本語だけである。
 すなわち、たった一義に意味を通すことができるということだが…

 古来から伝わる短歌や俳句などはその典型例と思っていただきたい。
 ただし、それらは文章を組み立てる事に習熟しているからであり、所詮会話だけしか行ってきていない人間には難しい物である。


 若干見にくい文章かも知れません。
 第1回目のコラム、どうだったでしょうか?
 できる限り初心者でも簡単に文章を作れるようにと『書けない原因』から追求してみました。
 自分の経験から、『文章を書けないのは書いていないから』というものと、『何を書いて良いのか判らない』という2点に絞って書いてみたつもりです。
 ご意見、ご感想等ございましたらご連絡下さい。
 尚、次回からは簡単に文章を(小説を)書けるようにと的を絞った『小説の書き方』を掲載予定です。
 『小説の書き方 1』では簡易にSSが書けるようになるためには、を語ってみたいと思います。