このコラムは、『安くて良質』をモットーとするHenachoco industryの提供でお送りします。
第1回 本とは
堅苦しい話ではないので、ゆっくり聞いてもらいたい。
このコラムは『コピー本を製本するには』というはっきり言って著者の趣味のコラムです。
別に初心者向けの『こうやって漫画をかけ』とかそういうんじゃないです。
嫌な人はさっさとおふせに手を出しなさい(笑)。最近は手軽なんだから。
あくまでも小手先の技術のお話で、ものを作る事が好きな方向けです。
苦情等はメール、BBS、毒電波等でお願いします。
コピー本、これは即売会で唯一売られている形式である。
間違っても虎の穴で買える物ではない。
良質なコピー本が買えるのは即売会だけ!と、限定しても過言ではあるまい。
しかし最近データ入稿できる印刷所などが流行り、以外と手軽にオフセット印刷で綺麗な同人誌を作ることができる。
悪いことではない。むしろ、下手なコピー誌を作って泣くより良いはずだ。
だがいいことだけだろうか?いや、私はそうは思わない。
コピー誌だからこそという利点があるはずだ。いや、利点ではない。
コピー誌こそ同人誌なのだと私は思っている。
端から端まで完全に手作りにできるコピー誌は同人誌の最たる物である。
しかもとらのあな何かでは買えないのだ。しつこいようだが。
理由は幾つかある。製本がしっかりしたオフセット印刷の方が、扱う方としては安心できるからだ。
その点確かにコピー誌では痛みが激しく、商品価値も薄れる。これではだめだ。
お金が絡むため、最終的には責任問題にもなりかねないからだ。
コピー誌を痛ませて賠償問題になっては、多分死んでも死にきれないだろう。
書店として『コピー本取り扱い』をやっているところはあるのだろうか…少なくとも私は見たことはない。
第一、いい加減な製本工程を経た物になればなるほど、『ぼろさ』が顕著になってくるのだ。
元来本というのは所謂中身の部分と表紙、さらにはケース(百科事典など一部の書籍を見てもらいたい)まで含む物だ。
ケースについては最近はあまり見かけなくなったが、きちんとしたいいケースを持った本は傷みにくい。
そう、『痛ませない為の工夫』がなされているのが『本』なのである。
ただ紙をまとめて綴じただけでは本ではない。それはプリントの塊に過ぎない。
先に挙げたケースについてだが、過去には手で製本するのが当たり前だったためにバラバラにならないようにという工夫の一つでもあったのだろう。
最近の製本は行程も、表紙の質も格段に良くなっているためよっぽどのことがない限りバラバラにはならない。
ケースが使われないのはそのためでもある(読む際に邪魔だし)。
その代わりではないが、汚れたり痛むのを防ぐ役割としてケースに変わるのは『カバー』である。
今カバーのない本は雑誌ぐらいではないだろうか?雑誌は読んだら捨てられる運命にあるものだ、汚れたりするのを気遣う必要はない。
では何故本は保護されていなければならないのだろうか?
それだけ繰り返し読むことを前提としているからではないだろうか。
それを言ってしまうと、『コピー本なんて一度読んだら捨てるからいいや』と言われるかも知れない。
ああ、読み手はそれで良いだろう。
だが作る方としてはどうだ。仮にもお金をとって売ろうというのにだ。
手ぬるい考え方をしていないだろうか?
中身(作品)がいかにしっかりした良い物でも、綺麗な製本があってこそ読み手にいい印象を与える物だということを知らないだろうか?
そんな余計な事で読んでいる人を不快にさせるなんて真似をしてはいけない。
作品に集中させるためにも、製本のミスなどはなくさなければならない。
ではどのように作れば、製本のあらが見つからないようなきれいなものになるだろうか。
一つは丁寧さである。きちんと一冊一冊作れば、本なんか簡単に綺麗になる物である。
もう一つは、それぞれ本の各部品の意味を知っていれば判る話なのだ。
次回は少しつっこんで本について語る。製本のための一つのアドバイスと思っていただけると幸いである。
初の大きなイベント参加後、製本マニアになってしまった著者の意見です。
どうだったでしょうか。少しは足しになるでしょうか。
なにより、綺麗なコピー本が増えると嬉しい限りです(笑)。
まぁ、最近はほんと、手軽におふせで本になります。
でも、どうしても高くつくようになるし、おふせの印刷手引きはあちこちにあります。
以外と無視されがちな『コピー誌』に目を向けたんですけど…
ご意見、ご感想等ございましたらご連絡下さい。
尚、次回は自分の経験等を含めて『製本』について語ってみたいと思います。