Holocaust ――The borders――
IntermissionLie 第3話(最終話)
「嘘で出来てるんだよ、この世界は」
みらいは、淡々と呟いた。
その悪意を湛える視線で、全てを貫くように。
「キミも嘘、僕も嘘、この世界も嘘、全てが嘘なんだよ」
そして、彼女は自分で自分を抱き締めるような格好をして目を閉じる。
「嘘…」
「僕が記憶喪失だったのは、キミがそう思っていたから。キミの仕事が興信所の事務員だというのも、キミがそう思いこんでいるから」
みらいは愕然とした表情を浮かべる暁を、目を細めて微笑を浮かべて眺める。
楽しむように、慈しむように。
そしてそれだけは意志が介在できないように。
「どういうことか、判らないでしょ?」
「わかるっ…訳」
コロシタイ
それが誰の意志だというのか。
「ここにこうして、キミがいて僕がいる」
どこからどこまでが現実として認識されていて。
「でも、キミもいなければ僕も存在できない」
穹だけがただ広くその姿を、大きく視界に留まらないように広がり続ける。
まるでその全てが、世界であるかのように、訴え続けているように。
暁はゆっくりと自分の意識を失いそうになっていく。
目に見えるのは蒼い蒼い――これは、穹なのか?
その向こう側に見える少女――果たして、彼女は少女なのか?
「この嘘を、貴方は望まない」
何故か 懐かしく感じる言葉
「その銃はキミの意志をキミが遺したもの。僕が記憶喪失何じゃなくて、キミが」
風景が滲む。
視界が霞む。
声はかすれ、耳に届く言葉ももうはっきりしなくなってきている。
泣いているのかと思った。でも。
――嘘…そうか、だから
目に見える光も、耳に届くはずの音も、この世界全てが嘘なんだから。
存在しないものが感覚から消えていくのはごく自然なことなんだから。
だから、このまま闇に落ちるんだと思った。
でもいつまで経っても明るさは変わらず、むしろ周囲に光が満ちていくような気さえする。
「その銃は、キミが望んでいなかったここをうち砕くためにあるの。ようやく、理解だけは出来たみたいだけど」
それなのに彼女の声が聞こえる。
彼女の声は妙にはっきりと明確に。
柔らかくて切り裂かれるような感覚。
そんな危うさと、そして少女と女性と――ヒトと別なモノの境目を感じさせる。
「じゃあ、お前は一体」
「うん、キミがそう思っていただけで、僕は『介入者』。キミの嵜山みらいとは違う。勿論、『未来』なんていないよ」
くすくすと悪戯を愉しむような声。
「助けに、来てくれたのか」
「キミがそう思うならそれでも構わない。僕は目的を果たしに来た。キミに、キミの意志をもう一度手に入れて貰う、っていうね」
そしてうってかわって真剣な声。
「でもそれがキミにとって良い事じゃないのかもね。…だって、その銃、キミは引けるかい?」
何故か肉体の感覚を失っているのに、銃を握りしめている事は判る。
銃に『意志』があるかのように、何も考えずにそれが彼女のいる辺りにポイントする。
震えは、ない。
見えない白い闇の向こう側にいるはずの彼女に、それは確実に向いていると彼は思った。
――コロシタイ?
違う。
これは殺意なんかじゃない。
終わりを求めるような、そんな後ろ暗いものでもない。
でも、あの時彼女に銃を向けたのはどうしてなんだろう。
――皆殺し?
彼女の言葉の意味が判らない。
確かに彼女に殺意を抱いていたような気がする。
もう時間の感覚すらずれ始めた。
あの時と、今。
先刻と、これから先の未来。
「さあ」
彼女の誘いが、銃声を幕切れにした。
まるで何事もなかったように世界が一転して闇に落ちる。
銃弾が切り裂いていく光の渦と、同時に舞い降りてくるカーテンのような闇。
それを感じて、彼は、間違いなく世界が死んだ事を識った。
積み重ねた嘘は、決して嘘ではなかったように――嘘で組み上がった世界は彼にとっては嘘ではなかった。
だから怖かった。それをいらないと思っていた。
恐ろしく長く幸せな夢。それは現実逃避にはお似合いの世界だから――
「帰ってきた?」
薄闇に包まれた場所。
一つの手術台のような場所で、青年が横たえられている。
白い患者服を着た彼は静かな表情で目を閉じている。
その側に、数人の人影。
「――いいえ」
女性の質問に一人の男が答える。
「反応はありません。自我が崩壊した可能性も」
彼女は気むずかしそうに眉を寄せ、大きく息を吐く。
そして右手を青年の顔の上に、まるで死者を弔う時のようにゆっくりと載せて撫でる。
「失敗ですわね」
残念そうでもない言葉で彼女は呟いた。
表情は変わらず、ただ寂しそうな雰囲気のある笑みを湛えたまま。
じっと青年を見つめている。
「今までの成功例は数少ないので」
「儀式としての成功の事?結果としての成功って言う事?どちらかしらね」
思わず黙り込んで口をむぐむぐさせる男に、今度は心底おかしそうに笑い声をあげる。
「ごめんなさい。判ってるのについ意地悪してしまいましたわ」
そして、彼女は優しい視線を向けながら、やはり寂しげな顔をする。
男はただ深々と頭を下げる。
――『蘇生』の成功例は今のところ一例だけ。儀式としての成功例はほんの数例に限られている
判っている、そんな事は重々承知の上なのだ。
彼女は男の肩を叩いて顔を上げさせると、目礼してその場を引き上げさせた。
『蘇生』で唯一成功したのも例外中の例外、この世にとって返したのも例外なら、目標も例外だった。
それ以来もこの儀式は続いてはいるが、残念なことに成功した試しはない。
今回のように儀式として成功したとしても、覚醒に至らない――これは、被術者の問題であるとも言われている。
「事故は防げないから、こうした儀式の成功率ぐらい高くてもよさそうなものですのに」
「仕方ないでしょう。やはり一度不確定の存在になったものを呼び戻す事など、難しいのだから」
思わず呟いた言葉に、突然呼びかけられて女性は振り向いた。
スーツを着込んではいるものの、その雰囲気は決してごく普通のビジネスマンの雰囲気はない。
むしろ真っ当な生活をしていないというのがありありと判る。
「雄嗣」
彼は紺色のスーツに蒼いネクタイ、暗い色のワイシャツを着込んで、薄笑いを浮かべている。
「あんまり人前で、俺の名前を呼んで欲しくはないんですけどね」
大きく肩をすくめてみせると、口元を歪める。
「その点卑怯だと思うよ、玲巳は。結果が分かっていて、それを実行しようとする。諦め?それとも逃げ?」
玲巳。
そう呼ばれた女性は、まるで張り付いた仮面のような寂しい面を揺るがしすらしない。
「卑怯ね。そう言う評価は初めて受けましたわ。…どちらかというと存在価値そのものを揺るがす内容だというのに」
くすくすと笑いながら、玲巳はそう応える。
雄嗣――鏡島雄嗣は肩をすくめてみせる。
「君のような存在がいるから、いや、逆にいなければ『蘇生』なんて儀式はできないだろうし」
その視線も口調も責めるものではない。
責める事そのものが意味のない事である事を彼は識っているから。
そして、なにより――彼女がいなければ、彼らの研究は進む事はなかっただろう。
玲巳は何も応えない。すこし口を歪めて見せただけだ。
――そもそも、『蘇生』なんて儀式を考えたのは私なのだから
蘇生と呼んでいるが、別に死んだ人間を蘇らせようと言う試みではない。
『事故』に合った人間を、何とかしてもう一度この世に復帰させる為の儀式だ。
事故――自分を失ってしまった人間の自己を蘇らせるための精神的なものだ。
一度自分という枠、『自己同一性』を失ってしまうと、それを取り戻す事はかなり難しい。
「もう一度枠を作るのではございませんから」
『自分』という枠、と言うと判りやすいだろうか?
そして、その枠を自覚している間というのが普通の状態であり、それが判らなくなった状態を、自我の崩壊という。
植物人間とは違い肉体的症状はない。
だから蘇らせる事も可能である、というのが彼女の主張だった。
「自然治癒、といえ…精神的なものだからね」
「…儀式の結果を、儀式の前に判っていればもっと便利なんでしょうけれども」
だがそう語る彼女も、言葉は淡々としていて決して感情を感じさせない。
怒りも、憎しみも、悲しみも、まして喜びも――ただ、彼女から感じられるのは一抹の寂しさのみ。
「あくまで、可能性。最後の選択は、施術を受ける彼らにあるから」
そんな寂しそうな表情を浮かべる瞬間だけが、彼女は『女性』になる。
雄嗣は小さくなって見えた彼女の肩を軽く叩いて言った。
「ええ。だから――私は、儀式を続けるより他ない」
雄嗣は彼女のその言葉に、声をかけてやろうかと思った。
だが今度はそうはいかなかった。
普段の彼女、そして今こうして語る彼女は女性は愚か人間を感じさせない。
突然触れる事を赦さない雰囲気を――そう、代わり映えしないように見えるのに――醸し出す。
――『Wizard』、か
雄嗣は半ばため息混じりにそんな彼女を見返した。
人間というのは、自分という枠を常に持っている物と思われている。
でも実際には違う事の方が多い。
特に精神的な面を協調するならば、それは大きく間違いである――そう捉えるべきである。
他人がいて――『鏡』があって初めて自分という存在を浮き彫りにできる。
比較対照できるものが、現実として存在できない場合、一度でもそう言う状況になればもう助からない。
『自分』という枠を、外部刺激により作り上げる――ならば、その逆もしかり。
すなわち、あらゆる外部刺激が消失した状態であれば、『自我』以外の自分は消失する。
自我というのは、以外に簡単で脆い。
そんなことはない、俺は強いと思っていても一度薬に手を出せば二度と抜けられないのと同じように。
性悪説をもし肯定しないというのであれば、一度で良い。自分の親友――本当に信じられる友人を殴ってみればいい。
『殴れない』理由が『痛がっている顔を見たくない』もしくは『理由もないのに』という理由以外であれば、それは本当の友人ではないか自身が『性悪説』に基づく人間であると言う事である。
無論、殴れるから――本当に自分の快楽のため、もしくはこの回答を自らが得たいが為だけに友人を殴れるのであればそれもまた『性悪説』を体現していると言えるだろう。
もっとも、『悪』という概念を『自分勝手』という言葉で置き換える必要はあるかも知れないが。
自我というのは、他人あっての自我である。
すなわち――それが『枠』を持つのは至極当然の事と言えるだろう。
他人、という名前の『枠』を。
だから人間が自我を取り戻すには、『他人』の存在を理解させなければならない。
すなわちそれが『蘇生』である。
しかし大抵の場合、自我を失った段階で自分という境目を失いそれを認識させるのは難しい。
そこにある方法論を持ち込んだのが玲巳だった。
通常の方法では『自分』と『他人』は境目がなくなってしまっている。
だから、逆に『自分』というものを中からえぐり出してやればよい、というものだ。
――結果的にはかなりの無茶を被験者に強いる事になるのだけれども
通常、必ず『同一性』を持った『自分』というものを、完全に自分を見失ってしまった人間も持っているものである。
自我崩壊の際に世界と自分を隔離し、彼の意識の状態は正常に維持しようとする。
それ故に歪みが生じ、忘れるべき『自我』が澱になっているのだ。
但しそれが、自己閉鎖世界であれば彼の姿を持たない事の方が多い。
飼い猫、彼女、大切なメダル、拳銃などその時のよりその姿、手に入れるための手段が違う。
そして大抵の場合、それが為に――当然だが――『世界』は崩壊する。
その際、どれだけ元の世界で生きられるかどうかを、自分で定められるか。
だが普通は逆戻りするか、自分で自分を攻撃して崩壊するか。
そのどちらかである。
――夢というのは、自分に都合良くできてるから、ね
自分で望んで事故にあった訳でもなくても、普通の人間はそう言った嘘の世界に溺れて帰って来れなくなる。
今回のケースも全く同じ結論が出てしまっていた。
すなわち――精神自壊、である。
もう一度、自分で作った夢の世界に戻るために、自分で自分を壊してしまうのだ。
今のところ、これで最悪植物状態に陥ったケースもある。
これも幸せの一つの形なのだろうか。
もう呼吸と心臓の鼓動以外に生命活動のカタチを遺さなくなった彼らは、それでも人間といえるのだろうか。
――いや
彼女は頭を振った。
――本当に人間として幸せを求めるんだったら、こんなまどろっこしくて回り道になる方法を選びはしない
それでも『ここ』に訪れるのは何故なのだろうか。
「好奇心は猫をも殺す、ですわね」
人間から『モノ』を選んだ青年の事を、そうやって彼女は思考から追い出してしまった。
そして代わりに、これから出逢うはずの青年へと思考を向ける。
唯一にして無二、自分のカタチを失いながら再び『蘇生』によりこの世に立ち戻った、唯一の例。
当時は彼は、まだ幼稚園に通う程の少年だった。
彼にとっては夢の世界――彼が作り上げた世界は、無為なものだったのだろうか。
だから戻った――いや、違う。
少なくとも玲巳は、儀式の終了間際に感じた『成功』の感覚が全く別物である事を覚えている。
彼が目覚めるのはとてつもなく危険な――そんな、奇妙な予感。
いや、彼女の場合は予感ではなく、これから起きる『予兆』。
――戻るべくして、この世界に戻ってきた…だったら、『Wizard』の資格どころの話じゃないですのに
だが彼は連れ浚われるようにして戻っていった。
そもそもが、そのためだけにここで修行していたように。
そして、予定通りのように受け取った男は金を払っていった。
自分の息子のはずなのに、何の感情もないかの、ように。
玲巳は久々にため息をついた。
その青年――恐らくもう高校生になっているだろう――は、間違いなくもうすぐ彼女の目の前に現れる。
「私が動く時が来たみたいですわ」
だから、誰に言う訳でもなく呟き。
彼女は颯爽とその場から立ち去っていった。
彼女は『Wizard』――『識る者』、玲巳。
自らの記憶から触れるべき事象を探し、初めて自分を自覚することの出来る存在。
その彼女の知覚に一人の名前が刻まれていた。
――クスノキ タカヤ
もうひとつの邂逅が、訪れようとしていた。
◇次回予告
子供のうちには精神の中に世界を作り上げる事がある。
「ちょっと、変な噂を聞きつけたんで、それを調べに行こうと思う」
とある学園で起きた、猟奇殺人事件。
原因は――そして、果たしてその裏に見え隠れするモノは。
Holocaust Chapter 4: 玲巳 第1話
…なんでそんな事に首を突っ込むの?関係ないんじゃない?
ようこそ、私の世界へ
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